等高線

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 砂漠に行くのはあまりにも遠いから、そこら辺にある手頃な砂場を探そうと思ったけど、ちょっとその辺の砂場ではもの足りなくて、僕らにとってちょうどよい砂の山を探していたら、鳥取砂丘に来ることになった。  砂漠に行けば、喉が干からびてカラカラになった僕らの前に死神が現れると思っていた。でも、鳥取砂丘に来る前に『すなば珈琲』に寄っていたので、僕らの喉は干からびてなどいない。  甘いカフェオレで移動に疲れた脳に糖分を補給し終えてから、僕らは鳥取砂丘に着いた。小さな防砂林を抜けて砂丘に向かう。 「ねえ、ここは、死ぬようなところじゃないね」 「確かに。君の言うとおりだ。ここは死ぬようなところじゃない」    遠目から見ても、砂漠の端が見える。  端が見えるということは、砂丘に人が居ればその人達からはどこからでも僕らの存在を確認できるということで、死ぬのには適切ではないと思われた。  風が強い日に砂丘に来るのはよした方が良い。  僕も彼女もお揃いのパーカーを着ていたことが幸いし、耳に砂粒が打ちつけることもなかった。フードを深く被っていると、ポケットに入れていない方の手の甲にだけ、砂がぱちぱちと当たるのに気づく。 「ねえ、とりあえず頂上まで登った方がいいよね」 「そりゃそうだろうな。登ることができる砂の山があれば、それも登るべき山の一つなんだと思うよ。ほら、だってみんなもあんなに登ってる」 何万年かけて積み上げられたのか想像が付かない砂の山に、人々が登っていく。  わっせわっせと規則的に足を動かす人も居れば、子供は砂の坂を駆け上がり、男子大学生は声を上げながら女子大学生の前を右往左往している。足元が緩かろうが、頬に砂が打ちつけようが、そこに砂山があれば、人々は砂山を登るらしい。  彼女が繋いでない方の手で、砂の山を指さす。 「私、あれしたい。滑って降りるやつ」 「ああ、なんかソリ的な奴がないとできないな。なんなら、僕に乗って滑ってもいいけど」 「んー。つまらない冗談だし、私はあなたをお尻の下に敷いたりしないよ」 「どうだか。僕は今まで何度君に叩かれたことか」  繋がれた僕の手の甲がパタンッと彼女のデニムのふとももに打ちつられけた。これでは僕が彼女のふとももを打ったみたいになってしまう。  もうどちらのデニムも叩く気にはなれなかったので、僕は彼女の手を引いて歩き始めることにした。    砂の山に近づいて行くにつれ、その大きさがはっきりと身体で知覚できるようになってきた。麓には小さなオアシスがあり、時折やってくる観光用のラクダが水分を補給しているのだろうか。  遙か上の方から、子供達が降りてくる。  いや、駆け下りてくる。砂に足を取られ、ころころと転がって落ちてきそうな気がして心配になるが、そんなのお構い無しだ。子供達は大きく口を開け、口の中の唾液を引き延ばしながら走っている。何度も駆け上がり、何度も降りてくる。  そのうち飽きてしまって、砂の山に興味を無くすのだろうけれど、子供達の動きは止まらない。 「元気だな、子供は。僕にはこの山を一度登り切る分だけしか体力がない気がするよ。例えば、途中で下を向いたら、駆け下りたい衝動に駆られて走り出しちゃって、そしたら、もう頂上までは行けない気がする」 「私も無理ー。あとさ、まっすぐ登るの大変そうだから、ちょっと迂回しながら登ろうよ」 「んん。いいよ。まださっきのカフェオレの糖分は持ちそうだから。しばらく歩いても大丈夫だろう」  僕は彼女と、砂の山の等高線に対して垂直方向に登るのをやめた。大きく迂回するルートに切り替え、こちらから見て右側から大回りに登っていく。    砂の上を歩くのにも慣れてきたし、彼女の提案は正解だったようで、僕らは、砂丘の端に足を踏み入れた時よりも早く足を動かせるようになった。  迂回ルートを通ったために、砂の山は少しずつ僕らの視界から位置を下げていき、その向こう側に日本海の水平線が現れる。砂の足元に目を移す必要はなくなったので、顔を上げて歩く。足を取られながら浮き沈みする視界の中に、水平線とそれに続く海面がずうん、ずうん、と広がっていく。  砂が口に入る可能性が気になったのか、僕らは黙って歩き続けた。少しだけ疲れた気がしてくる頃に彼女は立ち止まり、口を開く。 「へー。砂漠と海が同時に見えるのは珍しいね。公園の砂場で川や池を作った記憶はあるけどなんかスケールが違うね。それに、波打ち際の砂とも違って、砂漠ー! って感じがするし、ちょっと面白いかも」 「んん。匂いもちょっと潮っぽいしさ、砂漠なのに海の匂いがするんだな」  歩き続けていると、視界の中で海面の占める割合が増加する。砂の山の稜線に沿って、海風を受けながら僕と彼女は進んでいく。  いくら日本海はきれいでも、砂の山で足元にずっとあるのは砂であって、特に変化などない。靴の中の足に纏わり付いてくる砂が、靴下越しでも気になる。ひっくり返したら、踵の部分からさらさらと流れ落ちる様子が想像できてしまうくらいだ。しかし、今靴を脱いだところで、僕らはまた別の機会に靴を逆さまにしなければならなくなるだろう。  砂の山に続く稜線は、どこかの場所に頂上が存在するはずだ。けれど、ずっと歩いていると高さについての実感がなく、振り返ってみれば、今歩いている位置より歩いてきた場所の方が小高く見える。  僕は彼女に振り向くように促す。 「なあ、これさ、もう一番上、通り過ぎてるんじゃない?」 「あれ? ずっと登ってたような気がしてたんだけど、いつの間に頂上を通り過ぎちゃったんだろ」 砂で足元が悪いせいで、ずっと登っている気がしていたのかもしれない。 「いつ通り過ぎたか僕には分からないし、特に頂上の表示もなかったね。けど、まあ、僕らは頂上には立ったはずだし、降りるか」 「そうね。じゃあ、この砂漠を抜けたら、また『すなば珈琲』でお茶にしましょう」 「んん。『すなば珈琲』の店員さんが、僕らのことを覚えてなけりゃいいけど」 ペアルックのカップルは今どき珍しくないのかもしれないし、時代遅れなのかもしれない。いずれにしろ、僕と彼女が求めているのは甘ったるいカフェオレであって、『すなば珈琲』の店員にまたどこかで会うようなことはないだろう。  今、僕らに必要なのは甘ったるいカフェオレ二つ。 ──となれば、善は急げだ。  僕らは砂の山を等高線に沿って垂直に駆け下りた。被っていたパーカーのフードが風で吹き飛び、僕らの後ろで小さなパラシュートになった。  ◆    夜遅く。  僕らは部屋に着くと、玄関でお互いの靴をひっくり返した。さらさらと流れる砂を僕らは玄関に撒いた。そこら辺の砂場に行っても、これほどの砂を持ち帰ることはないだろう。  靴を揃えて立ち上がったばかりの彼女を、僕は後ろから襲う。  彼女のデニムのポケットに僕は右手を入れ、ポケットの布をひっくり返す。玄関のフローリングの上に、砂がさらさらとこぼれた。 「あーあ。掃除しなきゃ」 「あーあ。掃除は僕がやっとくよ。もう片方のポケットは自分でひっくり返しといて。そのまま洗濯機に入れるとマズそうだから」  僕はそう言って小型掃除機を取りに、部屋の奥へと向かった。僕の背後で彼女が大声を上げている。 「ねえ! これなに!?」  小型掃除機を片手に、僕は彼女の元へ向かう。  足元には白い砂が散乱したままで、彼女は砂の中から拾い上げた物を指先で掴んでいる。 「それ、砂と一緒にポケットに入ったんだろ。要らないなら、この掃除機で吸うけど?」 「ねえ! なんかおかしいよ! 指輪が風に乗って飛ぶわけないじゃん! ねえ!!」 「飛んでないとしたら、人為的なものだ。」 「もう! こんな時まで迂回路みたいな言い方しないでよ!」  僕は、目の前の山を真っ直ぐ駆け上がらなければならない。  上り坂では、小さなパラシュートなんて必要ない。僕はパーカーのフードを後ろ手でひっくり返し、溜まった砂を払い落とす。僕の後方で、砂がちりちりと音を立てて床に落ちる。  砂が床に落ちる音なんて、彼女の耳に届く必要はない。         (おしまい)
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