ないがとう

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 案の定、重たい荷物をおばあちゃんに返して去る、なんて非情なことはできない。仕方なくおばあちゃんの家まで運ぶことにした。おばあちゃんと並んで歩く。  「『ありがとう』ね。重たいだろうに。」  おばあちゃんの言葉に俺は目を丸くする。そんな俺の様子に気づいたおばあちゃんはハッとして弁解する。  「ああ、『ありがとう』は言っちゃダメだったね。老人の戯言だと思って、気を悪くしないでおくれ。」  俺は「大丈夫です」と答える。ついでに、おばあちゃんに『ありがとう不要論』についてどう思うか尋ねてみた。  「『ありがとう不要論』ねぇ。若い人らにとっては当たり前かもしれないけど、何十年も助けてもらったら『ありがとう』というのが当然だった私みたいな人間には難しい話だわ。いつも孫に『ありがとう』を言ってしまって、娘に叱られてしまうの。それでも、ニュース番組ですら『ありがとう』は使われなくなってしまったから、もうどうしようもないのでしょうね。」  おばあちゃんは口では納得はしたように言うが、本当は『ありがとう』が使いたいのだろう。その話を最後に、おばあちゃんの家に着いた。お茶に誘われたが、丁重に断って持っていた荷物を返した。別れ際、おばあちゃんはまた『ありがとう』を言いぞうだったが、グッと堪えていた。  自宅に着くまでまだ少しある。俺は程よい力仕事で疲労がたまり、眠気がさらに増していた。眠い意識でおばあちゃんの言っていたことについて考える。慣れない人からすれば受け入れられないのは当然か。俺だって『ありがとう』を使っていた時間の方が長い。矯正されてから数か月は違和感しなかった。  それでも、おばあちゃんは『ありがとう』の無い生活に慣れようとしている。俺もそんなおばあちゃんを見習わなければならないのだろう。『ありがとう不要論』は当たり前になって、世の中でも受け入れられている。どれだけ考えようとも、最後には納得して受け入れる他ない。  きっと今日は頭痛のせいで余計なことを考えてしまうのだ。俺はそう結論付けて、この話に終止符を打つことにした。  次の日には『ごめんなさい不要論』が提唱され八年が経ったとニュース番組で報道されていた。
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