ないがとう

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 ジリリリリリリリィ  今日も部屋中に目覚まし時計の音が響き渡る。目覚まし時計を止め、怠い体を居間へと運び、昨日買っておいた朝食用のパンを口に銜えた。体が怠いのは、昨夜大学の先輩に連れられて遅くまで飲んでいたせいだろう。「明日は欠席できない講義があるから」と断ろうとしたのだけれど、あれよあれよと居酒屋まで連れていかれてしまった。そのせいで、今日は酷い頭痛を抱えて大学へ行かなければならない。頭痛がする日はどうでもいいことばかり考えてしまう。俺は少しでも意識を集中させるために、普段は見ないテレビをつける。今の時間はどれも似たニュース番組ばかりやっていたので、チャンネルをころころと変えてどれを見るか決める。せっかく見るならと、可愛い女子アナが映っている番組を見ることにした。  「今日で『ありがとう不要論』が初めて提唱されてちょうど五年になります。今や当たり前の考えとなり、『ありがとう』は世間一般で使われなくなりました。初めはどうなることかと思いましたが、五年も経つと人間慣れるものですね。私もうっかり言ってしまうなんてことも無くなりました。皆さんはいかがでしょうか。」  このニュース番組では『ありがとう不要論』に従い、『ありがとう』を使わない方針のようだ。法律で禁止されているわけではないのだから、どんな言葉を使おうとも表現は自由なのだが。それでも、ほとんどの放送局は『ありがとう』なんて言葉を報道には使わないだろう。  「しかし、『ありがとう不要論』は問題視されることもしばしばあります。そこで、本日は『ありがとう不要論』に関する専門家の方々にお越しくださいました。」  仰々しい肩書きを持った面々が等間隔に並んでいる。専門家と呼ばれるその人たちは昨日も一昨日も一年前も話されたようなことをペラペラと語る。俺はバカだから内容は良く分からないけれど、心理的にどうとか、幸福度がどうとか言っていた。まるで『ありがとう不要論』を肯定するために作ったかのような都合いい話がいくつも出てくる。その話を聞いて、画面に映る全員が首を縦に振って同意を示す。決められた結論に向かって話を進める肯定派だけが集まった議論はまるでおままごとのようだった。  「でも、『ありがとう』って言いたいなら言えばよくないですか?私は言う方でも言われる方でも構わないですけどね。」  そんな茶番劇に画面外にいた置物芸能人が口をはさむ。カメラがその人をアップで映した。写されなくなった演者たちは一体どんな表情をしているのだろうか。芸能人は自分が写されていることを自覚したのか、持論を展開して身振り手振り話をした。一通り終わって、カメラが全体を写す位置に戻る。波紋を呼ぶかと思われたその意見は、発言権が肯定派に戻った途端「一人の感想でしかない」「言う方でも言われる方でも嫌がる人だっている」と一掃された。今の情勢からすれば、当然のことだ。結局、その意見は置物芸能人が必死にアピールをしたかっただけだと裏で笑われるのだろう。  次の話題に移る頃には朝食を食べ終え身支度を済ませていたので、他のチャンネルで天気予報だけチェックして家を出た。
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