たとえそれが・・・どくだとしても? By 歩

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  「で、さ。達磨(だるま)ってあるだろ? 赤いやつ」  私のストック品の中からタケノコの水煮。購入したばかりの地元の酢。  フライか煮物にでもしようと、忠道くんが今朝冷凍庫から取り出していた、冷蔵庫で自然解凍済みの白身魚の切り身。  千切りにした大量の人参と玉ねぎを、生のまま一緒にチャック付き保存袋に入れ、冷凍していたタカさん作の常備具材。  他、甘酢あんかけに必要だろうものを並べていく。 「必勝祈願によく置かれてるヤツですね。選挙とか」 「うむ。その元ネタみたいな人の話なんだけど・・・」  達磨大師(だるまたいし)。彼は中国に実在した、禅宗の開祖とも言えるインド人のお坊さんである。特筆して有名なエピソードである『達磨廓然の話』を、ビニール袋を使って魚に片栗粉の衣をまぶしつつ淡々と語っていく。 「内容めっちゃ端折るし、資料によって描写が違うらしいんだけど・・・」  はるか昔。写経、寺の建設、ありとあらゆる手段、お金を沢山つぎ込んで、功徳をつもうとした権力者が居た。  ある時権力者は、自分がどれだけ徳を詰んだか達磨大師を呼び出して聞いてみた。『自分はどれだけ徳を積んだのか?』。その問いに達磨大師はたった一言『無功徳』と答えたという。 「へぇー・・・」 「要するに、何も徳などつんでない。ってことなんだけど」  資料によって違うものの、達磨大師はその後も。  『ならばどうすれば徳をつめるのか』といった質問には『そもそもそれらは人間が勝手にこうすれば徳をつめる、と。考え出したことで、全ては無意味』といったニュアンスの答えを告げ。  『真に徳をつむにはどうすればいい』との問いには『そうやって求めるものじゃない』なんて返しをしたり。  色々な問答を繰り返し、最後に、『お前は一体何者だ』との最後の問いかけには、『何者でもない』と返して立ち去った。それはまるで、禅の思想をギュッと凝縮したような話。 「最初に言った、無功徳の一言が禅宗の中では度々ピックアップされるんだよ」  ここ重要、と、作業の手を止め人差し指を立てて、彼に向かって意味ありげに強調してみせる。  前置きとして、意味を辞書で引くもしくはネット検索をした際には、『何かを期待して行ったことには何も伴わない』『何の意味もない』といった風な、似ているようで少しずつニュアンスが異なる様々な解釈が出てくる訳だが。  そんな注意を念入りにした上で。 「深く追究していくとさ、忠道くんがさっき言われたっていう『自分に見返りがあることを期待して行動するのは、違うんじゃないか』。大雑把な言い方だけど、こう解釈することも出来る」  隣で興味深そうに相づちを打ってくれていた、忠道くんの顔をぬっと唐突に覗き込む。
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