新入生を歓迎する

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*  きっちりと結んだ、いつもと違うネクタイ。卸したてのワイシャツ。片側だけ丁重に撫でつけられた髪。揺れるカフス。薄く漂うレモングラスの香り。  整髪剤の煩わしさ。第一ボタンの圧迫感。ベルトの窮屈さ。硬い革靴。耳元で木霊する幾つもの音。  明瞭な視界に広がるは、賑やかな光景。  いつもより畏まった格好に息が詰まる。隣を歩く二葉先輩は凛とした顔立ちを引き立たせる、洒脱な雰囲気を纏っていた。ボクとそう変わらない位置にある頭を眺め、足先から天辺まで隙きのない様にひとり頷く。流石。パーティー好き。 「わ、ダメだって晶。髪は弄らないの。せっかく綺麗にしたんだから」  視界の端でちらつく前髪が鬱陶しくて、む、と眉をしかめると二葉先輩におこられた。ひどい。先輩がこんな風にしたというのに。  左腕に巻かれた瀟洒な腕時計で現在の時刻を確認し、するりと視線を外す。 「素材が良いから着飾ると映えるね。流石だよ、晶。この中で一番かわいいよ!」 「先輩のセンスがいい」 「それは前提条件でしょ? 僕の見立てに狂いがあっちゃいけないもん。やっぱりシルエットが良いよねえ。どの方向から見ても完璧だ」    恐悦至極。褒められて誤摩化される。満足げにふふんと笑う先輩が「あ!」と声をあげたので、その方向を見ると雲を衝くばかりのチョコレートファウンテンがあった。周りには果物やマショマロの他、プチフールがざっと並べられている。  すごい。立派。素敵。 「先輩。あれ、あれ」 「何処も汚さずに食べてね」 「わかった……!」  今までで一番立派な返事だったとの講評を頂いた。  しばらく呆けたようにチョコレートが流れる様を観察していた。ロマンの結晶。巨大なパフェが目ではないほど、素晴らしい。発想の天才。 「――…晶。あき、聞いてる?」 「うん」 「染みだけはつけないでね」 「ん」 「いい? 僕はちょーっと用事があるけど知らない人についていかないでよ?」 「ん」 「約束破ったらお気に入りの枕没収ね」 「ん、わかった」  二葉先輩がどこかへ行ったことも半ば知らず、眺めることに満足してお皿とピックを取った。数あるお皿の中からふたつだけ選んで、一種の興奮とともにチョコレートでコーティングさせた。 「あまい……」  やはりロマンの結晶だ。見ているのが一番だった。  とろりとしたチョコレート。つやつや輝いている。甘ったるいそれを嚥下したところでマイクのブツっとした音が会場に響いた。 「皆さん、弦楽部の演奏は――…」  落ち着いたアナウンスが流れる。  後ろを振り返った。煌々と光る照明が様々な服に身を包んだ生徒を照らしている。水槽みたいだと思った。過去に訪れた水族館の、巨大水槽。薄く霞んだ視界。僅かに上気した頬。走り出したくなるような高揚感。様々な魚が泳いでいたが、何よりもあの頑丈さはどこから来るのか疑問だったことを思い出す。  煌めきの既視感。ただ耳元に流れ込んでくる優美な音楽はあそこにはなかったものだ。タイスの瞑想曲だったか、有名な序盤のメロディーに多くの生徒が視線を前に向けた。  すると同時に、曲が明るいものになる。誰だっけ、おそらくはまあ髪がくるくるの人がつくった協奏曲に移り変わった。 「――皆、楽しんでいるようで何よりだ」  マイク越しに響く低音に、生徒が色めき立つ。
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