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人のあごを捉える。切り揃えられた爪が皮ふにあたる感覚と、生徒会役員から注がれる視線。彼らのファンからすれば垂涎ものの状況だ。
グラスは既にサイドテーブルの上で佇んでいた。結露によって硝子の表面には水滴が点在し、金属とはまた違った光りの弾きを見せている。
「綺麗な目だね」
「目?」
「硝子細工みたい」
奇しくも考えていたことが似ていた。思考回路が被ったのかと思うといやだ。油を売っている目の前の男が生徒会とはにわかに信じ難い。理仁は模範的だ。皆が想像し得る副会長を具現化したような存在。元気だろうか。忙しいと言っていた。
コイツがサボっているからでは? この奔放さは普段からとしか思えない。
「ねえ、今夜空いてる?」
「空いてない」
「じゃあ明日は、」
「用事がある」
「明後日も?」
「満員御礼」
つれないねと零す。人を誘うにしては導入が些か下手ではないかと思う。脈絡の欠如だ。まあこういった類いに理性と論理を求める必要はないが。
腰に腕がまわされる。厚みのないそれに「細いね」とだけ言って、また「だめ?」と尋ねてきた。
「名前を知らない」
指が横腹を突く。もしボクが鶏だとしたら、きっと可食部の少なさに廃棄されるだろう。人間でよかった。
「え、知らないの?」
誰もが生徒会を把握しているとは限らない。佐倉に教えられた名前で一致しないのはふたつ。
「来栖か宇田川」
「うーん、惜しい。来栖の方だから覚えてね」
「くるみが会計?」
「わざとでしょ。まあいいや、そう、会計だよ」
「会計は油を売るのが仕事?」
「辛辣だね。最近の行動は反省しているよ。少し遊んじゃったから、いまはちゃんとしてる……すごい疑わしそうだね」
いま何をしているのか見つめ直せ。
「理仁に絞られろ」
「あは、理仁くんのこと認めるんだ?」
「どうせ知っているなら、隠す必要はない」
「別に条件つけて脅したりしないよ?」
それは良かったとは思わない。流石に背中と首が痛いのだが。いい加減どいて欲しい。包囲してくる会計を先程から押しているのだが、特に成果が得られていなかった。筋が軽く浮き上がるくらいには力を込めたが、上から笑い声が降ってくる。
ほら、頑張って。余裕綽々な様子に正攻法は諦めた。
「どいて?」
下から見上げ、ない愛想を絞ってぶりっ子した。すると拘束が緩んだので、ちょろいなと思いつつ抜け出そうとしたのだが。
「もう、」
近づいてきた顔を手のひらで押さえた。むぐ、とくぐもった声が聞こえたが、逆に手首を掴まえられた。手をつなぐ要領で、指が取られる。
面倒な。諦めの悪い男である。
「し、つこい」
「だって君が全然こっちを見てくれないから」
「千里の道も一歩から」
「ええ。一気に縮まらないの?」
「大海の水も一滴より」
想定以上にボクが靡かなかったからか。ようやく諦めてくれたらしい。一貫とした拒否の勝利である。脱力したボクに対し、本来いるべき場に足を向けようとした来栖が、にっこりした。
「今日はそろそろ戻らないと不味いから」
耳元に唇が寄せられ、甘さを含んだ声が残念との意を表した。去り際、柔らかいものが耳殻を掠める。
「また今度ね」
ひらひら手を振って、すぐに姿が消えた。それを見届けて自分も帰ることにした。疲れた。
腕時計を外して、ネクタイを緩めながら出口へと向かっていく。二葉先輩はまだ残るだろうから、メールを送るのは後でいい。今日一日、何気に消耗している。寝よう。睡眠だ。そう思って建物を出た。
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