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「ファンです。ナオミチ、会いたかった。この女、彼女と違うよね?」
ナオに向けられた甘い声が冷たい空気を貫いたが、ナオはそんな彼女にはお構いなしだ。
「は?俺はアンタなんか知らねーけど、ファンなら俺の宝物を大事にしろよ。」
ナオの声は少し上擦って聴こえた。
「・・・。」
外にいた人たちの話し声は一斉に止み、この出来事に注目している。
「で、彼女なら何なの?」
ファンの子は、雨の中、凍りつき言葉を失って立ち尽くしたままだ。
「アキ、震えてる。大丈夫?行こう。」
「でも。」
「いいから。」
と、また私の肩を先程よりももっと引き寄せて、彼女を睨み付けてこの場を後にした。
しばらく歩いてから、人影がなくなったのを見計らって抱きしめられた。静かな弱い雨と傘はふたりを隠してくれている。それから、彼は私の顔を心配そうな顔で覗き込んで言った。
「ごめん。驚いたよね。俺が悪かった。」
「私は大丈夫。知ってる子?」
「全く知らない子・・・。」
「でもあんな事言ったらショックなんじゃない?彼女、言葉を失っていた。」
「ばか。何でアキがさっきのヤツの心配するんだよ。」
「でも・・・。」
「あれはファンの度を超えてる。というか俺はプロじゃないからファンはいらない。それに、彼女だってことを隠していくつもり?それともこういうことが起こるから、もう彼女とかやめたくなった?」
「また・・・。」
すごい勢いで話すナオに対して言葉詰まった私に気づいた彼は、
「ごめん、言い過ぎてる俺。でも隠さなくていいんだって。隠して何の意味があるの?逆に隠したらダメなんだって。でもアキに怖い思いをさせたことは謝る・・・。」
彼は、興奮を抑えながらも興奮を拭い去ることが出来ないように思えた。彼の気持ちを落ち着かせたくて自分のことではないように話すのは私の癖だった。
「でも隠したら人気とか出るんじゃない?もっとファンも増えて。」
「それは言えてるかもな。俺だって仕事ならそうしてるよ。でも、これからずっとバンドでやっていくわけじゃないでしょ。やってもせいぜい3年の秋まで。あと半年ちょいだな。で、バンド終わる。就活。はい、ファンいなくなる・・・でしょ。だからこれからも俺は隠さないよ。もうこれは俺の中で決めてる事なんだ。でも今まで以上に守るよ。約束するから。」
俺の興奮はなかなか治らなかったが、アキの方がもっと怖かったに違いない。俺の我儘で恐怖に晒したのは事実だったけれど、こっそり周囲を騙して隠していく付き合いはどうしてもしたくなかった。この時、ちゃんと彼女にも元カノ事件の話をした方が良いと思った。そして今以上に守っていくしかないとも思った。
そして俺は約束をすると言った時、あの脳裏に浮かんだ光景をまた思い出していた。夕日の中の色褪せた光景での約束。
『そう、俺は黒いマントのようなものを羽織っていて、相手は長いスカートの制服のようなものを着ていて、恐らく女学生だ。これは大正時代か?』
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