A. 始まりの予感

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 それに続いて、ハルトくんがふんわりした優しい独特な口調で言った。 「俺らさぁ・・・シュンがギターで・・・俺がベースで・・・今キーボードとボーカルとドラムを探してて・・・ドラムはもう声掛けてあって・・・多分決まると思うんだぁ・・・経験なくても大丈夫・・・一緒にやってみない?」 「弾くのは自信ないこともないけど、バンド経験ないしキーボードに関する知識とかゼロだから、楽しそうだけど無理。」 と私は即答した。  その時、楽しそうだなぁと思ったのは事実だった。けれど経験がないという大きな問題をクリアすることに自信のない私はそう答えた。そして、そんな私にハルトくんは相変わらずのテンポで、おそらく私の倍くらい遅いテンポで話掛ける。 「それは大丈夫で・・・俺ベースだけど・・・その辺の知識はあるから。」 「でもヘビメタとか私、無理だし。ジャンルとかは?もう決まってるの?」 「音楽的には・・・KーPOP的な感じかな・・・ちょっと聴いてみる?」 「あ、うん。」  楽しそう、やってみたい、仲間が欲しい、経験がない、自信がない・・・という色々な気持ちが頭の中で渦を巻いて掻き乱されている私は中途半端な返答をした。 「ならさ、お昼食べつつ話そうよ。」 シュンくんのこの言葉で、3人で学食へ向かうという流れになった。もう講義を受けていた教室には私たち以外誰もいなくなっていた。  うちの大学の学食の売りは私学らしく充実したメニューと高いクオリティだ。そして地方からきた私にとっては痛い出費となる値段の高さだ。お昼のランチをここですると、1日分の食費をほぼ使ってしまう。ハルトくんとシュンくんは東京出身で実家暮らしで、あまりお金のことも気にしていないように思えた。その証拠にテーブルを挟んで向かい側に座る二人はAランチにサイドメニュー、さらに飲み物をオーダーしていて2千円は余裕で超えているなと思ったからだ。一方、地方出身でバイトもしていない私はパスタに持参したお茶だったけれども、私にとってこれはかなり痛い出費に違いなかった。  そして地元出身の二人を見ながら、私は第一志望が地元の駅弁大学だったことを思い出していた。ちょうど一年前の話だ。この大学よりもレベルは低いかもしれないけれど、家から通学できるというのが私の大きな志望理由だった。あの頃、希望する地元の大学に不合格になるなどとは思ってもみなかったし、地元を離れて東京のこの伝統ある有名私学に受かって一人暮らしをすることになるなんて考えてもいなかった。地元の大学への進学を強く望んでいた母は不合格を知り強く罵り、東京の私学への入学と上京の後、私への興味を無くした。上京後に母が連絡をくれたのは一年でたった2回だけだった。昨年末に帰省はしたけれど、父と母は友人と約束をしているからと旅行へ出かけお正月は祖母と二人で過ごした。私が高校生に入学した頃から祖母は認知症を患っており、帰省中何度も私を家族とは認識出来ずに他人扱いをされた。私に世話を押し付けたと言っても過言ではないだろう。もう実家には私の居場所などないことを知った。
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