A. 始まりの予感

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 ここ最近仲良くしていたことは事実だ。そして彼を頼っていたことで勘違いをさせてしまったのかもしれない。驚きのあまり固まって言葉を失って動けずにいたものの、このバンド4人の中での恋とか愛とかは前前から違うような気がしていたから、結構冷静に受け止めている自分もそこにいた。一度友達になった人とは恋に落ちないという自分の中のルールもわかっている。だから彼に対してそういう気持ちを持ったこともなく、恐らくこの先も持てないことも自分は知っている。でも心配なのは、イケさんの気持ちを断ったことでこのバンドの関係性はどうなってしまうのだろうということだ。いや、きっともう昨日までの関係性とは違っている。もしかしたら私はバンドを辞めなくてはならなくなるではないだろうか。 『どうしよう』  その言葉が私の頭の中を駆け巡るばかりで、結局眠れないまま日付は変わっていた。窓からカーテン脇に差し込む朝日がやけに眩しい。  翌朝には、ハルトくんに相談することを私は決めていた。バンドの取り仕切りがハルトくんだったからというのは表向きで、きっと優しいから自分をわかってくれると思ったからだ。  講義の合間にハルトくんにこっそりと、横で居眠りをしているシュンくんには気付かれないように注意を払いながら話しかけた。 「ハルトくん、相談したい事あって?」 「うん・・・いいよ・・・何何?・・・キーボードのこと?」 相変わらずのふんわりとした独特の口調にいつもなら気が抜けてしまうのだが、今日は少し違う。 「そうじゃなくて。」 そう言った私の言葉に、ハルトくんはいつもと違う私に気が付いたようだった。 「アキちゃん・・・どうした?」 私はシュンくんに聞こえないようにと、シュンくんを一度見て、内緒の合図を右手でした。 「午後の講義が・・・終わったら・・・バイトの前に・・・一旦ここで。」 というハルトくんの言葉に私は、右手で今度はオーケーサインをした。今日は練習をしない日で、メンバー全員がバイトを入れている日でもあった。  先ほどの教室の前で待っていると、ハルトくんが急いでやって来た。 「ごめん・・・待ったよね・・・シュンがしつこくて・・・。」 「大丈夫だよ。こっちこそごめん。」 「で・・・どうした?」 「イケさんに告られたんだけど、どうしよう?」 「は?・・・そっち?・・・俺恋愛とか・・・全然わかんないよ。」 「それは知ってる。」 「おーい!・・・で・・・いつ告られたの?」 「昨日。」 「好きなの?・・・イケさんのこと?」 「好きだけど、そういう感情ではないから。」 「だったら・・・そう言えばいいと思う。」 ハルトくんのあまりに真っ直ぐな答えに会話が途切れた。 「でも断ったら、このバンドの空気が気まずくならないかなって思うから。」 と、がっつく私を横目にハルトくんはいつもと変わらないペースで続けた。 「空気が・・・変わったとしても・・・それは仕方ないよ。・・・気持ちがないのに・・・付き合ってもらっても・・・きっと・・・嬉しくないよ・・・イケさんも。」 「・・・。」 「それに・・・昨日告られて・・・今日俺に・・・相談してる。・・・自分の気持ちは・・・決まってるってことよね。・・・それとも・・・気持ちがないのに・・・嘘ついて・・・付き合う?・・・アキちゃんは・・・付き合える?」 「・・・。」  私はきっとハルトくんがそう言ってくれると思っていた。恋愛経験がないから分程真っ直ぐだから、そう言ってくれるのではないかとどこかで期待していた。でもハルトくんには絶大なる信頼を寄せているのも確かだった。 「うん。気持ちは決まってるというか、私は大切な友達を恋人にはできないタイプなんだよね。」 そんなことをハルトくんに言っていたが、これは私が中学生の頃に学んだことだった。大切な友達と付き合って別れて、大切な友達を無くしてしまったという過去の経験から、友達とは恋愛しないというルールを私の中で決めたのだった。 「そっか・・・俺は・・・それをそのまま・・伝えても良いと・・・思うけど。」 私はそんなゆっくりなテンポのまっすぐなハルトくんの言葉に、もしかしたらハルトくんが二人の間に入って上手く断ってくれるかもしれないと期待していた自分が少々情けなく思えた。この時私は、人の優しさに甘えてしまう自分が嫌いだと思った。  今日は幸いなことに家庭教師の日だ。メンバーみんながバイトを入れている木曜日だった。 『明日にはきちんと伝えよう』 私はそう決めた。
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