3人のブルーモスク

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3人のブルーモスク

「あんたが!あんたが!薫子守らなくてどうすんのよ!」 私は薫子がいつも被っている傷だらけになった真っ赤なヘルメットに向かって悲憤をぶつけて呟いた。 「久美子・・・久美子?」 幸太郎が私を引き寄せたその手を振りほどいて私は薫子に語り掛けた。 「薫子なにやってんのよ・・・こんなところで、うそでしょ ねぇ 薫子返事してよ!」 「幸太郎!薫子起こして!」 「薫子・・・起きて、起きてよ! 早く家に帰ろう!」 真っ白なシーツに包まれた薫子を前にして私たちは無力だった。 私は、ただベッドの前で立ち尽くして、人目をはばからず泣き叫んだ。 「神様は私からまた大切な人を奪い去るの?・・・神様が・・・」 強く噛んだくちびるに血がにじんでいた。 「薫子 なんで? 」 そのあとのことはあまり覚えていない・・・瞼が悲しみと怒りの涙が枯れ果てたあと痙攣していた。 「薫子・・・家、かえってきたよ」 「おかえり・・・かおちゃん」 おばあちゃんとふたり薫子に語りかける。 家族だけのお葬式が終わって薫子は小さな箱に入って自分の部屋に戻ってきた。 「薫子、部屋 入るね・・・あぁ絵の具の匂い、薫子の匂いがする」 そう呟いたら、また涙が溢れてきた。 「あれっ?なんだろ?」 アトリエの奥には白い布をまとったキャンバスが立てかけられてあった。 私はゆっくりとその白い布をはがして息をのんだ。 「あぁ これって あの時の・・・私?」 そこには真っ青な空を突き抜ける雲の下、サーフボードを抱えて海を見つめている女性が描かれていて絵の右下には小さく「Kaoruko」とサインが書かれていた。 「薫子・・・あの日から・・・これ描いていたんだね」 私はKaorukoのサインを指でそっとなぞって、薫子の姿を探していた。 「薫子、寂しいよぉ 私 これからどうしたらいいの」 (久美子には幸太郎がいるでしょ!アニキのことよろしくね) 「薫子ならきっとそう言うに違いない」 「久美ちゃん、お腹すいたでしょ少し食べないと」 隣の家からおばあちゃんの声が聞こえた。 「今日はかおちゃんの好物作ったのよ、幸太郎くんもいっぱい食べてあげて」 食卓には明太子がたっぷり入っただし巻き卵と肉じゃが、真っ白なご飯と野菜たっぷりのお味噌汁、そしておばあちゃんのぬか漬けが4人分用意してあった。 「いただきます・・・」 私たちはいつも薫子が座っていた場所を見つめて無言で食べ始めた。 「ぅうぅ~ぅ」 隣には大きな身体を震わせて、明太子とご飯を頬張っている幸太郎が鼻水を垂らしていた。 私は無言でティッシュボックスを幸太郎に手渡した。 遺骨は橘家の菩提寺で供養してもらうことになった。 薫子が卒展で描いたあの油画は私がもらって、今はリビングに飾ってある。 私たちの家にはそのまま幸太郎と私が住むことになって、週末はおばあちゃんの作ってくれた美味しいご飯で幸太郎は5キロも太った。 「麻生さん~麻生久美子さんに荷物です~」 49日の法要も終わって、外の冷たい空気に冬の訪れを感じ始めた日曜日の朝、小さな小包が私宛に届いた。 「え?薫子?なんで?薫子から?」 間違いなく依頼主欄にはここの住所と見覚えのある独特の字で安藤薫子と書かれていた。 「あっ!このリング」 小さな箱を開けると中には薫子がつけていたのとお揃いのピンクゴールドの指輪と直筆の手紙が添えられていた。 「久美子、いつか作ってあげるって約束していたピンキーリングやっと出来たよ、私とお揃い!久美子が寝てる時サイズ測ったからピッタリのはず!エンゲージリングはアニキに買ってもらってね!」 手紙を何度も何度も読み返す、何度も何度も・・・ 「薫子・・・ありがと」 私は大粒の涙を拭きながら薫子が作ってくれたピンキーリングを左手の小指に通した。 「似合う?・・・薫子 ほんとピッタリだよ」 一周忌も過ぎて、薫子が言ってた通り、幸太郎からステキなエンゲージリングをもらった。 そして、私と幸太郎はたくさんの祝福に包まれながら満開の桜が咲く鶴岡八幡宮の神殿で結婚式を挙げた。 「幸太郎!遅れちゃうよ!はい!お弁当」 「ぁあ~ヤバっ いってきます!久美子?体調?大丈夫?」 「もぉ~大丈夫よ順調!毎日同じこと訊くんだから~」 「いってらっしゃい!気をつけて!」 「いってきます!」 薫子が使っていた真っ赤な自転車に跨って鎌倉駅に向かう幸太郎の後ろ姿を見送りながら私はお腹をさすった。 「そう、来年 私は母になる」 38週目の臨月を迎えたある日、幸太郎は神妙な顔をしていつもより少し早く帰ってきた。 「おかえりぃ幸太郎?早かったのね、どうしたの?会社でなんかあった?」 私が大きなお腹で台所に立っていると幸太郎が小さな声で話し始めた。 「今日人事部に呼ばれて・・・」 「うん?人事部?」 私は夕食の支度をしながら耳を傾けた。 「マレーシア・・・転勤だって」 「えぇ~マレーシア?ってあの・・・ブルーモスクのある?」 「ブルーモスク?」 「いつから?」 「・・・10月」 「そっかぁ、じゃあ来年は3人でマレーシアね!」 そう言って私は大根を真っ二つに切った。 「いいの?久美子は?それで」 「商社マンなんだから幸太郎は、少しは覚悟はしていたし」 「ありがと、久美子・・・なんだかさ・・・」 「なんだか?なに?」 「いやっ」 「なによぉ言いなさいよぉ 気持ち悪いなぁ」 「うん、久美子・・・少し薫子に似てきたなって思って」 「え?そぉ?」 「今は僕が久美子から力をもらってる!」 幸太郎はそう言って私の大きなお腹をさすって笑った。 幸太郎がマレーシアにひとり旅立って、落ち葉が増えて、木枯らしが吹いて・・・冬が過ぎ また段葛の桜が満開になった4月、幸太郎が私の出産に間に合うように帰ってきた。 「橘さん~おめでとうございます!元気な女の子ですよぉ」 そして私は母になった。 「ありがとう、久美子!本当にありがとう」 元気な産声を上げてる私たちの娘を見て、大泣きする幸太郎が隣にいた。 名前は女の子ならとふたりで決めていた、いつも太陽の光のように明るくて、温かくて、みんなを照らし、照らされて、いつも光に恵まれるようにと願いを込めて「光恵」と名付けた。 光恵が3歳になった春、私たちは幸太郎の待つマレーシア クアラルンプールに降り立った。 「久美子、光恵、二人共お疲れさま、機内大丈夫だった?」 「うん、みんなよくしてくれて、光恵もごきげんだった」 首都のクアラルンプールの空気は南国特有の蒸し暑さで光恵は少しぐずり始めた。 これから私たちが住むコンドミニアムに向かう途中、念願のブルーモスクに立ち寄った。 「これが、ブルーモスク・・・お父さん、お母さん 私もやっと来れたよ」 隣には薫子に少し面影のある光恵が、幸太郎に抱かれて嬉しそうに笑っていた。             〜おわり〜         M.Yさんありがとう
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