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派遣社員と読者
GO TOトラベルキャンペーンが東京にも拡大された10月、各地の観光地は賑わいを取り戻していた。
僕は正式に離婚が成立して、北鎌倉のアパートから鎌倉長谷へと引っ越すことにした。この長谷は今書いている小説の主人公が住んでいる街、行きつけのWOOF CURRYが近くにあるのもその理由だった。
GO TOキャンペーンで鎌倉にも観光客が戻ってきてお店も繁盛している様子だった。
「おはようございます~」
「えぇ~と鯖に目玉焼き!お願いします」
「高橋さん、飽きないんですか?いつも同じメニューで」
お釣りを渡して店員はそう言って笑った。
「ここの焼き鯖は絶品だからね!」
「フフフありがとうございます、じゃあ3番でお呼びしますね」
鳩の形をした番号札を受け取り、歩道に面した席に座る。
お気に入りの朝ごはん屋 「コバカバ」は週末の朝ごはんの定番になっていた。
「3番で〜す」
家で焼き魚をするのは少し面倒で、注文するのはいつも決まって焼き鯖と目玉焼きを追加してもらう。
味噌汁も野菜たっぷりで、九州の大豆と麦を使って丁寧に作られた鹿児島の味噌はアパートの自炊でも使っている。
今朝の味噌汁はレンコン、サツマイモ、しめじ、ゴボウがたっぷり入って僕の身体を労ってくれる。
「今日も美味しかった!ごちそうさま~」
「ありがとうございます、またお待ちしています!」
少し秋めいてきた鎌倉の街を海に向かって自転車を走らす、最近は由比ヶ浜で小説を書くのが週末の日課になっていた。
設定は10年前の3月11日金曜日、そぉあの日 東日本大震災、第9章『確信』主人公の亜美は部長の堤にどんどん魅かれていく最中、乳癌の骨転移を告知される。
そして、品川のオフィスで大きな東日本大震災の揺れに見舞われる。
ふたりはお互いの無事を祈る・・・やっとつながる携帯電話、堤の声を聴いた亜美は堤への自分の気持ちに確信を持つ。
空を見上げると鳶が秋の大空を旋回しているのが見えた。
第10章Signまでを書き終えて『小説家になろう』のページにアップしようとした時感想が届いているのに気づく。
「あれっ?感想って?この小説にそんな?」
「もしかして?三橋が?」
「桜色の涙の読者です。私も主人公の亜美さんと同じような境遇で、どんな作者さんが書かれているのかなって思って・・・もしかしてノンフィクションなのかな?すみません変な事訊いちゃって、次回も楽しみにしています」
投稿者の名前は上原遥と書かれていた。
「上原遥さんか・・・どんな人なんだろう?でも読んでくれたんだ」
そう思うとなんだかとても嬉しくて、僕はまた空を見上げていた。
小説のペンネーム『橘あきら』 読んだ人は作者が女性だと思うのだろうか?ましてや小説の題材が乳癌・・・
僕は秋空の広がる由比ヶ浜で初めての読者?上原遥に宛てて返事を送った。
「はじめまして、“桜色の涙”読んでもらってすごく嬉しいです、誰かに読んでほしくて書いた訳じゃないけど、安心してください、これはフィクションです」
「三橋?じゃないよな?」
新規感染者数が増加に転じた10月下旬、齋藤美穂の後任の面接があった。
「高橋部長のアシスタント、派遣社員にすることになったんですが・・・」
総務部長の大谷が耳を掻きながら言った。
「このご時世だし、僕は派遣で何も問題ありません」
「そう言ってもらえると・・・開発部の田中部長なんか正社員じゃなきゃダメだって 無理言うんですよ、セクハラですぐ辞めさせるくせに」
そう言ってニヤリと笑った。
各派遣会社の推薦者の面接を終えて、11月から松嶋涼子という女性にお願いすることになっていた。
齋藤美穂からは時々メールがくる。
「高橋部長、お元気ですか?私のお腹もどんどん大きくなって、最初は口もきいてくれなかった父も最近優しくなりました(笑) 人の噂も七十五日と言いますが、私負けないでここでやっていきます」
「斎藤、強くなったよな・・・」
11月2日月曜日、派遣社員の松嶋涼子が営業アシスタントとしてやってきた。
年齢は36歳と聞いていたが思ったより若く、化粧っけがない割には若々しく見えて、すぐ若い社員とも打ち解けてお昼に出て行った。
「高橋部長は?お昼?愛妻弁当とかですか?」
「松嶋さん・・・今、それは」
営業の石田が小さな声で遮った。
「俺は、このレポート仕上げてから行くから」
「すみません、お先に行ってきます」
「まずいよ・・・松嶋さん!その話題は」
小声で話す石田の声が聴こえた。
「どうやら、俺が離婚したことは知れ渡っているみたいだな・・・人の噂も か・・・」
僕はデスクでひとりレポートを書き終えて、午後1時過ぎ遅い昼食に出ようとしたその時、派遣社員の松嶋涼子がデスク前に立っていた。
「ん?どうした?」
彼女は少し周りに目を配って誰もいないのを確認して言った。
「高橋部長!」
「だからなに?」
「離婚なさったって本当ですか?」
「いきなりまっすぐな質問すんだな」
「すみません、こういう性格なので・・・」
「あぁ、離婚した先月ね、会社は総務以外言ってないけど、こういうのって伝わるの早いんだな」
そう言って席を立った。
「私、部長のこと好きです!」
「はぁ?なに言ってんの・・・だって」
「面接した時から・・・私」
「ちょ、ちょっと待って・・・あのぉ」
「ご迷惑はお掛けしません、ただ言っておきたくて、気持ち、私の」
「ん~んん、とりあえずわかったから・・・」
僕はそう言ってその場を離れた。
「なんなんだ?急に・・・離婚?したからか?こんな正面切って告白されたのは告白されたのは小学6年生の転校生以来だよ・・・」
天もりの蕎麦をすすりながら、そんなことを思い出していた。
「あの時もびっくりしたけど、今回はそれ以上だな・・・なんで俺なんか?」
蕎麦湯をもらって店を出る。
デスクに戻ると松嶋涼子が近づいてきた。
「なに?専務が戻ってきたら部屋に来るようにと」
「あっそう、わかった」
彼女は何もなかったように自分の席に戻って仕事を始めていた。
明らかにGO TOキャンペーンの影響で新規感染拡大が全国的に見え始めた11月
未だキャンペーンは継続されていた。
あの日以来、松嶋涼子は変わった様子もなく、淡々と仕事をしている様子だった。
「お疲れさまです~」
「ぉお、お疲れさま!高橋部長ちょっといいですか?」
齋藤美穂と同期だった宮島えみが声を掛けてきた。
「お~どうした?斎藤のことか?」
「いいえ・・・部長のことです!」
「俺の? じゃあスタバでも寄ってくか?」
「はい、ごちそうになります~先にお店で待ってますね、会社ではいろいろあるんで」
「いろいろ?」
「じゃ、あとで」
そう言ってエントランスを駆け出して行った。
「じゃあ、私は~ベリー×ベリーレアチーズフラペチーノで」
宮島えみはこちらをチラッと見てオーダーした。
「じゃあ、チャイティラテトールホットでお願いします」
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