作者 橘あきら

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作者 橘あきら

「高橋くん・・・何も変わらないわね、あの時のまま」 「そうか?あまり成長してないのかもな・・・」 「お昼、ごちそう様、鰻なんて久しぶり美味しかったわ、ありがとう」 「あぁ・・・それより葬儀にも行けなくて」 「いいのよ、こんな時期だし、小説考えてみてよね、書いたら私、批評してあげる」 そう言うとあの頃のような悪戯っぽい顔をして笑った。 「じゃあまた・・・」 「うん、またね・・・」 そう言って三橋は赤坂見附駅の方に歩いて行った。 「なんだか・・・キレイになってたな」 信号待ちをしている時、思わずそう呟いていた。 「なに 考えてんだ・・・俺はこんな時に」 緊急事態宣言が解除されて感染者数も減りだしたと思われた6月上旬から7月に入ると感染者が急に増えだし、確実に第2波が来たことを実感していた。 都内の新規感染者数が300人を超えた7月下旬には全社にリモートワークの指示が出て、僕も週2日リモートとなった。 「わかった、じゃあ来週もZOOMで」 「まったく、ZOOM ZOOMってこれじゃ会社にいる時より忙しいじゃないか!」 北鎌倉のアパートの一室でひとり文句を言って窓を開けるとミンミンゼミの鳴き声で暑さがさらに増したような気がした。 「今日は、これで終わり」 そう言って僕は自転車をこぎ出し鎌倉駅の方へ向かった。 蝉の鳴く緑のトンネルをくぐり20分ほどでスターバックスが見えてくる。 店内はソーシャルディスタンスでいつもの半数位の席数しかなくアイスラテグランデを持ってテラスに出た。 「書いてみるかぁ 三橋が言ってた小説・・・」 そう言って持ってきたパソコンを広げた。 「主人公は・・・柴咲亜美 39歳・・・」 彼女のことを想像してキーボードを夢中で打ち込んでいく。 「あっもうこんな時間か・・・」 気づくと初夏の夕暮れがテラス先のプールを照らしていた。 「結構書いた・・・よな」 夢中で書いた小説はWordで10枚にもなっていた。 「やっぱどうしても恋愛小説になってしまう・・・」 Wordを読み返すと明らかにこれから恋愛に発展していくで あろう柴咲亜美のふるまいが書かれていた。 「そろそろ帰ろう」 時計を見ると夕方6時半を過ぎていた。 「夕食・・・どうしよう」 自転車で御成町を抜け長谷方面へ向かうと行きつけのwoof curryの看板が見えてきた。 「こんばんは~」 「ぁあ高橋さん、いらっしゃい」 「スペシャルお願いします」 「ラッキョウ抜きですね、いつもありがとうございます」 そしていつもの2階の席に座った。 「でも・・・これってどうやって読んでもらうんだ?」 カレーが来るまでWordを読みながら考える・・・ カレーが運ばれて立ち上るスパイスの香りが食欲を刺激する。 「うぅ~ん 美味しい」 茄子やミニトマト、ゆで卵も入っているこのスペシャルカレーが無性に食べたくなって鎌倉に引っ越して良かったと思う瞬間だ。 大好きなたまごはいつも最後に取っておく、カレーを食べながらスマートフォンで検索してみる。 「小説を・・・あっこのサイト・・・」 「小説を読もう」のページが出てきて、その右上に「小説家になろう」の水色の文字をクリックするとその投稿サイトは現れた。 「作者名か・・・あっそうだ! 橘あきらでいいか?」 娘の希実の部屋に入った時、本棚にあったコミック「恋は雨上がりのように」の主人公の名前を思い出した。 「お父さんも読んでみなよって言われたんだよな、主人公は確か・・・17歳の女子高生だったけど、よし!これでいこう」 最後のたまごを食べてユーザー登録を終える。 「別に小説家になりたい訳じゃないけどな・・・」 そして自分の書いた小説「桜色の涙」の1章から3章までをアップした。 主人公は乳癌を患って手術をしたシングルマザー・・・ 「こんなん誰が読むんだよぉ」 「お仕事ですか?」 「ぃいや、まぁ」 「世の中リモートワークで大変ですよね、高橋さんも?」 「そうなんだよ、毎日毎日ZOOM会議ばかりで、また来るよごちそうさまでした、おいしかった!」 「コロナでうちもネットショップ始めたんです、高橋さんのお知り合いにも是非」 「そっか・・・鎌倉もずいぶん人少なくなったもんな~わかった宣伝しとくよ!」」 日が暮れて少し涼しくなった鎌倉の街、風を切って走る自転車。 物語の主人公は鎌倉生まれ鎌倉育ち、いつしかこの物語をイメージしている自分がいた。 うなぎ屋で交換した三橋のラインに小説のことを報告するとすぐに返信が来た。 「高橋くん本当に書いたの?」 「リモートワークも増えたしね・・・」 「どんなストーリー?」 「まだ3章しか書いてないから」 「もう3章書いたの?すごい!小説家になろう!ね、早速検索してみる」 「小説のタイトルが “桜色の涙”なんてありきたりだろ?」 「高橋くんらしい(笑)」 「なんだよそれ」 「読んでみるね、ありがと」 そんなラインのやり取りを終えて冷蔵庫から冷えたビールを出してベランダに出る。 「俺・・・こんなことやっていていいのか?」 少し後ろめたい気持ちを誤魔化すようにビールを一気に飲み干した。 鎌倉の夏も本来なら稼ぎ時のはずが、紫陽花祭り、海の家も見送り海水浴も制限され閑散としていた。 そんな中、久しぶりの出社でガラガラの総武線快速で新橋へ向かう。 「おはよう~暑いね今日も」 「おはようございます、お疲れ様です」 キャップを被ったビルメンテナンスの女性が挨拶する。 「清掃は社員が出社しなくても?」 「はい、コロナでいつもより念入りに」 そう言ってその女性は笑った。 「ありがとう」 僕はそう言ってエレベーターに乗った。 以前、若い社員がビルメンテナンスの女性に対してぞんざいな態度を取った時、僕は自分でも驚くほど激高したことがあった、今でいうキレたってやつだ。 それ以来ビルメンテの方々は皆さん僕に声を掛けてくれる。 10階のオフィスに着くとアシスタントの齋藤美穂が声を掛けてきた。 「おはようございます、高橋部長」 「おはよう、何か変わったことは?」 「うちの会社リストラするって本当ですか?」 齋藤美穂は僕のデスク前で小声で訊いた。 「誰が?そんなこと?」 「え?違うんですか?」 「そんな話、全くないよ!」 「な~んだ、ヤバかったら実家帰ろうかな~って、じゃあ部長まだまだお願いします」 そう言って席に戻っていった。 リストラまではいかないけど、会社業績は悪化の一途をたどっていた。
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