光陰

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 親父が末期がんであることを医者から告知されたのは、ほんの2ヶ月前。 「まずは1年持つことを目指しましょう」 と始めた抗がん剤治療は効果を得られず、3ヶ月持たないかもしれないと告げられてしまった。手立てがなくなり私たち家族は残りの時間をどう過ごすか、という方向に切り替えざるを得なかった。  ふと私は、今まで親父にろくに感謝の言葉をかけていなかったことに気づいた。あえて言う必要がない、というよりはその概念がすっぽりと抜け落ちていたのだが、親父の寿命が迫る今、どうしても感謝の言葉を伝えたかった。  しかし、余命については伏せられていた親父。つい2週間前までは、俺が何か言うと耳の遠い親父は耳に手を当てて聞き直しては、大丈夫だから心配するなとまだまだ仕事をするつもりでいた程。そんな親父に、突然感謝の言葉を言ったら、先が長くないことを暗に伝えてしまうのではないだろうか。  私は葛藤した。そして、今まで言わなかったことをひどく後悔した。  そんな折、水分がうまく取れなくなった親父は、病院へ点滴を打ちに行く事になった。衰弱も進んでいたため、入院するかもしれない。そうしたら、もう会うことができないのだ。  車の準備を待つ中、一人階段にすわる親父の手を握り、私はこう言った。 「俺、お父さんの子供で良かった。ありがとう。」  耳の遠くなった父に、その言葉が届いたかはわからない。しかし、まだ笑うことができた親父は、そっと私の肩を叩いて微笑んでいた。 「病院に行くよ。」  妹に呼ばれて車に向かう親父は、私の手の感触を確かめるようにしっかりと握っていた。 ーー3時間ほどすると、親父は点滴を終えて帰ってきた。栄養点滴をすると入院が必要なので、水分点滴だけにしたのだという。  車から降りた親父の足元はやはり不安なので、私は再び親父に手を貸した。家へと向かう中、先程のように私の手を何度も握りしめると 「すこしむくんだんじゃないか?」 と、笑いながら言ってきた。 「お父さんには言われたくないよ。」  私は、自然とそう返していた私自身に驚いた。もしあの時、感謝の言葉を伝えていなかったら、きっと、そう返すこともできなかっただろう。  ここに来て親父との大切な思い出を作れた事を、私はとても嬉しかった。 <了>
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