1話「君はコロッケを作らなくていい」と彼は言った。

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「うん、あと数回飴を舐めてれば毒も抜けるぞ」  ドクターが笑う。  定期検診。重たい鎖に繋がれた部屋の主が忙しなくいきかう。子供達の主治医。彼がいつからこの地下に居るのかは知らない。 「……君が生きていてくれて良かった」 「この飴、あの時点ではなかったんでしょう?」  その言葉を拒むように、私はその事実に触れた。  ドクターは瞑目する。 「ああ。君に与えられた毒は標的を殺したあと、君の命をも奪うものだった。  ……ごめんな。立場上、謝る事が出来ない。恨んでくれて構わない。  ただ、君の行動が多くの人を救ったんだ」 「違うわ」  ふるふると首を振る。  私が今、生きているのは、私の行動の結果ではない。彼が気まぐれを起こしたからに過ぎない。 「それに、謝れないことを謝るのはおかしい」 「──彼は、本来使うはずだった術式の演算を止めて、自分を殺そうとした少女を救うために労力を割いた。  どうして彼は、そこまでしたんだろうな?  悲願だったはずだ。沢山の屍を踏みしめて成そうとした事のはずだ。  けれど、結果としてこの飴が存在して。  彼は、命を失った。  君は、生きている」  ぽつり、ぽつり。先生が言葉を紡ぐ。  雨だれのように私を打つ声。 「コバルトブルーは言ったの」 「コバルトブルー?」 「怖いくらいに綺麗な青い目だったから」 「……ああ、そうだった。それで、彼はなんて?」 「君はコロッケを作らなくていい」 「まぁ作るの手間だよな」 「そうなの?」 「きっと作ってみればわかる。そうだ」  先生が手元の板を操作すると、テーブルの上に像が紡がれる。 「これ、君にやる」 「これは?」 「コバルトブルーの遺産。彼の思考術式だ。危なそうなやつは抜いてしまったからほとんど抜け殻だが」  まっしろな兎。ふわふわしてあたたかそうな。青い瞳の兎。  彼(あるいは彼女)をそっと抱きしめる。  今なら言えるだろうか。私は戻ってきてからずっと抱いていた願いを絞り出す。 「私、陛下に会いたい」  会って真意を聞きたい。  遠い昔に空から降りてきた美しい異形。 「……申請しておく。叶うといいな」  こくりと頷く。  退室しようとドアノブに手をかけた時ドクターは言った。 「君は女王陛下の薔薇だから」 「──そんなことをいうのはドクターだけよ?」  それを無邪気に信じていた頃には戻れない。  振り返らないまま自嘲する。そのままドアを潜って螺旋階段を上がる。上へ上へ。
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