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第1章 宵闇 2
逞しい腕が腰に回され、カイの身体がぐっと隣りの男に引き寄せられた。頬がレイヴィンの厚い胸板に押しつけられ、針葉樹と焚き火の煙が混じったような匂いに囲まれる。
こういう不意打ちのような接触は止めてほしい。カイの心臓が馬鹿みたいに跳ねている。
「・・・カイ、寒いか?」
「レイヴィン、ちっ、近いよ」
「だが、冷えるんだろう?」
「だからって、抱き合わなくても」
「・・・俺は雪嵐で遭難した時、すごく不本意だったが親父と抱き合って暖をとったぞ」
「ぶっ、くふふ。そうか、あのお父上と」
「・・・そう、あの親父だ」
レイヴィンが唸るように応えた。カイは髭面で如何にも無骨そうなレイヴィンの父親を思い出した。大きな体の2人が、冬眠中の熊のように抱き合う姿が思い浮かぶ。凍傷で生死を彷徨ったのだから全く笑いごとではないが、どうしても込み上げてくる笑いを耐えられない。
「こっちの方が断然いい」ぼそっとレイヴィンが呟くと、カイの身体を掬い上げ、自分の膝の上で横抱きにした。カイは途端に全身を強張らせた。膝に乗せられたせいで、カイの方がわずかに目線が高くなる。首筋にレイヴィンの吐息がかかった。男らしい端正な顔に間近で微笑み、カイは恥ずかしさで居た堪れなくなり、身を捩った。
「レイヴィン、こっ、子供みたいで恥ずかしい」
「大人しくしてろ。すぐに温まる」
レイヴィンはそっとカイの手からカップを取り上げ、笑ったお返しだとばかりにぎゅうと抱きしめた。身体に巻きつけた毛布ごと、カイは温かい体温にすっぽり包まれる。
ああ、こういうのは本当に困る。カイはくらくらする頭の中で喚いていた。
レイヴィンの側にいると、不思議と気持ちが凪ぐ。自分とは生まれも育ちも違うが、何処かレイヴィンとは深く通じるものがある気がするのだ。山で竜に遭遇した時も、先程村で長らと対面したときも、レイヴィンは自然と寄り添うようにカイを手助けしてくれた。それなのに、こんな風に近しい距離で触れ合ってしまうと、肌が粟立ち胸の奥がぎゅっと絞られたように痛くなる。
緊張で強張るカイの背中を、レイヴィンの大きな手が宥めるようにぽんぽんと叩く。次第にカイは力を抜き、おずおずと両手をレイヴィンの首に回して頭を軽く抱いた。目の前に広がる艶やかな黒髪に指を滑らせてみる。肩口に鼻先をぐっと押し付けたレイヴィンがくくっと笑い、密着した身体を通して、心地良い振動が伝わってきた。
「俺は、灰銀竜はずっと年寄り達の寝物語だと思っていた」
レイヴィンがカイの肩に頭を持たせかけながら、呟いた。
「竜が居なくなって、技術が幅を利かせるようになったが、こんな辺境じゃ恩恵も少ないしな。俺達は細々と狩りや農業で生活しているが、ますます王都に取り残されている。年寄り達は王都との力の差を嘆いて、昔を懐かしんでいるだけだと・・・」
「俺の生まれた場所も、似たようなものだったよ。子供達は大きくなると、だいたい家業を継ぐより出稼ぎに出る」
カイの村の近くにエネルギーの発電所があり、働き盛りの者はそこで肉体労働していた。カイの父親も親戚も近所の男達も、みんなだ。暗闇の中で爆ぜる焚き火に視線を注ぎながら、カイは皮肉げに続けた。
「俺の父親は、技術に依存していたし、憎んでもいた。どんなに朝から晩まで身体を酷使して働いても、発電したエネルギーは全て王都に送られ、俺達の村には還元されない。かといって、村は廃れてしまって、生活するには出稼ぎしか方法がない」
カイの声に苦々しさがこもっていたのだろう。レイヴィンが頭をもたげ、カイを見つめた。硬い節くれた指がカイの頬に触れた。
「俺の場合は成績が良かったから、期待されて王都の学校に送られたけどね。結局、言われた通りに技師になるんじゃなく、竜の研究を選んでしまったから、とんだ恩知らずって訳さ」
「カイ、お前には魔力がある。竜に携わったのは必然だろう」
「その魔力だって、父親にとっては価値のないものだ。下手に王都に楯突いてると疑われたくないし、捨てるべき昔の慣習みたいなもんだ」
「だが、お前は諦めなかっただろう。そのおかげで、俺はカイに出会えたし、竜にも導かれた」
かさかさと頭上で枝葉が風に揺れ、近くを小動物が動き回る気配がする。夜の森は意外と賑やかだ。森林の奥で番を求めて鳥が鳴き交わしている。黒い樹々の切れ目から空が覗き、眩いばかりの星が瞬いていた。
「俺は、カイに会えて嬉しい」
レイヴィンがゆっくりカイの後頭部に手を回した。カイは、レイヴィンが何をしようとしているか、はっきり分かっていた。一瞬息を止め、そのあとふうっと細く吐息を吐き出すと、そっと瞼を閉じた。
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