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第1章 王都の夜 2
カイは次々と運ばれてくる料理に、目を丸くしていた。食欲をそそる匂いに、口元が自然と綻んでしまう。
向かいの席で、楽しげにヨハンが金色の液体を満たしたグラスを煽っている。
週末の前夜のレストラン・バーは、客でいっぱいだった。談笑する客たちのざわめきが、石造りの壁に反響して室内を満たす。
高い階層の直線的な建物がひしめく王都で、この店は一風違えていた。古い聖堂を思わせる、重厚な石造りの外観。内部は木製のテーブルとベンチが並び、吹き抜けの高い天井のため開放感がある。人工的な明かりは一切なく、大きなランプがそこかしこに置かれていた。
温かな橙色の明かりの中で、人々の影が揺らめく。
カイは、ゆっくり果実酒に口をつけた。甘い液体がじんと喉を降っていき、身体に染み渡るようだ。
「たまには、こういう場所も悪くないだろう。
ここは百年前の建物をわざわざ移築して、店に改装したそうだ。最近流行りの懐古主義に乗っかって、繁盛してるようだ」
「たしかに、王都で石造りの家なんて見かけないですね。俺が育った村では、逆にここみたいな建物ばかりでしたが・・・・」
「ーーああ、君は辺境出身だったね。それじゃ、これも懐かしい味なんじゃないか」
ヨハンが油で揚げた竜肉を盛った皿を、カイの手元に寄せてくる。遠慮なく一つ頬張ると、サクッとした竜皮の食感のあと熱い肉汁が口内いっぱいに広がった。ピリッときいた香辛料と、爽やかな柑橘の後味がたまならい。
「ーーーーおいしい」
思わず目を閉じて、濃厚な竜肉の余韻を味わう。
「君は、やっぱり変わらないな」
ヨハンが目を細めて、微笑した。ふいにほろ苦さが、カイの胸に広がった。頭の奥で、昔の記憶がゆっくり立ちあがる。
「初めて会った時のこと、鮮明に覚えているよ。君はまだ学生で、僕はくたびれた研究員だった」
「ーー俺は、どうしても竜に関わる仕事がしたくて、必死でした。研究所への出入りを許可してもらいたくて」
「なかなか、情熱的なアプローチだったよ。待ち伏せされて、無給でいいから働かせてくれって直談判されたのは、後にも先にもあれだけだ。」
ヨハンは思い出したように、喉の奥をくつくつ震わす。
「学生はたいてい最新の技術に憧れて、技師になりたがる。竜の繁殖なんて、地味だし王都では人気がないからね」
「竜は憧れなんです。今もずっと。
俺は、あなたに拾ってもらえてラッキーだった」
「とんでもない。金の卵が転がり込んできて、僕こそ幸運だったよ」
カイは思わず上司の顔を見上げた。心なしか体温が急に上がった気がする。二回り近く歳の離れたこの男は、なぜかカイの心を騒つかせる。
学生だった自分は、この年上の男に認めてもらいたくて、がむしゃらに勉強した。仕事では、どんな小さな雑用でも率先してこなした。
ヨハンが覗きこむように目をあわせ、穏やかに尋ねた。
「ーーー最近は、どうしてる?」
カイはさりげなく目を逸らし、なるべく平坦な声を出す。
「また、辺境調査に出ることになりました。しばらく王都を離れます」
「噂の灰銀竜か・・。今回で3回目か?」
「はい。北の辺境で、山に入った猟師の父子が遭遇したそうです。雪嵐で足止めされ、死にかかったところを助けられたと・・・」
カイは唇を濡らしながら、話を続ける。毎回眉唾ものだが、今回は当たりであって欲しい、とも思う。
自然界から竜が絶滅して、百年以上が経つ。しかし、ここ数年、辺境各地で昔ながらの竜の姿の目撃談が相次いでいた。信憑性がありそうなものについては、王都から予算がつき、現地調査が行われる。
カイも竜の専門家として派遣されていたが、これまで全て空振りに終わっている。
ヨハンは思案しながら、熱心に耳を傾けてくれた。
「人は極限状態になると、信じがたいことを体験するものだ。辺境の民は、昔から竜を信仰している。生きる望みに縋るあまり、伝承の神獣を見たとしても、不思議はないな」
「今回は嵐が突然収まったという、気象状況が確認されています。まずは父子に会って話を聞き、広く周辺も調べることになってます」
「それは楽しみだな。君も生き生きしてみえる。久しぶりに羽を伸ばせそうだね」
ヨハンが優しく呟く。はい、とカイは頷き、俯いて表情を隠した。鼓動がうるさく、息苦しい。
++++
「今日はありがとう、カイ。調査から戻ってきたら、また会おう」
タクシーから男が降りたつと、一旦沈んだ車体がふわりと空中に浮かび、音もなく滑り出した。
カイはバックシートに身を預け、ぼんやり窓の外を流れる街並みを眺める。背中に触れる、ひんやりした竜革のシートが心地よい。
現在の王都は、まさに技術の結晶だ。夜も更けたというのに、人工の明かりに溢れる街は眩いばかりだ。
魔力が一部の人間の特権だったのは、昔の話だ。
辺境統一を成し遂げた先々帝が次に心血を注いだのは、魔力偏重だった王都の改革だった。生まれもった魔力の差が、富と権力を分かつ時代は終わった。いや、先々帝が執念の末に終わらせた、というべきか。
魔力にかわるエネルギーが開発され、そのエネルギーを利用した機器が発明されると、魔力のあるものしか使えない魔道具の類は一掃された。
たしかに誰もが使える技術により、人々の生活は格段に豊かになった。カイは眩い光りに浸されながら、考えに沈んでいた。
窓の外を、着飾った男女がはじけるように笑いながら歩いていく。
高い建物の壁一面にカラフルな映像アートが投影され、物や風景、人の顔へと忙しく切り替わる。
店の呼び込みの声、漏れ出る音楽、喧騒が混じり合って、街全体に熱がこもっているようだ。
カイの育った辺境の村では、夜は深い闇に包まれ、零れんばかりの星に手が届きそうだった。ここでは、空が遠くに霞む。
これから帰る寮の狭い一室を思い出し、カイはため息をついた。ふと、隣のシートの窪みに手を這わせる。今まで座っていた男の体温が、手に移るようだった。
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