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第1章 辺境の村 1
ーーー生き物の気配が、満ちている。
カイは、草花の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。目の前に、竜が出現したという山並みが広がる。
カイは竜の調査団とともに、北の辺境にいた。1年の半分を雪に閉ざされる、60戸程の小さな集落だ。すぐそこまで針葉樹林が迫り、その背後に高い山が鎮座している。短い夏のいまは、透き通る青空のもと、どこもかしこも緑に溢れていた。温かい日差しが心地よい。
目を閉じると、明るい光の輪が幾つも目蓋の裏に広がった。
「やっぱり、ここにいたか」
振り返ると、赤毛の長身が足早に近づいてくる。ハシバミ色の垂れ目、薄い唇に人好きのする笑みを浮かべている。調査の副団長、マニー・デメロだ。
雨風を通さない深緑のジャケットに、機能性の高いパンツを身にまとい、足もとはハンティング用の厚底ブーツを履いている。調査の名のもと、道なき山野に踏み入り、野営が続くこともあるための装備だ。
カイも同じような格好だが、上背のあるマニーの方がきまってみえた。
「目撃者の息子のほうが、明日現場まで案内してくれるそうだ。とりあえず、いま話を聞くか」
「ああ、だいぶ山を登るんだろう。収穫があるかは疑問だけどね」
マニーは、興味深そうに目をきらめかた。気心がしれたマニーとのやり取りは、単純に楽しい。
「カイは相変わらず、疑り深い。そんなに竜を無きものにしたいか」
「ーー俺個人の希望は、また別だよ。竜は元来、効率が悪い生き物なんだ。目撃されたほどの大きな個体なら、かなりの数の動物を捕食しなければもたない」
まして、半年は雪に閉ざされるこの地だ。今まで、竜が家畜を襲ったなどの話も聞かない。
「森には、エルクやムースの群れもいるだろう」
「針葉樹林は、空からの狩りに向かない。あるとするなら、山で高山ヤギを食うくらいかな」
「あー、じゃあ、俺はヤギに沢山遭遇することに期待するよ。こっちだ、案内する」
マニーは、ここ数回の調査で副団長を務めている。世話好きでうまくグループをまとめ、さらに現地での交渉ごとなど一手に引き受けてくれていた。彼は王都直属の騎士団員で、普段は地方の駐留隊との調整役をしている。辺境での調査は、騎士団員が機動部隊として派遣され、荷物の運搬、調査拠点の設営などを担っていた。
カイは年の近いマニーとの、気安い関係を気に入っていた。
++++
マニーに先導され、石造りの家の狭い入り口をくぐり抜けた。明るい室内に簡素な家具が並び、一応、客間のように整えられている。正面のカウチには、調査団の仲間と、この家の主らしい青年の姿があった。
マニーは部屋の主に軽く挨拶して、カイを振り返った。
「彼は、レイヴィン。この春、竜に遭遇した父子の、ご子息の方だ。お父上は出稼ぎ中で、あいにく家を空けている」
青年は、こちらに鋭い視線を向けた。切れ長の濡れたような黒い眸、濃い眉、力強い顎が雄々しい印象を与える。日焼けした肌に、黒い長髪を後ろで束ねていた。鍛えられた身体は、シンプルな服の上からでも分かる程若々しさに漲っていた。
「あんた、竜の研究してるんだって?」
低い声でレイヴィンが尋ねた。警戒心を滲ませているようだ。年より若くみられ、身体もひょろりとしているカイは、特に辺境では頼りなく見られがちだ。なるべく親しみを込めた笑顔を浮かべ、向かいの椅子にゆっくり腰を下ろした。
「初めまして、レイヴィン。俺はカイ・ソンバーグ。聞いての通り、竜の研究者だ。専門は家畜の方だが、野生の竜の生態についても学んでいる。明日、現地に向かうまえに、竜を目撃した時の様子を聞かせてくれないか」
「もう何度も、王都の連中に話しているが、、今となっては、あれが実際に起こったことなのか、よく分からない」
レイヴィンは言葉を切って、カイの隣りに立つマニーをちらりと見る。マニーは、続きを促すように頷いてみせた。
「今年の冬は、特別厳しく長かった。そのせいか春先になって、村近辺に山猫がうろつきだした。幸い、村人に被害はなかったが、放牧していた家畜が食われたことがあった」
レイヴィンは視線を床に落とし、話を続けた。
「それで、俺とオヤジは、足跡を追って山に入ったんだ。害獣の駆除は、だいたい俺達が引き受けている。深追いするつもりはなかったが、予想外の雪嵐で足止めされて、水も食料も底をついた」
報告にあったとおりだ、とカイは記憶と照らし合わせながら尋ねた。
「竜は、どんな風に現れたんだい?」
辺境の青年は、頭を上げてカイを見た。表情の読めない顔をしていた。
「オヤジと雪穴を掘って、とにかく風雪を凌いだ。凍傷で、手足の指がどす黒くなって、感覚なんてなかった。ずっと眠気と戦っていて、正直、もうダメかと思っていた。。。
そうしたら、うるさかった外の音が突然消えたんだ。俺は、必死で穴から這い出した・・・・」
いつの間にか、厚い雲に切れ目ができて、光の柱が何本も差し込んでいた。雪面一帯に光りが反射し、砕いた星を散りばめたように輝いていた。
・・・・あまりに美しく、静謐な雪原・・・・
そして、レイヴィンと父親は見たのだ。雲の裂け目を、巨大な灰銀の竜が、翅を羽ばたかせて駆け上がっていくのを・・・・
「局地的な雪嵐が5日続いたと、記録がある。また、多数の村人が、突然空が光って、嵐が止んだと証言している」
マニーが、こちらを見ながら補足する。
これまでの竜の目撃例でも、川の氾濫、大規模な山火事など、自然現象の異常が併せて報告されている。太古の力をもつ竜の中でも、特に力が強い種は、自然や気象をも操ることができたという。特に灰銀の巨大竜は、数々の伝説をもつ。
「・・・ありがとう、実に興味深い話だ。君とお父上が無事に戻ってこれて、本当に良かった」
カイが素直な感想を漏らすと、レイヴィンが険しい顔で食ってかかった。
「ーーあんた、竜をどうするつもりだ。王都は、兵を派遣して、大捕物するのか?竜は、俺達の護り神だ。少なくともここでは、昔からそう信じられてきた」
「今回の目的は、あくまで事実の確認だ。例え竜の痕迹を見つけたとしても、どうするかは議会で慎重に議論されるだろう。竜は王都にとっても、大事な存在だ」
冷静にマニーが見解を述べた。カイは、胸の内を掬って、言葉を繋いだ。
「俺としては、本当に灰銀竜がいるなら、知りたいと思っている。いや、いて欲しいと、願っているというべきか。。。
俺も、辺境の出身だ。俺の村では、人は竜から血を分けて進化した、といっていた。昔の人間が魔力をもっていたのも、その証だと・・・」
辺境の青年は、一瞬鼻白んだようだった。マニーが呑気に口を挟む。
「確かに、昔の王族は、魔力を持っていたもんな。
さすがに嵐を止めたなんて大技は聞かないが、触らずに物を動かしたり、念話で遠くの人間と話したりできたとか。
王族でなくとも、火を起こしたり、水脈を当てたりできる人間は、わりといたそうだし」
カイは、頷いて続けた。
「俺の村では、今でも、僅かながら魔力のある子が生まれるんだ。大抵学校にあがる年になると、強制されて力がなくなるんだが・・・・」
「カイ、そいつは初耳だ。成る程なぁ、魔力は旧体制の名残りみたいに毛嫌いされてるしな・・・」
カイは、自分の子供時代を思い起こしていた。手品程度のものだったが、魔力を披露すると、すぐにはしたないと叱りつけられた。
ーー見せびらかして、いい気になるんじゃない。しっかり勉強して、技術を身につけろ。お前は、人生を選びとる側の人間になるんだーー
「おい、あんた、大丈夫か。顔が真っ白だぞ」
突然声が降ってきて、カイははっと顔を上げた。目の奥がずきずき痛む。目の前で、レイヴィンが真剣な顔でカイを見つめていた。マニーも、心配そうに見下ろしている。
「ああ、す、すまない。ちょっと疲れがでたのかも・・・・」
「カイ、明日はかなり移動するんだ。今日は早く切り上げて、しっかり休むといい」
「早朝に出発する。途中までバギーが使えるが、山の勾配がきつくなったら徒歩だ」
レイヴィンが告げ、マニーは心得たと返事すると、カイを引っ張りあげて部屋を後にした。
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