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第1章 遭遇 1
レイヴィンは、確かに獣の匂いを捕らえていた。岩を這い上がる度に、段々と濃くなる匂い。今は、風上に位置する自分の場所でも、はっきり分かる程だ。
直ぐ後ろを、あの王都の研究者がついて来る。なまっ白い顔に、細い身体。およそ荒ごとに向いてなさそうな優男だが、意外と根性がある。竜について語ると声に熱が篭り、切れ長の灰色の眸が煌めいた。そして、彼も辺境の出身で、魔力を宿すという。
ブォンと羽虫のような音が掠め、白い物体が頭を追い越してきた。
「あっちだ」
レイヴィンは獣の匂いがする方向を指し、ドローンに続いて岩を這い上がった。すぐ立ち上がって腰に結えたロープを引き、研究者を引っ張り上げた。
++++
岩の上は、水平に穿たれた横穴があった。大人2人が余裕で立ち上がれるくらいの高さがある。奥行きもありそうだが、暗くて全容が分からない。しかし、レイヴィンは確信めいたものがあった。
ここに、何かいる。
「レイヴィンは、ここにいて」
荒く息を吐きながら、研究者は惚けたような顔で暗がりを見つめていた。白い顔に汗が滲み、頬がほんのり紅く色づいている。柔らかそうな黒い巻毛が、汗で額や細い首に纏わりつき、扇情的でさえある。レイヴィンは、慌てて目を逸らし気を引きしめた。
「・・・何か感じるのか?」
カイがすっと、横目でこちらを見る。
「うん・・・いるよ・・・竜が。こちらに気づいて警戒している」
「本当か?なら、無闇に近寄らない方がいい」
「・・・大丈夫。さっきから、呼ばれているみたいなんだ」
「おい、無茶をするな」
カイはそれ以上説明せず、迷いのない様子で歩きだす。レイヴィンは、ただ突っ立っている訳にもいかず、距離を置いて後を追った。
今まで嗅いだことのない獣の匂いが、身体を包む。前を進んでいたカイが突然立ち止まると、静かに囁いた。
「ここにいたんだね、灰銀竜・・・。会いたかったよ」
レイヴィンは息を呑んだ。暗い影がゆっくり動く。瞳孔が縦に裂けた紅い眸が2つ、奥からじっとこちらを見据えていた。
「大丈夫・・俺達はお前を傷つけない。いい子だ。もっと側に行ってもいいかい?」
小さな子供に話しかけるような調子で、カイは優しく話しかけている。グゥルルと腹に響く低い声が上がる。カイは怯む様子もなく、ゆったりとした動作で竜に近づいていった。
レイヴィンは焦りとともに、得体の知れない違和感を感じていた。何かがぴたりと嵌まらないような引っかかりを感じる。
カイが竜の側に立ち、白い腕を竜の顎下あたりに伸ばす。その時、はっと気が付いた。
「ーーカイ、これはまだ子供だ」
そうだ、この竜はせいぜいカイの背を越えるくらいの大きさしかない。レイヴィンが嵐の最中に見た灰銀竜は、少なくともこの倍以上はあった。ぞくぞくと悪寒が背筋を駆け上る。声が掠れた。
「おそらく他に・・・」
「親がいるだろうね」
カイが竜から眼を離さず応じた。カイは確かめるように竜の顎をなぜ、紅い眸の回りを掻いてやり、竜の口の端を引っ張って歯を確かめているようだ。幸い竜は大人しく、されるがままになっている。
「大丈夫だよ、レイヴィン。ここに成体の竜が住んでいる気配はしない。たぶん、世話しに通ってくるだけなんだろう」
「確かにこの巣穴じゃ、成体には狭すぎるだろうな」
「子竜に餌を与えたばかりだから、すぐには戻ってこないはずだ。こいつが怖がって、助けでもを呼ばない限りはね」
ぞっとすることを、研究者は平気で口にする。なんなんだ、この男は。子連れの獣に手を出さないのは、猟の基本じゃないか。よりによって今、俺達は巣穴のど真ん中で、竜と鉢合わせだぞ。
カイは屈み込んで子竜の前脚を調べたり、背中に回って翼に触ったりと、忙しく動き回っている。この研究者に酷く腹が立つが、うっすら微笑みを浮かべ、眸を輝かせている様子から目が離せない。
「・・ああ、やっぱり明かりが欲しいな。記録もとりたい」
カイが呟きを落とす。すると、何かがレイヴィンの記憶の底から浮かびあがってきた。そのまま左手を掬い上げるように胸の前に持ち上げ、自然と呪言を唱えていた。
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