こんにちは、かがみさん

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 枕元で充電されているスマホから味気ない目覚まし音が鳴る。  味気ない音の癖に寝起きにはかしましく聞こえるそれを片手で止めて、ついでに片目で時間を確認する。  無機質な画面には早朝を示す時間帯。それを確認すると同時に今日一日のスケジュールを思い起こし、ゆっくりと上半身を起き上がらせた。くわっと一つ大きなあくびをして、寝ぐせでぼさぼさの少し長めなこげ茶色の髪をぼりぼりと片手でかく。確か今日は一限から講義が入っていたはずだ。  ベランダとの境目である窓へと目を向けると、閉めているカーテンの隙間から朝陽が漏れていた。とりあえず部屋の換気をしようと、ベッドから立ち上がり、腕に着けていたヘアゴムで適当に一本に結びながら窓へ向かい、カーテンをシャッと勢いよく開ける。そのまま窓も一緒にガラリと開いた。カーテンの隙間から漏れていた朝陽が直で目に入ってきて、思わず目をしかめる。もう既に立派な春なはずなのに、朝はまだ肌寒い季節。開いた窓から入ってきた冷たい空気に体をぶるりと軽く震わせた。  洗面台へ向かって、ひとまず顔を洗う。あえて冷たい水で洗うことで顔をすっきりさせて無理やり目を覚まさせる寸法だ。洗顔で泡立った顔をバシャバシャと景気よく冷水で洗い、近くに置いてあったフェイスタオルで顔を拭きながら顔を起こす。目の前にはいつもと変わらない洗面台の鏡に映る、顔を拭いている緑目の自分。  昨夜突然持ち帰った姿見から現れた鏡の怪異なるお化けは、この目が欲しいといった。正直、この目のせいで幼い頃は苛められたりハブられたりといい思い出がない。そんな忌々しい目をさっさと渡してしまえばよかったんだが、あんなあっけらかんと“抉る”なんて言われては誰だって抵抗する。それに相手は怪異だ、俺達人間には到底理解できないお化け倫理だかお化け理論で代わりの目なんて絶対用意しない。俺知ってる。 「あーあ、やっぱりこの目はいいことねぇな」  扉になっている鏡を開いて、中の収納スペースからコンタクトレンズのケースを取り出す。扉を閉めて、そのままいつもの流れ作業でケースの中から茶色のカラーコンタクトレンズを取り出す。洗浄液でレンズを簡単且つ綺麗に洗い、そのまま目の中に入れようと顔を上げて鏡を見た。いや、鏡を見たはずだった。  「あーあーあー!せっかく綺麗な目をしているのにもったいない!」  さっきまでいなかった鏡の怪異が洗面台の鏡の枠に手をかけて、勢いよく上半身を出していた。突然目の前に昨夜見た美少女の顔。それも鼻先すれすれの所にだ。  器用に人差指にカラコンを乗せたまま、数十㎝後退る。  怪異はそのまま鏡の枠に片足をかけたかと思えばよっこらせっと出てきた。  何故か上下青色のジャージと白いTシャツを着ている。 「まったく、宝石がごとき綺麗な目なのに、なんでそうやって隠そうとしちゃうのかねぇ」  俺が後退ってできた隙間に降り立った怪異はやれやれと呆れのジェスチャーを取っていた。 「……あんたは知らないだろうけど、俺はこの目にいい思い出が無いんだよ」 「ふーん、例えば?」 「まずあんたに目をつけられた」 「ボクはこんなに真摯にオマエを護ろうとしてるのに……?ひどい……」  目を潤ませてよよよと泣き真似をする怪異。こいつ、自分が可愛いのをわかってやっているな? 「それもこの目が目当てだろ」 「まあね、てへぺろ」  今度は舌をペロッと出してコツンと自分の頭を小突く。ホントこいつ表情豊かだな。てへぺろを表情豊かの括りにまとめていいのか謎だが。 「まーまー、ボクの事はどうでもよくて」 「よくない」 「ボクの事以外にも理由はあるのかい?」 「……小さい頃、よくこの目を理由に苛められてたんだよ」 「ふーん?」  何か考えるときのジェスチャーのように顎に指を這わせて、可能な限り背伸びしてつま先立ちで俺の顔を覗き込む怪異。20㎝程下にあった頭は少し高い位置に来る。 「はぁー、ニンゲンはわかってないなー、このキラキラ緑色に光る目がいいのに」 「人間は基本集団行動だから、自分たちとは違う異端がいると攻撃せずにはいられないんだよ」 「ボクにはわからない考えだ」 「俺もお化けなあんたの考えがわかんねぇよ」  怪異はするりと猫のように器用に俺の横をすり抜ける。 「あ、そうそう。ボク朝にあれ食べてみたい。バタートースト。よろしくねー」  ドア枠から手だけを出してひらひらさせ、とたとたと廊下を小走りする音が俺の鼓膜を震わせた。 「そういや何であんたジャージなんか着てんだ?」  急いでカラコンを入れ、着替えや歯磨き、髪のセットなど怪異がリビングに居座っているから洗面所で済ませられることを全て済ませ、渋々怪異のリクエストにお応えしてバタートーストを2人分用意して今に至る。なお、この家にバターなんかないからマーガリンで代用だ。朝食の準備中、怪異は器用にチャンネルを変えて朝のワイドショーを見ていた。こいつ、色々と順応良すぎじゃね?  冒頭の疑問を、お湯で溶かすだけの安いインスタントコーヒーを飲みながら怪異に投げかけると、おいしそうにトーストを頬張っていた怪異は目をぱちくりさせ、数回咀嚼してからゴクンとパンを飲み込んだ。 「今世の楽な姿ってこれなんだろ?」 「どこで知ったんだよそんなの……」 「せっかく動けるようになったから、いろんな鏡を渡り歩いてニンゲン観察した」 「……そっか」  そうとしか言えなかった。もうこいつの行動にはツッコまないことにする。  俺の返答にこの話は終わったと判断した怪異は、また美味しそうにトーストを頬張る。それにしても幸せそうに食べるな。 「怪異ってさ」 「んー?」 「ご飯食べるんだね」 「んー」  サクサクいい音を立てて食べていた怪異はまたゴクリと飲み込む。 「まー、怪異にもよるかな」 「そうなんだ」 「ボクは概念体だから食べなくても生きていけるんだけどね」  もぐもぐと口にトーストを含みながら言う怪異に、思わず相手の手元を見てしまった。そこには3分の2程食べ進められたマーガリントーストが存在している。 「……じゃあ何で食べてんの」 「うーん、だって美味しいもの食べるのって幸せじゃん」  実際マーガリントーストを美味しそうに頬張っているのだから、怪異の発言は嘘ではないことがわかる。しかしどうしてこの怪異はこんなにも人間臭いのだろうか。  また一口、サクリと音を立てて怪異はトーストを齧った。 「それに、確かにボクは食べなくても大丈夫だけど、食べ物を無駄なく霊力に変換してエネルギー源にできるから効率はいいんよ。ニンゲンみたいに排泄とかしないから便利だし」  サクリサクリとまたトーストを食べ進める。残り3口くらいのトーストが怪異の手の中にあるのをインスタントコーヒーを飲みながら眺めた。  怪異程のペースではないが、自分もサクリとトーストを食べ進める。表面はカリカリなのに、中はふわふわで、マーガリンがじんわりと浸み込んでいるおかげでマーガリンと小麦の混ざった香りが口内で広がった。 「……あのさ」 「んー?ずいぶんと質問が多いなーオマエは」  右手に持った自分の齧りかけのトーストを見ながらまた怪異に話しかけると、怪異は律義に返事を返しながら最後の一口を口の中へと放り込んでいた。  正直、これ聞いていいのかわからないけど、気になってしまうから仕方ない。俺はさながら好奇心に殺されかけている猫だ。 「あんたってどうやったら死ぬんだ?」 「それ普通この場で聞くー?」  しょうがないなーとかこぼしながら、手についたパン屑をはたいて皿の上に落としていた。そのまま怪異の為に淹れたインスタントコーヒーを一口飲んで一息。ホッとついたかと思えば間髪入れずやれやれと話し始める。……別に地雷とかではないようでちょっと一安心。 「何を考えてんだが知らないけど、ボクはこの世の鏡という鏡を全て役目を果たせないくらい粉々に壊さないと消えないよ。もっと言えば、この世に数ミリでも姿を映す反射材があればしぶとく存在し続ける。それとも“ボク”というアバターを消したいのかい?」 「あー、いや。単純に気になっただけだからいい。どうせ聞いても理解できないだろうし」 「昨日のオマエのあの強欲さはどこへ行ったんだか」 「聞いても意味ないって学んだだけだよ」  チラッと横目で時計を見て、慌ててトーストを食べ進める。あと数十分で家を出る時間だ。  軽く食道を火傷しながらもインスタントコーヒーを流し込み、そのままバタバタと出かける準備を進める。洗い物なんて皿とマグだけだから洗い終わるのなんて一瞬だ。  バタバタと忙しそうに支度する俺を、怪異はただただ眺めていた。 「あ、そうだ」 「何?あとちょっとで俺大学行くんだけど」 「出かけるんならこれ持っとけ」  そう言って、怪異は何かをこっちに投げた。それをリュックサックを背負いながら器用に受け取る。手の中にすっぽりと納まったそれは、手のひらサイズの小さなカバーのついてない手鏡だった。何も読み取れない俺の茶色い目が映りこんでいる。 「あんな手鏡サイズのよくわからん機械よりかはよほど役に立つと思うぞ」 「いやどう見てもただの手鏡だろ」 「まあまあそう言わずに。お守りだと思って持ってろ」 「はあ」  あまりにも押し付けてくるから渋々デニムのポケットに突っ込む。  もう一度時計を見れば、あとちょっとで出ないと割と本気で電車に間に合わなくると針が示していた。  慌てて財布と定期をリュックに突っ込み、スマホと鍵と鏡を突っ込んだのとは逆のポケットに突っ込む。 「そうそう、あとさ」 「今度は何」  急いで玄関に向かうと、律義に後をついてきていた怪異が呼び止める。 「ニンゲンの言うところの心霊スポットには行くなよ」 「はいはいわかったわかった」 「あとね」  急いで靴を履きながら適当にあしらっていると、怪異がまた呼び止めた。 「今時間無いんだけど?!」 「信用してくれたら『怪異』じゃなくて『かがみ』って呼んでね」 「それ今言うこと?!……あーもう時間無い!もう行くから言いたいことあれば帰ってきてから聞くから!」  バタバタと大慌てで玄関を開けて出て、バタンガチャガチャとうるさく戸締りをし、そのまま最寄り駅まで走って行った。
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