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俺の通う大学は、俺が今住んでいる名降市という小さな市から2つ離れた市にある。電車に乗って乗り換えなしの50分ちょっとのその大学に通い始めてようやく2年、やっと大学生活に慣れてきたというところだ。
なんとか1限の講義に間に合い、2限も空腹と戦いながら90分間過ごす。やはり朝トースト1枚とコーヒー1杯は厳しいものがあるな。あの怪異が今後も居座るのかと考えると、バイトのシフト増やして2人分の食費を稼がなければ。
講義の内容よりも入れるシフトの数を考えていると、ようやく昼休みを迎え、平日恒例の生協戦争へ参加した。何とか手に入れたカップ麺とおにぎりとお茶を次使う講義室で食べていると、同じ学科の顔見知りが菓子パンを持って近づいてきた。
「よっ、葡萄原」
声をかけられれば、ズルズルと麺を啜ってそちらを向く。そいつは返事を聞かずに俺の隣の席に座って菓子パンに齧り付いた。
「あんさー」
返事の代わりに目線をそいつに送る。
「肝試し、しないか?」
啜っていた麺を止める。少し間が空くも、何とか麺を噛みちぎり、口の中の麺は咀嚼して飲み込んだ。
「……どうしてまた」
「いやー、なんとなく」
本当に理由も考えずに提案してきたのか、相手は菓子パンを口でむしり取りながら捉えどころのない表情で前の黒板を見ていた。俺はそんな彼を見ながら箸で次の麺を掬い取るも、食べようと口を近づけられなかった。
「1年の時はなんだかんだ慣れるのに必死だったけど、そろそろ大学生らしいことしてみたいなーとか思ってみたりみなかったり?」
「だからってなんでそれが肝試しになんの」
ようやく麺をずるずる啜る。
「俺達もあと少しで二十歳になる訳なんだしさ、大人になる前の度胸試し?的な?大人の階段上るー、的な?」
「通過儀礼のこと?」
「そうそれ!物知りだなー」
「1年次の講義でやっただろ」
「あれ?そうだっけか。まーまー細かいことはどうだっていいんだ」
相手はまた菓子パンに齧りついてむしり取って咀嚼する。俺はずずっと魚介出汁の聞いた醤油ベースのスープを啜った。
……まあ俺は1回浪人しているから、もう既に二十歳で通過儀礼も何もないんだが。
「で?どうすんだ?肝試しすんの?」
相手が改めてこっちを向きながら聞いてきた。
箸で麺を持ちながら、んーとか言って少し考える。
そういえば今朝家出る前に、怪異から心霊スポットに行くなとかなんとか言われていた気がする。しかし昨日今日の関係なやつの言葉を普通信じるか?戸惑いもなく人の命や目玉を奪おうとする怪異だぞ?答えはノー。肝試しで行くような場所だって必ずしもヤバいのが出てくるとは限らないし、そもそも下手したら肝試し先のお化けより今家にいる怪異の方が危ない可能性だってある。何より、俺も実はちょっと肝試しに興味がある。
「うーん……場所は決まってんの?」
「お!乗り気か!」
俺の返事を肯定的と捉えたのか、相手は目をキラキラと輝かして本人の周りが一瞬輝いたような気がした。
「いいからいいから。で、場所は?」
食べ終わってスープを飲み干したカップ麺の器を端において、買ってきたおかかおにぎりの包みを剥がしながら再度場所の確認をする。すると相手はおもむろにスマホを取り出して、慣れた手つきで地図アプリを開き、名降市の中心部からかなり離れた場所を拡大して俺に見せてきた。
「お前確か名降市に住んでるだろ?ここわかるか?」
「名降市2年生に何を言う。そんな郊外知らんわ」
おかかおにぎりを食べながら相手からスマホを受け取り、ピンが刺してある箇所の周辺を軽くスワイプしながら確認していく。祢杭山とかいう山の麓近くにピンが刺してあるが……。うーん……いくら小さい市とは言え俺の家から離れすぎていてわからん。
「ここのトンネルがさ、一部界隈で最近話題になっててさ」
「ふーん、トンネルなんだここ」
「噂によるとこのトンネル、交通事故があまりにも多くて今では閉鎖されたけど、その交通事故で死んだ人達の霊が合体して超ヤバいのが出るらしいぞ。その霊が事故を呼び起こしてどんどん死者の霊を吸収していくからヤバいらしい」
「なにそのゲームのダンジョンボスみたいな霊」
凄い鼻息荒くして説明してくれているが、こいつそんなにオカルト系好きだっけか?ただ同じ学科だからまあまあ知り合いってだけで、普段からそこまで交流がある訳ではない。
「で?その霊はどうヤバいの?」
「とにかくヤバいらしい」
「それだけじゃわからんよ、具体的な特徴とかないの?憑いて呪い殺すとかトンネルから出れなくするとか」
酒かけたお詫びとして命や目を奪おうとしたりとか……とはさすがに言えないが、スマホに目を向けながら更なる情報をつつきだそうと催促した。ついでにおにぎりをもう一口食べる。
「いや、それがネットの掲示板でもヤバいとしか言われてないし、検証動画とかもないんだよ。あるとすれば入り口の写真くらい?」
じゃあなんで掲示板に書き込みがあるんだよ。
「ふーん」
「だからその検証もかねて、さ」
その心霊スポットの危険度を聞いて、家にいる怪異とどっちがアウトか判断しようと思ったがあまりにも情報がなさ過ぎて判断しかねる。でもこういうのって、お守りと数珠と塩を持っておけば大丈夫だろう。というか昨夜のあの目の前で繰り広げられた鏡の現象と比べたらどれも生ぬるい気がする。
「うん、わかった。行く」
「お、マジ?!やった!」
それに相手をその気にさせておいて「やっぱごめん行かない」ってのもなんか申し訳ないから、行く趣旨を伝えるとうるさいくらい横で騒がれる。やっぱやめときゃよかったかな。
「で、何時ごろ行くつもりなの?」
「そうだな……近くに小さな廃れたガソリンスタンドがあるみたいだが、日が暮れる前にそこ集合にするとして……」
相手の言葉を聞きながら、午後のスケジュールを思い出す。確か今日は4限まで入っていたはずだ。
「17時半集合でどうだ?」
「ちょっと待って、家から何分かかるか調べるから」
相手のスマホ借りたまま、自分が今住んでいるアパートから目的地までの距離と時間を調べる。家からだとそこそこ距離はあるが、よくよく見ると別の線ではあるが電車が近くを通っていることが地図から読み取れた。その線路をさらに調べると、通学で使用している線路とは別だが最寄り駅から利用できることが分かった。そのまま自分のスマホを取り出して、自分の最寄り駅から目的地近くの駅を検索する。利用数が少ない線路なのか、本数自体が少ない。一番近くて17時半ちょい過ぎに到着予定の1本だ。もう少し早いのはないのかと調べたが、どれも長時間待ち合わせ場所で時間を潰すことになる。というか講義でとてもじゃないけどその時間の電車に乗れない。
「んー……17時45分ごろじゃダメか?ちょうどいい電車がない」
「お、俺は大丈夫だぞ。じゃあ先に行って待ってるわ、どうせこの後3限しかないし」
「単位足りなくなっても知らねーぞ」
「ははっ、大丈夫だいじょーぶ去年もなんとか乗り切ったんだ。あ、あと何人かに声かけてみるわ。じゃっ」
そんな会話をしながら昼食を食べ終わると、相手は他の参加者を探しにそそくさと俺の隣から離れていった。
眠くなりやすい午後の講義2つを終え、知り合いに捕まっても一言断りながら急ぎ足で駅へ向かう。一本でも遅い電車に乗って帰ったら目的地に間に合わないことが4限目終了のチャイムが鳴る10分前に気づいたのだ。漫画なら背景に稲妻トーンが貼られている。一旦家に戻るくらいの時間はあるが、荷物置いてすぐ出ていく形になってしまうのだ。これは急がねばと教授に気づかれないように少しずつ荷物をリュックにしまい、終了のチャイムをスターターピストルにして勢いよく講義室から出てきて駅までの道をダッシュしていく。
なんとか予定通りの電車に乗れて一息ついたところで、急いで貴重品をすぐ取り出せる場所に移しておく。こうすれば一旦家に戻って普段出掛ける時用のボディーバッグにすぐ詰め替えられる寸法だ。ついでに家のどこに数珠とお守りと塩が置いてあったかを脳内で検索かけることで、悩まずにすぐ取り出せるはずである。そういや先月の葬式でお清めの塩をもらったよな。なら喪服一式と一緒にクローゼットに入っているはずだ。これなら余計な動きをせずにぱぱっと取ってすぐ駅に向かうことができるなと一人納得する。気分はまるで学校帰りに遊ぶ約束をしている小学生だ。いや、ある意味学校帰りに遊ぶ約束はしているけど。
50分近く電車にガタゴト揺られながら見慣れた駅のホームにたどり着くと、またここから陸上選手よろしくダッシュで階段を駆け上り、改札機に定期を叩きつけて家へと走っていった。正直こんなに走ったの寝坊した時以来だ。
馴染みの玄関を前にして、すぐ取り出せるよう事前に準備しておいた鍵を取り出す。しかしこういう時に限ってもたついてしまうものだ。なかなか鍵が鍵穴に入らず苦戦していると、ドアの向こうで誰かが鍵を解除して開けた。出てきたのは今朝見たばかりの鏡の怪異だった。
「お、ニンゲンおかえりー」
「ごめん、ちょっと急いでるんだ」
怪異の横をするりと華麗なステップで横切ると、そのままリュックをベッドに放り投げた。イメージは小学生のランドセルのあれで問題ない。リュックが宙を舞う。そのリュックがベッドに着地する直前に急いでクローゼットをこじ開ける。なんかクローゼットのレール付近から嫌な音がしたけど気にしない。クローゼットに丁寧に仕舞われていた喪服一式から数珠とお守りとお清めの塩が見つかり、自分の記憶力に感謝すると同時にクリーニングに出さなきゃと反省した。
これまたクローゼットに投げ込まれていた普段使い用の紺と茶のボディーバッグを引っ掴み、喪服一式から発掘された3点セットを中に押し込む。横からとてとてと軽い足音が聞こえると、怪異がクローゼットの中を覗き込んできた。
「なにー?どっか行くのー?」
「大学の同期にちょっと誘われて」
「えー、どこどこー?」
「ごめんちょっと時間無くて急いでるから」
纏わりついてくる怪異を軽く押しのけて、ベッドに鎮座しているリュックへと足を運び、取りやすい位置に移動しておいた貴重品類を続けざまにボディーバッグへと押し込んでいく。
そんな俺をただひたすら眺めている怪異。
「夕飯はー?」
「ごめんそんな余裕ない」
「そっかー」
ポケットに入れていたスマホを取り出し、時間を確認する。無機質な画面に羅列している数字が、いい加減出ないと電車に間に合わないぞと言っている。あれ、なんかこれ朝にも経験したぞ?デジャヴ。
手に持っていたボディーバッグを慌てて背負いながら小走りで玄関へ向かう。今朝と同じように怪異がとてとてついてきた。
脱ぎ捨てていた靴を履くのに悪戦苦闘。数分前の自分を叱りたいとはまさにこういうことかと頭の片隅でどうでもいいことを考える。
「なー、ニンゲン」
なんとか両足靴を履けたところに、後ろから怪異が話しかけてきた。
「ごめん時間無いから!」
多分今朝言った、『帰ってきたら話を聞く』の約束を守って話しかけてきたのだろう。しかし今も時間ない為、一言断りながらドアを開けた。
「ごめん、戸締りよろしく!」
「あ、うん」
一歩外へ出て、ドアが完全に締まりきる直前に、家の中にいる怪異が何か言ったのを聞こえた。が、それを聞き終わる前に俺はまた今朝と同じようにダッシュで最寄り駅へと走っていった。
「心霊スポットには行くなよ、ニンゲン」
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