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こんにちは、かがみさん
先月、祖父が亡くなった。
事故死や病死ではなく、天寿を全うした形だった。あまりにも突然すぎる……というわけではなく、日が進むにつれ親族皆が皆、別れの覚悟を決めていけた。おかげで心に突然穴がぽっかり空くこともなく、涙は流したが静かに別れを告げることができた。
別れを思い出しては心で泣く日々がまだある中、俺達一家はそんな祖父が晩年一人で暮らしていた、古民家にしては珍しい少し広めの洋館へと出向いていた。
祖父がまだ生きていた頃、それこそ俺がまだ小学生だった頃に聞いたのだが、この家を建てたのは祖父の父、俺から見ての曽祖父だったらしい。曽祖父は明治頃の資産家で、この地域ではちょっと有名なお金持ちだったとか。しかし祖父が物心ついて兄弟が産まれた頃に曽祖父は当時から見ても割と早い年齢で亡くなったらしい。その為、祖父は自分の父親の顔をぼんやりとしか覚えていないと言っていた。その数少ない記憶の中で一番よく覚えているのが、目の色だとよく言っていた。曽祖父は日本人にしては珍しすぎる、綺麗な緑色の目をしていたそうだ。それはまさにひ孫である俺に受け継がれている。亡くなった祖父を含めて家族や親族一同が一般的な茶色の目をしている中、俺だけ鮮やかなエメラルドグリーンの目をしていた。祖父はそんな俺を可愛がっていたが、世間に出れば皆と違う特徴によく虐められたものだ。お陰様で俺はこの目が嫌いである。茶色のカラーコンタクトをして隠す程嫌いだ。
一部屋一部屋、祖父との思い出が詰まった家具や道具を整理していく。食器に書物に家具……挙句には俺が昔幼稚園で作った敬老の日のプレゼントまで出てきた。正直に言って恥ずかしい。
この地域にしては無駄に広い洋館で、やっと七割は整理できたかなという中、廊下を歩いていると、ふと壁に違和感を覚えた。昔からこの家によく通ってはいたが、何故か今頃になってその違和感に気づく。一体何がそんなに引っかかるのか、しばらく立ち止まって壁を凝視していると、その一面だけ壁紙の色が微妙に違うことに気づいた。それもドア一枚分といったところだ。
どうせこの家も最後は取り壊されることなんだし……と好奇心に負けた俺は、誰にというわけでもないが言い訳をして微妙に色合いの違う壁紙を破いてみた。案の定、壁紙の下から現れたのは他の部屋と同じデザインをしたドアだった。ただし長年壁紙に隠されていたせいか、他のドアと比べてそこだけ時が止まったかのように真新しい雰囲気を纏っていた。
せっかくここまで来たらと思って色合いが微妙に違う壁紙を全部剥がし、タイムトラベルでもしてきたようなドアの全身を露にする。そして特に躊躇もせずにドアノブを握った。
ドアは特に鍵もかけられてなく、ガチャリといとも簡単に捻ることができた。
そのまま何も考えず、押し開けた。
タイムカプセルから解放されたからか、埃が一気に俺の鼻を攻撃する。思わず盛大にくしゃみを3回してしまった。マスクをつければよかったと今頃になって反省。
中は、埃以外何もない。家具らしい家具が一つもない。ただし、いや、そんな空間だからなのか、中央に鎮座するそこそこ高さのある白い布が異様に目立っていた。
その布は何かを隠しているようで、まるでこの世の存在ではないような異質な何かを放っている。
一歩、また一歩と時が止まっているフローリングを踏み進めて異質なそれに近づく。
実際近づいてみて気づくが、異様に大きく見えていたそれは実際俺の身長の半分ちょっとくらいの高さしかなかった。長いこと布を被せられているのか、見るだけでくしゃみ連発しそうなくらい天辺に埃が積もっている。
最初のくしゃみ連発から学んだ俺は、ポケットに一応エチケットとして突っ込んでいた皺くちゃのハンカチで口元を覆って、そのまま勢いで白い布を引き剥がした。
ぶわっと布と一緒に埃が舞う。
露になったのは、自分自身だった。
何も読み取れない茶色い瞳をした自分が、白い布の端を片手で握ってそこにいた。
「……違う、鏡だこれ」
古めかしい自立式の姿見が俺を映していた。
しかしなぜ何の変哲もない鏡がこんな何もない部屋に、隠すかのように置かれているのだろうか。改めてぐるっと部屋を見渡しても、倉庫とは思えないくらい何もない。
「なんで鏡だけここに……?」
握っていた布の端を手放すと、布がふわりとフローリングに当たる音が鼓膜を揺らした。
そのままその鏡に何か変なものがないか、くるくると周りを回って鏡を観察してみた。
1周終わらないくらいで、鏡の裏に何か紙が貼られているのが目に入る。
おや?と思ってよく近づいて見てみると、何かミミズのような文字が赤と黒で書かれていた。その崩し書きにどこか既視感を覚える。
一体全体この既視感は何なんだろうと、脳内検索にかけたところ、1件ヒットした。
そうだ、お札だ。
しかしそのお札と思わしき紙は相当時間が経っているらしく、よくテレビとかで見る歴史的資料のような古紙状態となっていて、もうほぼボロボロで端の方とか破れているし、面も所々虫食い状態となっている。
一体誰が何のために何の変哲もない姿見にお札と思わしき紙を貼り付けたのだろうか。子供の悪戯だろうか。
仮に悪戯ではなく、本当に何かを封じるのに貼っているのであれば……。どう考えても、もうこの状態では効果は無いだろう。
そう思った俺は、紙に手を伸ばす。特にビリッともバリっとも電流は走らず、いとも簡単に紙を剥がせてしまった。
そのまま紙は役目を終えたのか、ポロポロと細かい紙屑へと姿を変えて埃と一緒に混ざってしまった。
鏡はというと……何も変化がない。返事がない、ただの鏡だ。強いて言えば俺が映っている。
「おーい、兄貴ー!そろそろ一旦引き上げるってよー!」
遠くから弟の大声が俺を呼んだ。
ハッとして後ろポケットに入れていたスマートフォンで時間を確認すると、17時を知らせる20分前だった。
俺はこの屋敷がある隣市に現在一人暮らしをしているけど、家族はそうではない。春先とは言え、17時を過ぎてからここを出ると、家に着く頃にはもう外は真っ暗だろう。
俺だけ近いからもう少しここに残っていてもよかったが、この屋敷の鍵を現在管理しているのは親父の為、変に迷惑をかけるわけにもいかない。
しかし俺はここで見つけてしまったこの古い姿見と離れることに何故か抵抗を覚えている。
どうしよう、でも家族を待たせる訳にもいかない。
「おーい、どこにいるんだー?早くしろよー!」
「わぁってるってのー!」
屋敷の中にまだいる弟の声が俺の思考を急かす。
——そういや全身を映す鏡ってなかったよな?
——今後身だしなみを気にしないといけない時期が来るよな?
——よし、持ち帰るか。
この間、0.5秒である。
俺は決心がついて、姿見を脇に抱えて部屋を後にした。
「……兄貴、それ、持っていくのか?」
外で持って帰る形見や遺品を親父の車に詰めていた弟が俺に気づき、顔を引きつらせる。その目線は明らかに俺の身長の半分はある、脇に抱えた鏡だ。
「そうだが?」
「電車なのに?」
弟の言葉に、俺だけ電車で来ていたことを失念していた。
しかしだからと今からこの鏡を屋敷に戻す気にもなれないし、かといって車で送ってもらう訳にもいかない。
実家は俺の住んでいるアパートとは反対方向だし、そもそも結構荷物を積んでいて俺と鏡が乗れるスペースがない。
お袋がそれで電車は大変でしょ乗っていけばと声をかけてくれたが、明日は普通に平日であまり遅くなっては申し訳ないし、そもそも戸締りをしていた親父の背中が早く帰りたいと語っていた。首を縦に振れるわけがなかった。
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