本能寺の変 最終章

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次に2つ目の理由。 これは知ってる人の方が少ないかもしれないが。 実は天正10年に、信長と光秀、斎藤利三があるトラブルを起こしているのである。 そのトラブルとは、織田家家臣の稲葉一徹の家臣である那波直治が、斎藤利三を通じて光秀に引き抜かれた事だ。 これに対し稲葉一徹は訴訟を起し、信長が光秀に返還を命じたが、光秀はそれを拒否。 それに怒った信長は、光秀の髷を掴んで蹴り飛ばした。 そして、信長は那波直治を稲葉一徹に戻し、利三に切腹を命じる裁定を下した。と文献に残っている。 その裁定を下したのが、本能寺の変の僅か4日前の『天正10年5月27日』なのだ。 『天正10年』この年に運命の歯車は既にまわり始めていたのである。  
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