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永遠の静寂
時間が止まっているのか、
自分が止めているのか、何かを。
目の前に広がる、ただ白いだけの光景を、でこぼことした冷たいシーツを、全てを飲み込む機械の呼吸音を、ずっと僕は見つめていた。
ただひたすらに、救いの手が錆びた鉄くずのような温もり一つ無い、額に、頭の上に、穏やかな春の朝日が降り注ぐように、と。
「そこにある瞳の主」は、なに一つ動かさない、世界の色合いを止めていと願う様に、冷たく光る。
1秒が消えるごとに、ピッと機械音が時を削っていく。
微かに、僕の耳元で音がした、振り返らない、既に「聞いている」から。
「そうだね、、、」
「な、何か、奈菜は言ったのか、高遠君!」
「なら、、、って」
ゆっくりと僕は振り返った、ベッドに横たわり、シーツに包まれた「龍崎奈菜」という、かつて同じ空気を吸って、時を刻んでいる存在。
「だ、そうです」
大きな背中を折りたたみながら、その父、龍崎征四郎医師は部屋を出た。
「僕もだね、分かった、出るよ部屋から」
その、黒真珠の瞳はもう輝いていない、今の奈菜の瞳からは深夜の水たまりくらいの光を放つのが精いっぱい、なんだと。
ポーンと、静まり返った室内に機械音が響く、世界を止めるように。
ベッドに設けられた彼女を取り囲む無数の「いばらの鎖」、視線、目の動きで見地盤を読み取り会話を「させていただける」機器、今はこれがただ一つの奈菜と僕を繋ぐ「いばらの鎖」だ。
パネルの隅に浮かぶ、世界を受け入れたくない記号、奈菜が刻みこんだ、
「一人にして」と。
また、一つの静寂、二つの反発、病室にあるのは、三つの呼吸音、ただそこにある。
「夏、、、か」
僕は5月で18に、6月29日が来れば奈菜も18歳だ。
過ぎた時間は同じでも、重さも、臭いも、味も、音も、見える物全てが、彼女とは共有出来なくなった18歳への一年。
薄っすらと消えるような声で、廊下の壁に僕は自分の声を紛れ込ませようとした。
明るく開放的な病院の廊下、大きなガラスからは暑いくらいの日差しが頬を突き刺してくる、激しく、眩く。
歩く、走る、止まる、立つ、彼女はとっくに時間を奪われていた、貴重な大切などうしようもない、良くある日常を。
重たい空気が一変した、僕は足を止めようとして、前につんのめり廊下に倒れそうになった。
「何止まってるの、ボケたの、雫」
「奈菜、、、!」
すぐに分かった、時間が、風景が、景色が、奈菜が、すべての流れを変えているのが。僕はそのほんの一部だ。
「まぼろし」、、、そう、僕は、まぼろしを求めている、ずっと、奈菜のいる世界だけの事を。
世界は僕の、彼女の思わぬ通りに、日常の色合いに戻される。
張り詰めた空気を、生ぬるい空調の風がかき乱す。
半年前、高2の冬、12月、平凡な高校生なら進路の事で頭が回らない頃だ。
必要無かった、僕にも奈菜にも、見えていたからだ先の世界は。
「医院長室」と書かれた部屋の「門」を潜る、入るというより「魔女の館の門」に招かれるみたいな気分で。
医院長室の中央、豪華なソファーに座る「龍崎才華」または、「奈菜の母親」とも世間では呼ばれる方だ、綺麗より威圧的が勝っている。
「失礼します」
「あら、まだお茶を差し上げてなかったわね、征四郎さん、出してあげてくれないかしら」
「あ、ああ、ただ今」
「走らない、私が淹れます、あなたは座っていて」
大きなテーブルと革張りのソファー、僕の身は座ると言うより沈み込むように、ソファーの一部に取り込まれていく。
そして、手際よく紅茶の入ったティーカップが、僕の目の前に置かれる。
奈菜と同じ、青磁の陶器の様な滑らかで、研ぎ澄まされた指先、ただ、温もりだけが感じられない。
目の前の、この人は言い放った、僕に。
「どうしてもね?」
「ええ、譲れません、全てです、全部です、何もかもです」
僕は語気を強めて、目を見張って、才華医院長に矢を放った。
彼女は動じない、視線を逸らさず、軽く笑みを浮かべてこちらを見ている。
(見透かされてる、僕の、揺らぎを、、、)
カップに口を付け、熱さで落とし出来た床の染み。
「欲張りね、全部は無理。でも、良いわあの子だけなら、どうにでもしなさい、どうにもなるなら、そんな心があるならね。どうせ、、、」
「良いです、それで」
「ねえ、高遠くん?」
「なんです?」
執拗に獲物を狙う、猛禽類の眼が、僕を高みから見下ろしている。
もう直ぐ力尽きるのを、上空から待って、ゆっくりと輪を描いて待ち受けている鷲の様に。そして必死で子供を取られまいと逃げ惑う僕の姿が、川を越えられず、水底でもがいている小鹿たちの様に。
僕は短く答えた、壊れてる、あっちもこっちも、僕も。
ゆっくりと、満天の闇に吸い込まれ堕ちていく、自分と奈菜の姿を重ね合わせた。
「ふうん、、ゴミね」
「、、、」
1年の夏休み前、目の前に「悪魔の羽を持つ天使」が、ふっと舞い降りた。
長い手足に、切れ長の目と、まつ毛。瞳にはいつも「純粋な悪意」に満ちていた、あの頃の「奈菜」。
高校の屋上、すぐ傍に階段のある建物で、その屋根の上から彼女はすっと音も立てず、僕の背後に舞い降りた。言葉は要らなかった、どうせ、底辺にさせる攻撃を「爽やかさ」に包んで丁寧に「イジル」だけの事だ。
あの頃はやけに「悪意に満ちていた」、奈菜の言葉は。
「ねえ、テキトウくん、どうして生きてるの?」
「さあ、、、呼吸してるから」
「良いね、楽しく生きてそうで、いじけてるの、ライブ感!」
「さあ」
「ねえ、キス、させて欲しいな、君に」
「優等生、お嬢様、病院の跡継ぎさん」
「なーに?」
「いい、、、何でもない、どうぞ、、、」
「死んだら、真面目に生きる気がないなら」
「それで」
「じゃあ、生きれば?」
「呼吸、してるし」
「止めてあげる」
「あ、おい!」
彼女は突然僕の手を引っ張って、屋上の先の空間へ乗り出そうと、いや、もう外に出ようとしてる!
校庭が近くに見える、とんでもなく!
父さんが言ってた事がある、深夜に、ぽつりと悲しい目で。
疲れた時は夜空を見るんだって、絶対に。視線を地面に向けると、やけに近く感じてそのまま吸い込まれてしまうからって。
何を伝えようしてたのか、その時は分からなかった。
ただ、今は竜崎にされてる事を防ぐだけで精一杯だ!
必死で抵抗するが、とんでもない力だ!スレンダー過ぎると思える長身からは想像出来ない、何かに反発するような激しい力で僕を「天国」に連れて行こうとする。
「な、やめっ!」
「ゴキブリ!ウジ虫!クモ、ムカデ、その他害虫!なんで存在してるの!あんた、自分がこの世に存在してなくて良いんだみたいな顔で、こっち見下ろさない!」
「い、いつ、した?」
「いっつも!毎日、朝から下校まで、舐めるように」
「見てない、、、見たって振り向かない、龍崎さん、だし」
「じゃあ、先に飛びなよ、したいんでしょ、出来るんでしょ!」
「なんで僕がやらなきゃいけないんだ、教えてくれよ!」
「じゃあ、私、用があるから先に行く」
「おかしいよ、そんなの、何考えてるんだよ!昼間から堂々と飛び降りるって!」
「急ぐから、私」
「何が、あったの、、、」
「あったって、話す価値、ない、、、本気が無い、目に、高遠の」
真っ赤な跡が着いた、彼女と僕の手首に、まるで「手錠」を互いに掛けられたみたいに。
どうして、そんなに、急ぐのと、聞きたかったあの時の彼女に。
あの頃、幼かった僕は、時間の流れを、ゆっくりと歩いていた。
あの頃、成虫になった彼女は、時間の流れを、必死で駆けていた。
何かに追われ、何かに怯え、何かに囚われ。
心は止まれと悲鳴を上げ、体は突っ走れと歓声を上げてた、捉えようのない、時間を。
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