酔いどれ丸

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 壁を背にすれば死角を減らせると思い、後ろに下がるが、床を踏み落としそうになる。 「おっと……!?」  ただでさえ冷え切っている肝がさらに冷えた。  武信はむやみに動くのは良くないと思い、その場で刀を構える。  しかし鬼はすっかり気配を消してしまい、打つ手がなかった。 「どこだ! 出てこい! そこか!?」  あの巨体に襲われてはひとたまりもない。恐怖にかられ、当てずっぽうに刀を振り回すだけ。 「ぐっ……頭が……」  二日酔いにもかかわらず、体を激しく動かしたものだから、頭痛がいっそう激しくなり、頭に杭を打たれているようだった。 「こうなれば、迎え酒よ!」  武信は腰に下げていた酒を、とくとくと飲み始める。  これにはさすがの鬼も、暗闇の中であきれてしまう。 「この酔いどれが! 夢見心地に死ぬがよい!」  鬼が武信に襲いかかる。  しかし、酒のおかげで血流が活発になり、全身に血が巡る。冷たくなっていた体が温まって、手足が思うように動く。  そして、あわや大きく開いた口に噛みつかれんとしたとき、武信は口に含んでいた酒を突如吹き出した。 「ぐわっ!? 何をするか!?」 「酒を一人で飲むのも忍びない。おぬしにも味わっていただこうと思うてな」  そう言って武信は大笑いする。 「おぬし、酒が苦手なのだろう?」 「なぜそれを……!?」  真っ暗でも鬼の動揺が見て取るように分かった。  それに酒の匂いで、鬼の位置をだいたい把握できる。 「昨日から一滴も飲んでおらぬから、もしやと思うてな」 「なっ!? 貴様、いつから正体に気づいておった!?」  そう、鬼の正体は、昨日出会った男だったのだ。鬼に食われたのではなく、鬼自身であった。  鬼はマヌケそうな武信を誘い出し、人気のないところで食うのが目的だった。 「やけに鬼に詳しいと思ったのよ。誰も鬼の姿を見たことがないのに、なにゆえお前がその特徴を知っておるのだ。俺を出し抜いたつもりのようだが、最後はかならず俺が勝つ! てやあーっ!!」  武信は鬼の腕を切り落とす。 「ぐおおお……。ただの愚図かと思ったら……」 「村の皆を食ったのも貴様だな」  村人が鬼を恐れて家に籠もっているというは真っ赤な嘘。すでに鬼が平らげていた。  鬼は新たな得物を求めて、このように都から人を誘い出して襲っていたのである。それゆえ、誰も鬼の姿を見たことがない、というのは事実だった。 「あの世で詫びるがいい!」  武信は鬼を袈裟斬りにする。 「ぐわああああーーっ!?」  断末魔の叫びが上がり、鬼はその場に崩れ落ちる。そして、体は赤い液体となり、地面にしみこむように消えていった。 「やれやれ、俺をだまそうとしたのが運の尽きだったな。……待てよ。鬼が消えてしまっては、鬼を退治した証拠がないではないか!」  しかし、武信の心配は杞憂だった。この村にすでに住人はなく、家々からはその骸が見つかったのである。  武信の活躍はすぐ都中に広まり、武信の昇進が決まった。  武信の同僚が悔しがったのは言うまでもない。  政府は村に人を送り、鬼の犠牲になった村民や侍の墓が建てられた。  その後、武信は鬼を切った刀を「鬼切り丸」と命名したが、都の人々は「酔いどれ丸」と呼んでいたという。
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