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01 菖蒲華
「いらっしゃいませ」
いつものように“eternal”の店長さんは、にこやかに迎えてくれた。それはとても心地よいけれど、一旦視線を外せば彼の顔は思い出せない。
「今日はお休みだったんですか?……すみません。盗み聞きするつもりは、なかったんですけど」
私の前にいた、花束を抱えたお客様とのやりとりが聞こえて、思い出した。帰りが遅いことも多いけど、定時に上がれば、7時半にはここを通る。花を買えなくても、眺めて通るだけでも楽しい。時々、店内が暗いときが何回かあった。それは月曜日だった。
心苦しくはあるけれど、今日は伝えたいことがある。と思っていたら、穏やかな声が聞こえてきた。
「いえ、今日は大事なお客様がいらっしゃることになっていたので、夕方から店を開けていたんです」
「そうだったんですね。それなら、丁度良かった!」
見せたくてたまらなくて、私はすぐに鞄を探る。
「“あの子”、咲いたんです!見てください。」
鞄からスマホを取り出し、正面に立つ店長さんに見せた。でも、よく見えないのか反応がない。
「すみません。角度のせいか、よく見えなくて…」
だから私は、彼の横に立って「ほら、見てください!」と画面を見せた。
あ、なんか私、小さい頃みたいに強気だ。
店長さんは背が高いから、見やすいように手を伸ばして“あの子”を見せた。
「ね、きれいですよね。この色合いに、花弁の薄さと柔らかさ」
心配しながら数日を過ごした。
あのこがそっと教えてはくれたけれど、それでも不安だった。店長さんなら、私の喜びもあのこの美しさも絶対に分かってくれるだろうと思って、見上げた。その微笑んだ顔を見て、改めて感謝の気持ちが湧いてきた。
「店長さんのお陰です。“あのこ”が咲いたのは。」
私は、“あのこ”が可愛くて、スマホの画面を指でなぞりながら言った。
「それだけ伝えたくて来たんです」
店長さんのそばから離れ、正面に向き直った私は、頭を下げた。
「ありがとうございました。店長さんに大切なお客様がいらっしゃる前に、私、帰りますね。また、色々教えてください。“あのこ”が待ってるので!ではまた」
軽く会釈をしてから、私は急いで帰ることにした。“あの子”が待っていると思ったら、つい走ってしまう。
中学校の部活以来かも。
こんなに走ったの。
今日の私は、珍しく活動的だった。
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