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「若木くん。部活のチラシの絵、書いてほしいんだけど。バド部」
若木はうなずく。
「これ、紙。来月までに描いてくれると助かる」
またうなずく。
「ありがとう! 助かる。これお礼」
もう一度うなずく。
「若木! 俺のとこもやってくんね? バスケ」
若木はまたうなずいた。
「サンキュー。マジ助かるわ」
若木はひらひらと手を振った。
「若木くん。美術の佐藤先生が呼んでたわよ」
若木はうなずくと教室を出た。
若木木ノ芽の絵のうまさは学校内でも有名だった。いつも何かしら描いている。自分で好きな絵を描いている場合もあれば、誰かに頼まれて描くこともある。文化祭や体育祭は彼の絵が学校にあふれる。若木の絵を見ていると画風に性別が関係ないことがよくわかった。ぬいぐるみにしたいほど可愛いキャラクターを描くかと思えば、写生大会で大迫力の烏を描いて先生をうならせた。若木は無口だ。授業中に当てられて教科書を読むくらいであとは静かに絵を描いている。放課後の付き合いもほとんどしない。運動神経は恐ろしく鈍いのだが、それを男子がからかっても平然と鉛筆を走らせるだけだ。からかう男子だって、最後は流行りの漫画の模写をもらって「ありがとな」なんて言っている。若木ほど「芸は身を助ける」を体現している人間も珍しい。若木に頼めば、どんなイベントだろうが学校中から注目される。クラスの飾りつけ、クラスTシャツのデザイン、先述したポスター作りなどなど誰よりもクラスの「役に立っていた」多少の無口や運動音痴は許させる。休み時間や放課後の練習は全て免除だ。
「若木くんが超羨ましい」
身を助けてくれる芸を持たない神谷野恵は机に突っ伏した。
「行きたくない―。休み時間ぐらいのんびりしたいー。放課後は帰って湯煙殺人事件見たいー」
他のクラスメイトに聞かれたらとんでもないことになるのだが、ここは茶道部の部室。茶道部の今日の準備は野恵と遥なので鍵をもらっていたのだ。
「どんな放課後の過ごし方?」
数少ない友人の小川遥はスマートフォンをいじりながらもう片方の手でサンドウィッチのビニールを剥がした。流石、「無限の器用さ」と言われるだけある。つけたのは野恵だが。
「せめてマックで友達とおしゃべりぐらいしなさいよ。都内女子高生」
「ええー、どうせあれでしょ。SNSのネタにされんでしょ。マックで女子高生がこう言ってた的な」
「それ架空の女子高生で、本物の女子高生の生の声じゃないから」
「なんでもいいよ。若木くんが羨ましい。体育祭があるってだけでゲロ吐きそうなのに休み時間と放課後まで取り上げられるって何の拷問」
「いや、若木にだって自由時間ないっしょ。ポスター作りとかクラTのデザインでさあ。教室の飾りつけまで考えさせられてんのほんと意味わからん。教室でやるわけじゃないのに。若木、本当にやりたいのかな」
「でも、若木くんすっごい嬉しそうに描いてるよ。ご馳走前にした時のうちの猫に似てる。目が」
「若木、今のセリフ聞きたくなかったと思うな」
「いや、褒めてるんだよ。あー、美術部員じゃなきゃ、勧誘したんだけどなー。茶道部」
「春のお茶会に唯一来てくれた男子だもんな。つか、早く食べ終わってよ。後五分で教室いかなきゃ面倒くさいよ。ウチ行くからね」
「ちょっと待ってって。今片付けるから!」
一芸どころか、歌下手、運動音痴、絵心皆無で足引っ張ることが多い野恵にとって学校行事はほとんど地獄だ。ふたりは教室へと小走りする。その間も愚痴はとめどない。
「C組がマジで羨ましい。地味なクラスがよかった」
「小田と啓文いる時点で詰んだよね」
「しかもクラス替え三年間なし」
「マジで愛してるよ野恵」
「あたしもだよ。ハルさま」
無限の器用さを持つ遥をもってすれば友達に野恵を選ばず、もっとクラスの中心人物と仲良くなるのも可能だと野恵は卑屈に思っている。が、同時にそんな器用な遥が野恵のそばにいるのは嬉しい。ふたりはなんとか時間きっかりに教室についた。たちまち小田と啓文の文句が飛ぶ。
「遅ーい」
「ごーめんごめん。でも時間通りじゃん。やろやろっ」
流石無限の器用さ。遥はささっと謝り、ささっと溶け込む。野恵もそれに便乗する。さり気なく若木を探したが、案の定いなかった。
野恵は冷汗をかいて教室の真ん中に立っていた。クラスのリーダー格の女子、小田優樹菜が口を開く。
「もう終わってんだけど。なんで来なかったんだよ。どんだけ連絡したと思ってんの」
うん。見た。通知やばかった。でも見たのは予鈴が鳴ってから。今日は遥が休みで他の子とご飯を食べた。それで終わりにすればいいのに、トイレついでに同じフロアの図書室へ足を踏み入れたのが運の尽きだった。予鈴を聞いて血の気が引いた。教室まで走り、教室に飛び込むとクラスメイトたちはとっくに着替えを済ませて野恵を責めるべく手ぐすね引いて待っていた。野恵は慌てて謝ったが、何の効果もなかった。
「謝れなんて言ってないし。なんで来なかったか聞いてんの。練習する気あんの? なんで黙ってんだよ」
なんで黙っているか? だってみんな怖いんだもん。怖い顔してるってだけじゃない。だってみんなのこと全然わかんない。体育祭で勝ちたいとか休み時間とか放課後を潰してまで練習したい気持ちが全然わかんない。わかんない人達って怖いでしょ。ただでさえ足が遅くて辛いのに、走るの好きじゃないのに、体育の時間は体育祭の練習で走ってばっかりで、体育祭なんて中止になればいいって思ってる。でも、みんな足速くて走るの好きっぽいし、体育祭すごく楽しみにしてるじゃん。だから私一人の考えで体育祭は台無しにしたくないから、ちゃんと協力するよ。でも、今日はつい本に夢中になちゃった。悪気なんてない。悪いと思ってるけど、そこまで責められること?
だが、そんなことを言ってどうするのだろう。誰が納得するというのだろう。納得するとしたら遥ぐらいしか思い浮かばない。遥は今日の私を知って友達のままでいてくれるのだろうか。何分後かにはいじめのターゲットのされるかもしれない私を見て。
ぐるぐる回る思考の中で立ちすくんむ。だが、もうこうなれば事実だけ言って謝るしかない。本読んでたら夢中になっちゃった。ごめんね。明日からちゃんと行くから。できるだけ明るい声で。遥みたいに。
「ごめん!」
謝ったのは若木木ノ芽だった。クラス中が驚きの声をあげて若木を見る。一番驚いたのは野恵である。何故、若木が謝っているのか皆目検討がつかない。
「神谷さんが美術室の前歩いてたから、欲しい文房具買いに行ってもらってて、そしたら混んでて遅れちゃったみたい。ごめん。なんか女の子パシリに使うの不味いと思って内緒にしてって神谷さんに頼んだから」
若木はつっかえつっかえ言った。「えー。神谷なんで言ってくれないの。そんなこと秘密にすることなくない?」
まったくもってその通りだと野恵は思った。
「いや、若木くんが内緒って言ったから」
「あ、飴! 飴あげたし。黙っててって」
「飴ぐらいで買収されんなよー。真面目だよねえ。神谷」
「いや、あはは」
断言しよう。みんながいなかったらその場でしゃがみ込んでいた。
「若木くん」
放課後、美術室に行くと果たして若木はひとりでそこにいた。まだ部活が始まる前だ。誰か来る前にお礼しないと。
「助けてくれてありがとう。あの、ごめん。お礼したいんだけど今、金欠で。代わりになるかわかんないけどけど体育祭が終わったら茶道部でお茶会やるの。よかったら、また来て。このチケット見せれば何度でもタダで入れてくれるから」
お礼になっていないかと心配になるほど、若木は野恵とチケットを交互に何度も見た。
「ほんと、助けてくれてありがとう」
重ねて言うと若木は差し出されたお茶会のチケットを受け取った。
「神谷さん、これ」
「うん?」
「お茶点てるの誰」
「三年と二年。五人だけだけど。二年は私と小川遥」
なんでメンバーなんか聞くのだろう。全然知らないところに行くのが心細いのだろうか。それとも知り合いに来ていることを見られたくないのだろうか。だが、二年の一存で若木の都合に合わせるわけにいかない。
「いつのお茶会でも入れるよ。特別チケットだから。若木くんが好きな時に来てよ」
暗に時間を合わせたいなら自分でと言ったのだが、伝わっただだろうか。
「特別」
伝わっていない気もするが、間違ってはいないのでうなずく。
「なんで助けてくれたの」
「お茶会、誘ってくれたから」
「え? いや、それ結構前じゃない?」
四月のお茶会のことだろう。あれは部員勧誘のためのお茶会だ。正直、若木を誘ったのはたまたま近くにいたからというだけである。若木は美術部固定だから茶道部にくることはない。だが、若木が来ればもしかして男子部員の呼び水になるのではといじましく思って声をかけただけだ。実際は何の効果もなかったのだけれど。
「美術系以外で物頼まれたの初めてでなんか新鮮で、嬉しかった。そのお礼」
罪悪感で野恵は冷汗をかいた。自分からお礼しに行っておいてあれだが、今すぐここから立ち去りたい。
「それに」
「うん?」
まだ続くのだろうか。帰りたい。
「お茶点ててる神谷さんすごくよかった」
「そ、そお。ありがと」
罪悪感に嬉しさ、照れまで加わり頭がごちゃごちゃしてきた。
「だからまた行く」
「うん」
「絶対行く」
「わかった」
「ありがとう。チケット嬉しい」
「うん」
今日の若木はよく喋る。いつもうなずくばかりなのに。
「結構楽しい」
「なにが」
「ありがとうって言うの」
若木ははにかむように笑った。
「いつも言われてばっかりだから」
「昨日ドジったんだって? 」
次の日、さっそく遥に言われた。流石無限の器用さ、休んだって情報はばっちりだ。
「話聞いたときあたしまで冷や汗かいたわ。でもさあ、若木のお使いとか嘘でしょ。どういうこと?」
「あのさあ」
「何」
「あたし、このクラスでよかったかもしんない」
「は?」
昨日から若木のあのはにかんだような笑みが忘れられない。
「小田さんたちに感謝したいかも」
「もう徹頭徹尾わっかんないんだけど。若木と二人で変な物でも食べた?」
「お茶会頑張る」
「何食べたの。ほんと」
流石の遥も若木の奇行と野恵の転向の理由まではわからないらしかった。
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