第九章 モードル(2)

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 「これの? どこが? 結局、デクレトリになんか流刑になったのに? 大体デクレトリなんて、どこにあるのよ」  メリオンで生まれ育ったルフィナですら、名前を聞いたことがないデクレトリ。恐らくは辺境のひなびた土地なのだろう。ルフィナは深いため息をついた。今度はキニーの為ではなく、これから先の自分に向けてのものであった。  「もうグラステスへ行くどころじゃないわね。全くの正反対の方角だもの」  モードルを脱出して、グラステスにいる叔父や母と合流するという望みは、もはや叶いそうにない。  「これでよかったのかもしれませんよ」  ふと、エーラが意味深なことを口にした。  「どんな形であれ、モードルを離れることができましたから。ルフィナ様、これまでモードルにいて何か感じられたことはなかったですか?」  「────何の話?」  この口調、過去に覚えがある。こんな言い方をする時は大概────  「申し上げるのは控えておりましたが、モードル城と言うのはいわくつきのお城なんですよ。陛下の体調不良は、そこから来てるような気がしてなりません。以前、お母上様もひどく暗い表情をなさっていましたし。もちろん、レオネ様のことがあったせいもあるでしょうが。それから、あなた様も」  「わ……私?」  あんぐりと口を開けて、ルフィナはエーラに向けて問い返した。  「私、そんなに変だった?」  「えぇえぇ、それはもう。お母上同様にどんよりなさっていましたよ。考えてみれば、ティーリア妃様だって、以前はあのようなお方ではございませんでした。どうやら、王家にまつわるお方にばかりおかしなことが起きるようで」  エーラはうんと声を潜めて、昔がたりの老婆のような顔つきになった。  「かれこれ六百年ほども昔のことです。モードルがまだ異民族の支配にあった頃、とある王様にそれはそれは美しい寵姫がいらっしゃいまして────」  ひーっと声を上げて、ルフィナは両耳を塞いだ。  「やめてよ、私がその手の話嫌いだってこと知ってるでしょう! 夜寝られなくなるんだから!」  「大丈夫ですよ、ここはもうモードルではございませんし」  と、エーラはいたって真面目な顔で、  「この話を聞けば、デクレトリが少しは良い所と思えるようになるやもしれませんよ────」  「やめてよ。それで私を元気づけようとしてるのだったら、もういいわよ!」  怖い話で人を慰めようとは、エーラは一体どういう神経をしてるのか。ルフィナが怖がりなのを知っている乳母ならではの荒業だ。  「はいはい。分かりました。だったら、少しは食事は召し上がって下さいな。それから、あまり思いつめないようになさいませ。デクレトリだろうがどこだろうが、ルフィナ様ならちゃんと適応して生きていけますよ。これまでと同様に」  確かに、今まではどうにかやって来れた。十歳でセアを追われ、ゲルネルで暮らした後、再び兄の命令でセアの王宮に呼びだされた。それから二度目のセア脱出、カヌイーズ、シーズ、モードル、それから今度はデクレトリ。思えば、ルフィナの人生は文字通り流転の人生だ。  "君はメリオンの女王になる"とリアドが予言したのだから、そうなるのは間違いないとして、一体いつのことになるのやら。十年先? 二十年先? そもそも、フェルデイオとは再会できるのだろうか。  『次に会った時はお互いいい歳したおじいちゃんおばあちゃん……じゃないわよね?』  たった二時間だけが夫婦として過ごした時間。二年経てば、一緒になれるものと信じて疑わなかった。まさかこんな未来が待っていようとは、誰が想像できただろう。北のデクレトリに行けば、トゥーランからはもっと離れてしまう。つまり、フェルディオとの再会の機会もさらに遠のくということだ。  『次にフェルディオ様に会ったら、うんと文句を言ってやらなきゃ』  私の身に何かあれば、すぐに飛んでくると言ったくせに。  『嘘つき』  と腹を立てる一方で、フェルディオが来れないのには、きっとやむにやまれぬ理由があったのだと慮った。     『私との離婚を承諾しなかったのだもの。やっぱり私のこと、妻だと思ってくれてることよね?』  ルフィナは左手薬指の指輪をにらみつけ、心の中で呟いた。とにかく、次に会ったら何はさておき、真っ先にやるべきことをやらなくては。    ◇◇◇  エーラの話がどこまで本当だか定かでないが、どういう訳だかモードルを離れるにつれてルフィナの食欲は戻り、顔の血色も良くなった。キニーのことはずっと心に引っ掛かったままではあるが、キニーの犠牲と引き替えに選びとったメリオンの女王への道を全うすることが、彼女への償いになると思うようにした。  ルフィナら一行は王都セアへは寄らずに、ぐるりと迂回しながらメリオン北部へと入った。その間の警備はなおも厳しく、ルフィナに逃亡を思いつかせることはなかったし、またルフィナの身柄を奪還しようとさせる者がいたとしても諦めざるを得ないほど完璧なものだった。  モードルを出て十日後、遂に一行はデクレトリに到着した。人里もまばらないかにも寂しげな地であった。馬車を降りたルフィナは、さらに舟に乗るよう言われて驚いた。ふと目の前を見ると、まるで海のように湖が広がり、その向こうに夕霧に包まれた建物がぼんやりと立つのが目に映った。  『湖の真ん中だなんて! これじゃ逃げられないわ』  と、ルフィナが湖の前に呆然としていると、小綺麗な身なりの男性が歩みよって来た。  「お待ちしておりました、王女殿下。私がダリヤ城を所有していますバルウェルト・ディークです」  そこまで老齢でもない、物腰穏やかな男性だった。こちらが罪人であるにもかかわらず、ルフィナに対し大層礼儀正しい態度で接してくれた。          
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