第十章 デクレトリ

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第十章 デクレトリ

 ー1ー  そして────  待ち焦がれたフェルディオからの返事が、とうとうルフィナの手元に届いた。半月後のことである。その日はちょうどバルウェルト夫妻が訪ねてくる予定の日だったが、ルフィナへの配慮からか夫妻は予定を変更し、手紙だけがダリヤ城に届けられた。  狂喜乱舞のルフィナは興奮のあまり、すぐに封を開けることができなかった。エーラにしつこく促されて、ようやく開くことが出来た。婚約時代、フェルディオとは知らずに受け取っていた手紙と同じ筆跡がそこには並んでいた。  "愛する我が妻ルフィナへ"    『愛する妻ですって────』  その一言だけで、ルフィナは有頂天になったが、気を取り直して先を読み続けた。そこには、兄アラザルドの元で不自由な暮らしを強いられているのを知りながら、ルフィナを救い出せなかったことへの悔恨と詫びが綴られていた。  バルウェルトの説明の通り、トゥーラン国王の急な逝去でフェルディオは身動きが取れず、繰り返し抗議の使者をアラザルドの元へ送りつけたもののことごとく無視されたのだという。結婚の有効性を疑われ、再三離婚の催促を受けたが、応じる気持ちは微塵もなかったと力強い調子で書かれていた。  「そうよね。私もフェルディオ様を信じていたわ」  ルフィナは左手薬指の結婚指輪に向けてそう話しかけた。つい最近、リーナに頼んで金細工職人にサイズを直してもらい、もう隙間を布で詰めなくても外れなくなっていた。  "幸いこちらの方は順調です。メリオンへ行ける日もそう遠くはない。引き続き、あなたの釈放をアラザルド王へ要求します。そして、今度こそどこへだろうと、必ずあなたに会いに行きます"  『アラザルドは決してただで私を解放しない』  ルフィナは読み終えた手紙を胸に押し当てたまま、ぼんやりと霧に霞む湖の彼方に目をやった。こうして見ると雲の上にでもいるようだ。  『私が王位継承者でなくならない限りは。そうね、バルウェルトはフェルディオ様と私を会わせてくれると思うけど、でも────』  初めて会った日、バルウェルトから自分はアラザルド王に忠誠を誓っているとはっきり言われた。ルフィナに掛けられた罪状を信じてはいないが、王の命令には従うつもりであると。  「ここをご自分の家のように思って下さって結構です。お好きな時にお好きなように使われてよい。ただし、それはこの島の中のみでと言うことです」  どんな説得にも買収にも応じまい。バルウェルトにはそう思わせるところがあった。リーナにしても同じだ。リーナはいい人だし、ルフィナの境遇に同情してもいるが、夫に逆らうほどの強さはないように思えた。  『こうやって、フェルディオ様と連絡を取れるようになったのだもの。先のことはじっくり考えればいい』  一方、グラステスの叔父エドアルドらの動向も気になるところだ。それに関しても、バルウェルトは何一つ隠すことなく話してくれた。ルフィナが知っているのは、グラステス南西のフランで小競り合いを繰り返しているといったところまで。それは前にタリオリーニから聞いたものだ。  が、タリオリーニが"小競り合い"と評したフランでの戦いは、実はなかなかに大きな戦闘だったようだ。アラザルドの軍はそこでも大敗し、グラステスを含む南部は完全に叔父たちが制圧した。今やメリオンは北と南とに真っ二つに分かれてしまった。王都セアからは軍勢を立て直す為にも、一旦セアへ退くようアラザルドに向けて進言する声が日に日に高まってはいるのだが、諦めきれないアラザルドが撤退を渋り、お陰で補給路を絶たれて疲弊している兵士らには間もなく冬の寒さが襲いかかろうとしていた。  アラザルドには人望がなく、金もない。かろうじて付き従っているのは、バルウェルトのような代々国王に忠誠を誓うことを誇りに思っていきたような老齢の貴族たちばかり。一方のエドアルドはと言うと、派手な生活もせずに地道に蓄えてきた財をここぞとばかりにばら蒔いていた。しかも、悲劇の王子レオネが生前に見せた気概ある態度が、共に戦ってきた者たちの胸に今も深く刻まれており、エドアルドはそこを上手く利用して王子の死後も諸候らを陣営に引き止めておくのに成功していたのだ。  そうは言っても、レオネの遺志を引き継ぐはずのルフィナがいつまでも不在のままとなると限界がある。遡れば王家の傍流でもあるエドアルドが、実は王座への野心を抱いているのだと疑われかねない。だからこそ、アラザルドはルフィナをわざわざ僻地のデクレトリに押し込めた。戦いの方がどうにもならないとなれば、後は敵の内部分裂を待つより他ないとでも言わんばかりに。  ◇◇◇  フェルディオとの手紙のやり取りは、その後も絶え間なく続いた。当然、逃亡を警戒されているのは明白で、そうした話題は手紙の中に一切書かなかった。ごく普通の夫婦間の会話であり、互いを気遣う文言ばかりが並ぶが、それでも手紙が届いた日の晩のルフィナは興奮の余り寝付けなかった。今はフェルディオと繋がっていられることが、ルフィナにとって何よりの幸せであった。    
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