第十章 デクレトリ

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 ー2ー  蝋燭の炎は最初は小さく揺らぎ、かと思うと突然激しく揺れ動き出した。この時になっても、ルフィナは何か変だとも思わずに、ただ食い入るように炎の舞に目を奪われていた。炎の高さはいつしか倍にも膨れ上がり、まるで何かを訴えようとするかのようにルフィナの側へと伸びてきた。その時、炎が"口"をかぱりと開き、どこかで聞き覚えのある声でこう叫んだ───ような気がした。  『行け、ルフィナ。行け!』  その後の自分の行動に関しては、後からいくら思い出しても説明のしようがない。だが、はっと我に返ったルフィナは燭台を床の上に叩き落としていた。それから、机に積み上がるフェルディオからの愛の証である手紙をひっつかむと次々に炎へと投げ込み出した。  部屋の隅で縫い物をしていたエーラは炎に気付き、ぎゃっと叫んで大慌てで水差しの瓶を手にすっ飛んできた。が、  「待って、エーラ! 水をかけないで!」  という思いもかけないルフィナの指示に、エーラは呆気にとられて振り返った。  「な……何をおっしゃいます? 火事になりますよ!」  「いいの!」  ルフィナはなおも魅入られたように炎を見つめている。どうにかなってしまったのか。エーラはルフィナの命令には従わず、自らの意思で火を消そうとした。しかし、ルフィナが素早く水差しを取り上げて、炎とはまるで逆方向に投げ捨ててしまった。  「ルフィナ様!」  恐怖を覚えて、エーラがまたも甲高く叫んだ。  「い……一体、どういうおつもりで!? このままでは火が……火が……」  「まだよ。動かないで。まだじっとしてて!」  ルフィナはパニック状態になりかけのエーラの右の二の腕をぎゅっと掴み、揺さぶった。  「もうちょっと……あと少しよ。えぇ、もう少し……さぁ、いいわ。行くわよ!」  火が絨毯に燃え移ったのを確認してから、エーラの腕を掴んだまま部屋の扉へ突進した。途中、衝立に引っ掛けておいた革袋を取るのをもちろん忘れてはいない。二人はばたばたと廊下を走り、階下へ向かう階段を駆け降りた。  「大変! 火事よ!」  ルフィナはすれ違う者たち全てに、部屋が燃えていると訴えた。彼らが火事と聞いて狼狽している間にも、二人はなおも階段を降りていき、とうとう台所まで行き着いた。  そこでも火事だと大騒ぎしながら通り抜け、ついに戸口にたどり着いた。鍵はかかっておらず、そのまま外へ出た。二人がたどり着いた場所は、食材や荷物等を運び込む為のささやかな船着き場があるところだった。そして、以前ルフィナが目撃した小舟が隠されているのは、ちょうどこの下の辺りだった。  ルフィナは手探りで杭に繋がれた縄を手繰りよせて、舟を表に引っ張り出した。  「乗って! 早く!」  疾走した後のエーラはぜいぜい言いながらも、何故か尻込みした。  「誰がこれを漕ぐんです?」  「私よ」  と、ルフィナは苛々と肩をすくめた。  「他に誰がいるって言うのよ」  「ですが……ルフィナ様は舟を漕いだ経験がおありですか?」  「ないわ。でも、私がやるしかないでしょう」  ルフィナは渋るエーラを先に舟に飛び移らせ、続いて自分も乗ろうと身構えた。ところが、ルフィナの動きを制するように何者かが背後に立ちはだかった。  はっとして振り返ると、度々顔を合わせたことのある北部訛りの男が立っていた。  『見つかってしまった……』  ルフィナは落胆した。そうあっさり逃げられる訳ないのだ。火事のどさくさぐらいで監視の目を欺けるなんて、考えた私が馬鹿だったんだわ。  「お願い、見逃して」  絶対に無理だ。それでも、ルフィナは嘆願せずにいられなかった。男が手にする燭台の光の中に、何の感情も見せていない若い男の顔が浮かび上がっている。男は何ら騒ぎ立てることもなく、ただじっとルフィナの顔を見下ろしていた。この人の一言で私はまた牢獄に引き戻されるのだわと、ルフィナは覚悟をきめて喉をごくりと鳴らした。ところが、男はルフィナの脇をすり抜けて、小舟のちょうどエーラの隣に飛び移った。  「俺が漕ぎます」  男はぼそりと言って、ルフィナに手を差し出した。思ってもみない展開に、ルフィナは唖然とした。が、ぼやぼやしている暇など一秒もないと理解し、大急いで男の手に掴まる。ルフィナがエーラの隣に収まったのと同時に、男は櫂を握って舟を漕ぎ始めた。  舟は滑るように湖の上を渡っていく。全く思ってもみない夜だ。ダリヤ城から出ていく光景を何度も頭の中に思い描いてきたルフィナであったが、こんな状況は考えてもみなかった。しかし、何もかもまだ始まったばかりだ。せっかく手にいれたこの機会を決して無駄にしてはならない。  やがて舟は岸に着いた。ダリヤ城のルフィナの部屋は、未だ火が消えてないのかオレンジ色の光が揺らめいている。男は地面に降り立ち、くるりと向いてルフィナとエーラに手を貸した。ルフィナはまだ心から信頼してよいのか分からない面持ちで男の顔を見上げた。  「ありがとう」  男はルフィナの礼の言葉に小さく頷いた。  「どうして私たちを助けてくれるの?」  「俺の生まれはここデクレトリですが、祖父はギグリンの出身なんです」  ギグリン? ギグリンと言えば、ゲルネルのすぐ近くの都市だ。しかも、あの聖カトレアーナの祝祭が行われる場所ではないか。  「あなたのおじい様は南部の出身なの? 私、ギグリンには行ったことがある。夫に初めて出会ったのもそこなの」      
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