第十章 デクレトリ

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 取り立てて目立つものもない、小さな街であった。近隣のシーズに比べても、外部から訪れる人の数は少ない。シーズより安く泊まれるといった理由でここに来る商人が多少いるようだが、それも数える程度のものである。  オーロンも、慣れていない街でどうしてよいやら分からないといった顔をしていた。大地の精霊のお告げに従ったはいいけれど、ここで何かをしろと言われた訳ではないようだ。とりあえず、空になった水の皮袋を満たしにどこかへ行ってしまった。エーラもまたいつものように街の情報を仕入れに出かけていき、ルフィナは一人仲間の帰りを待っていた。  ルフィナがいるのは土埃の舞い上がるネルレンで最も大きな通りであった。街で最大の道でありながら、ろくに人もいなかった。たまに通りすぎる人々を眺めながら、ルフィナはあの人はどこから来たのだろうと想像しながら暇を潰していた。あの人、服の生地が分厚いから、きっと北方の人ね。向こうを歩いている人は変わった帽子をかぶってるから、キラト人ではないかしら。それから、あの人は────  そうやって時を過ごしていると、ある一団が通りかかった。一見したところ、商人の一団のようであるが、どうも商人にしては身なりがしっくり来てない気がした。まるで、最初の頃のルフィナが農婦の服装に全く馴染んでなかった時のようだ。  『変なの』  何故だか目が離せなかった。彼らは四人組でそれぞれ馬に乗り、道の端っこにいるルフィナなど見向きもせずに、通り過ぎていった。先頭をいく男が何気なく後ろを振り返って、そこにいた別の男に話しかけなかったら、ルフィナもその顔に注目したりしなかっただろう。  だが、ルフィナははっきりと見た。フードに隠れていた顔は、メリオン人ではなかった。柔和な笑みを浮かべた気品ある顔立ち────もちろん、ただの商人なんかであるはずも無い。  ルフィナは弾かれたように立ち上がり、たった今通り過ぎたばかりの馬の後を追いかけ始めた。そして、心の中で必死に叫んだ。お願い、行ってしまわないで! 私はここにいる、あなたのすぐ後ろにいる! ずっと離れ離れだったあなたの妻はここに────  「フェルデイオ様!」  懸命に駆けながら、ルフィナはとうとう声に出した。商人の格好をした一団はルフィナの少し先を行っていたが、ルフィナの声は届いていない。しかも、誰一人として後方を気にしてもいない。  「待って、フェルディオ様、待って!」  焦るあまりに転んでしまった。農婦の被り物が頭からずり落ち、その拍子にルフィナの赤い髪があらわになる。盛大に転んだお陰で、最後尾の男がはっと振り返った。男は不思議そうにルフィナの方を見やり、それから先頭を行く男に何やら言葉をかけていた。  転んだ状態のまま、ルフィナは自分の二十歩先の前で起こっている光景を見守っていた。先頭の男は馬を止め、馬ごとこちらの方へと向き直った。この時、ルフィナは初めて自分が燃えるような赤毛───長年憧れていた金髪などでなく───を持って生まれたことに感謝した。こんな目立つ髪の色をフェルディオが見過ごすはずがなかった。  男は他の三人を残し、一人だけでルフィナの方へと近付いきた。それからひらりと馬から飛び降りて、呆気にとられたように呟いた。  「ルフィナ? あなたはルフィナですか?」  それはこの二年の間、ずっと聞きたかった声だった。ルフィナはまだ地面に転がっていたが、何度も繰り返し頷いた。  「何てことだ。どうしてあなたがここに? デクレトリにいるのではなかったのですか? いや、そんなことよりも────大丈夫ですか?」  フェルディオの助けを借りて、ルフィナはようやく立ち上がることが出来た。両手を擦りむいてしまったが、それ以外に怪我らしきものはない。フェルディオはルフィナの服から土埃を叩き落としてやりながら、  「信じられません。夢を見ているようです」  と漏らしたが、これが現実と思えないのはお互い様であった。ルフィナもまた、目の前にいるフェルディオが本物だと心から確信するまで時間が必要だった。あまりにも突然過ぎる再会なので、当然、心の準備など出来ていない。  「よかった……フェルディオ様……よかった……」  辛うじて言葉に出来たのはそれだけで、もう離れないと言わんばかりに、ルフィナはフェルディオの体に腕を回してしがみついた。フェルディオはそんなルフィナを抱きしめ、彼女の気持ちが落ち着くまでずっとそのままでいてくれた。  ルフィナは自分でも意識しないまま泣いていて、涙でぐしゃぐしゃの顔をフェルディオの肩に押しつけていた。フェルディオの連れの男たちもいつの間にか馬を降り、神妙な顔付きで二人の再会を見守っている。  「さあ、ルフィナ。よく顔を見せて下さい。本当にあなたなのですね?」  促されて、顔を上げる。ルフィナの顔は土埃ですっかり薄汚れていたけれど、涙の滲む緑色の瞳は、その昔ギグリンの祭りの夜に一目でフェルディオの心をとらえた時と同じ輝きを湛えていた。  「あぁ、間違いない! やはりあなただ。ルフィナ、ようやくあなたに会えたのですね!」  と、嗚咽で返事もままならないルフィナの頬から涙を拭き取ってやりながら言った。  「だが、私には分からない。一体、何があったのです? デクレトリにいるはずのあなたが、何故ネルレンにいるのですか? それに、その格好は? いや、服装に関しては私も人のことは言えませんが」  「フェルディオ様、実は……」  
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