第十章 デクレトリ

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 これまでの経緯を語ろうと、ルフィナは口を開いた。とその時、  背後でひーっという女の甲高い声が響いた。それは戻ってきたエーラの悲鳴だった。ルフィナが男四人に囲まれているのを見て、てっきり追っ手に捕まってしまったと思ったらしい。ルフィナの名を一言叫ぶと、勇敢にもフェルディオに体当たりしてきた。が、すんでのところでルフィナが立ち塞がり、  「エーラ、やめて! 見て分からないの? この方、フェルディオ様よ!」  と説明すると、エーラは目を白黒させながらフェルディオの顔を凝視し、それから申し訳なさそうに非礼を詫びた。  「ご……ご夫君でしたか。私としたことが、何てことを……大変失礼いたしました」  もちろん、フェルディオは少しも気を悪くしなかった。それどころか主人を守ろうとしたエーラの勇敢さを称え、感謝の言葉すら口にした。エーラは思ってもみなかった称賛にすっかり恐縮し、大きな体を縮こませて後ろに下がった。  どこか落ち着いた場所で話したかった。それを察して、フェルディオはルフィナを手近にあった楡の木の下へと連れていってくれた。ルフィナはまだ興奮冷めやらぬ様子であったが、時間が経つにつれて少しづつではあるが落ち着きを取り戻した。その間もフェルディオの大きな手は、ずっとルフィナの手を包み込んだままだ。  「私がトゥーランを発つ時、デクレトリに使者を送ったのですが。報せを聞かなかったのですか?」  フェルディオは十日前にトゥーランの都を出発した。引き連れてきた百五十の私兵を国境地域に待機させておき、選りすぐりの側近だけを連れてデクレトリへ向かっているところだったという。パルウェルトが信用ならない男だというのは、フェルディオも確信していたので、ダリヤ城に入城した際には国境にいる兵を呼び寄せ、デクレトリを包囲する作戦を立てていたのだと語った。  「しかし、この作戦もあなたがデクレトリにいなければ無意味なものとなるところでした。確かダリヤ城は湖に囲まれた城だと聞いてましたが、どうやって抜け出したのです?」  ルフィナはこの数日に起こった出来事を、一つ一つ順を追って説明した。偶然にも部屋が火事になり、どさくさに紛れて城を出たこと。協力者を得られて農夫の家に匿ってもらい、この服もその時交換してもらったものだということ。リジャで〈ヨーレン谷の民〉であるオーロンと出会い、彼らの仲間の家に泊めてもらいながらここまでやって来たこと────  そう言えば、水を汲みに行ったきりオーロンが戻ってこない。この後も長いこと待ってみたが、彼が姿を見せることは二度となかった。ルフィナがフェルディオと出会えたので、もう道案内としてのオーロンの役目は終わったということか。ルフィナは心の中でオーロンとここへ向かうようお告げをくれた大地の精霊に心から感謝した。 ◇◇◇  この日、ルフィナたちは先へは進まず、ネルレンに宿泊することにした。ただし、ネルレンはあまりに小さな町で、旅籠など決して上等と言えないし、数もそう多くはない。シーズに行けばもっと快適な宿屋があるはずだが、シーズはルフィナたちにとってあまりにも危険過ぎる。  「私なら大丈夫。どんな宿でも気にしません。農夫の家にも〈ヨーレン谷の民〉の家にも泊ったし、もう大抵のことでは驚かないわ」  農婦姿の女二人とくたびれた装いの商人の集団が目立たず泊まるには、やはりネルレンの方がよい。そう話し合って今夜の宿と決めた宿屋は、ネルレンの中央通りに面した想像以上に質素なところだった。  大部屋に六人まとめて入れられた。フェルディオの連れの三人は気を利かせて、今夜は(うまや)で寝ると申し出た。困ったのはエーラだ。夫婦二人の部屋に自分がいてはさすがに邪魔だと思うが、見知らぬ男たちばかりの厩で寝るのはそれはもう恐怖でしかない。  「エーラはここにいなさいよ」  ルフィナはフェルディオを窺うように見、彼が頷くのを確認してから言った。  「厩で寝たりしたら、また腰が痛くなるわよ。旅は長いんだから、無理しない方がいいわ」  「ですが……せっかく、ご夫婦水入らずで過ごせる日が参りましたのに」  「我々はこれから先もずっと一緒なのだ。一晩くらいどうってことはない」  次にフェルディオと再会したら、もう決して『白い結婚』などと言いがかりをつけられぬようやるべきことはやると息巻いていたルフィナだが、そんなことはおくびにも出さずに頷いた。  「えぇ、フェルディオ様のおっしゃる通りよ。私たちに遠慮しないでいいから、今晩はここで一緒に休みなさい」  「はぁ……」  部屋に備え付けのベッドは、少なくとも人数分寝れるだけの広さはある。簡素な夕食を済ませた後、中央にルフィナ、左側がエーラで右側がフェルディオという順番で就寝した。  
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