花笑み

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ついに、小難しそうな文学全集にまで手が伸びようとした頃、学校が再開された。 フレアの流行が少しおさまってきたからだそうだ。だが、相変わらず僕らの街でもフレアは流行っていたし、ニュースでは毎日亡くなる人の数が読み上げられた。 「ねぇねぇ、誰あれ」 前の席のアツシが、教室の後ろ、一番すみに座っていた女の子をこっそり指さした。 「知らない。誰だろ」 学校が閉鎖されたのは桜が咲き始めた季節だった。卒業式も入学式も、修了式も始業式もすっ飛ばして、僕らはいきなり6月から始まる事になった。 だから、持ち上がりのクラスとはいえみんなとも久しぶりだ。 「女になんか興味ないからな。名前忘れちゃったのかも」 僕の後ろの席のユウキが硬派なふりをして言った。僕は覚えている。保育園の頃、ユウキは女の子に一人だけ混じっておままごとをしていた事を。 お互い、防護マスクで顔が見えないとはいえ、立ち居振る舞いや声でクラスの誰かは分かる。 ケンカばかりしている女子だって大体は分かる。 けれど、その後ろの席の女の子だけは見覚えが無かった。 「転校生かな」 「席も一番後ろだしな」 アツシとユウキが結論を出した時だった。 「こらー、みんな席つけー」 担任の木村先生が入ってきた。みんな慌ててばらばらと席につく。 木村先生も、防護マスクをしていてその表情はよく分からない。先生は出席簿を教卓に置くと、ぐるっと教室を見回した。 「みんな、「フレア」が流行って休校になって大変だったな。まずはこうして無事、みんなで集まれて良かったと思う」 先生の声は低く、真剣そうだった。考えてみれば、これだけ毎日フレアがニュースで取り上げられているのだから、クラスの誰かが感染したり、亡くなったりしてもおかしくないのだ。僕は心底怖くなった。 先生は一通りの連絡事項を伝えたあと、 「花森、前へ。」 と、手をひらひらさせてさっきの女の子を呼んだ。 女の子は、スッと静かに立ち上がり、前に進み出た。綺麗な姿勢だった。 僕ら三人はその子を目で追った。 防護マスクに覆われているので、その表情は覗えない。 木村先生は、白のチョークでその子の名前を書いた。 「花森明莉さんだ。3月に東京からこっちに引っ越してきた。みんな、仲良くしていこう」 (はなもり…あかり…) 僕は心の中で名前を繰り返した。 花森さん、は先生に促されたが、恥ずかしいのか、ペコっと頭を下げるだけで何も言わなかった。 僕らの履いているのとはちょっと違う上履きに、ワンポイントの付いた靴下、淡い紫のスカートと、白い半袖のブラウス。防護マスクから少し覗く襟にはちょっとだけレースが付いていた。 東京から来たせいなのか、なんだか雰囲気が違う女の子だった。 「みんな、色々教えてやってくれよ。花森も、早くこの四年二組の仲間を覚えてくれ」 そう言って、木村先生は花森さんに席に戻るよう促した。 仲間を覚える…と言ってもお互い顔が見えないのだが。
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