1話 手首はどこへ消えた?

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 晴澄はハンカチを夫人に手渡し、その嗚咽が落ち着いたところで、テーブルに出していた茶を勧める。 「奥さまは……旦那さまのお手を、どちらへお持ちになったのですか」 「家……私たちの家です。あの人、最後にピアノを触ったの、半年以上も前で……ずっとピアノと生きてきたのに、ピアノも左手も本当は大事にしていたのに、こんな死に方じゃ浮かばれないでしょうから……」  故人を偲んでの行動だったわけか。  危惧していたより込み入った事情でなかったことに安堵するも、葬儀屋として忠告はしておかなければならない。 「何事もなく幸いでしたが……職務質問にでも遭っていれば、奥さまが謂れのない罪に問われる可能性もございました。  ご遺体の血液には感染症リスクも潜んでおります。ご自宅に帰られたら消毒を徹底なさってください」 「は、はい……ご迷惑をおかけしました……」 「それから──」  にやつくヴェスナの顔がうるさい。  同居人に接客中の姿を観察されることほど嫌なことはなかった。だが仕事は仕事であり、晴澄には顧客の要望に応える義務がある。
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