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エリザベスがバルコニーから広間に戻ると、すぐそばでクラリスやジェシーが立っていた。明らかに盗み聞きしていた様子だが、エリザベスはそんなことには気が付かない。
彼女たちを見つけた途端、その瞳はキラキラと輝いた。
「お二人とも、ごきげんよう! あら? ルーシーはいないの? 珍しいわね」
「ごきげんよう、エリザベス様。ルーシーはちょっと妹君を取り押さえていて……」
「え?」
「そ、それよりっ、エリザベス様、大丈夫でしたか?」
「大丈夫? 何がですの? 私は今、やる気に燃えておりますわっ」
いつにも増して鼻息荒く胸を張るエリザベスを前にし、クラリスとジェシーは、返り討ちにあったであろうモニカに同情した。
するとクラリスとジェシーの背後から人影が近づいてくる。それに気づいたエリザベスは手を高く上げた。
「キャロル! あなたも来たのねっ」
「お姉さまっ!! 大丈夫でしたの!?」
「え? な、何?」
「怖かったでしょう!? キャロルが来たからにはもう安心ですわっ」
キャロルは勢いよくエリザベスに抱きつく。突然の熱烈な抱擁に戸惑うエリザベスは、さらに後ろから駆けてきたルーシーに視線で説明を求めた。
「キャロル様はモニカ様がエリザベス様に何かひどいことを言うんじゃないかって心配されてたんですわ♪ 『きっと大丈夫です』って、私がとどめていたんですけどね♪」
「そうだったの? キャロルったら。心配いらないわ、モニカ様はお優しいんだから」
エリザベスはそう言うが、キャロルはバルコニーのほうへ睨みをきかせている。だが、この後に控えているものを考え、文句を言いに行くのは諦めた。
「私もひと言モニカ様にご挨拶したいところですけれど、まもなくダンスが始まりますから、諦めますわ。お姉さま、私たちも行って準備しなくては」
「そうね! では、私たちは先に戻っていますわねっ」
エリザベスは三人にそう告げ、キャロルに手を引かれて広間の中央へと向かった。
戻りながら、キャロルは盛大なため息を吐く。
「あぁ、本当に面倒ですわ。不本意ながら、私たち二人ともロナルド皇子と踊らなくてはいけませんものね。嫌ですけれどがんばりましょう、お姉さま」
キャロルの言葉に微笑むと、エリザベスは足を止めた。急な行動に、キャロルは不思議そうな瞳で姉を見つめる。
「お姉さま? どうし……」
「キャロル。あなたに辛い思いをさせるのも、今夜で最後よ」
「え? それってどういう……」
「これまでたくさん苦しめてきてしまったこと謝るわ」
「な、何言ってるんですの? ちょっと待っ……」
「キャロル。どうか、幸せになってちょうだい!」
エリザベスはキャロルの静止はまったく気づくことなく、彼女の腕を離し、ひとりで中央へと向かっていく。
普段は周囲の人を尊重し、もっぱら人の話に耳を傾けてばかりのエリザベスだが、今のように何かに気を取られると、周りの音が聞こえなくなってしまうのが彼女の残念なところだ。
キャロルは威風堂々と進んでいく姉の後ろ姿を眺めながら、「……少しは話を聞いてくださいませ!」と嘆き、彼女の後を慌てて追いかけた。
エリザベスは凛と姿勢を正し、人波をかき分けて進んでいく。
そして目的の人物の目の前に立つと、彼を見つめた。
それに気づいたロナルドもエリザベスに微笑みかける。けれど、真剣な彼女の表情に違和感を感じ、その顔を覗き込んだ。
「エリザベス? どうかした?」
先ほども挙動不審だったエリザベスのことを心配し、ロナルドは彼女の様子を窺う。
エリザベスは目を閉じると、一度深呼吸し、ロナルドを見据え口を開いた。
「冗談じゃありませんわ! ロナルド皇子!」
彼女の声に、会場にいる人の視線がふたりに注がれる。目の前のロナルドも驚いているのか、目を瞬かせていた。
エリザベスはそれに少し怯みつつ、けれどもう一度気持ちを整え、息を吸った。
「ダンスの相手として、私とキャロルふたりをお選びになるだなんて。失礼だと思いませんの! だいたい、ロナルド皇子がはっきり婚約者を選ばないからこんなことになってるんじゃありませんかっ!」
ロナルドはエリザベスの言葉に目を見開く。
彼の驚愕の表情に、エリザベスは口もとに笑みを浮かべ、髪をなびかせた。
「良い機会ですから、この場で選んでくださいませ、ロナルド皇子。あなたの婚約者を!」
ロナルドはエリザベスの言葉に息を呑む。
「今ここで、か?」
戸惑いつつ述べられた彼の問いかけに、エリザベスは深く頷いた。
ロナルドは厳しい表情を浮かべている。その喉元がゆっくり上下する。彼は下唇を噛み、顔をうつむかせた。
「お姉さま……!」
声がした斜め後ろを見やれば、追いかけてきたキャロルが心配そうにエリザベスを見つめている。
「キャロル、今夜この場で、あなたを楽にしてあげるわ」
エリザベスは悪女らしく見えるようにと、愛する妹へ不敵に微笑みかけた。
エリザベスは首を軽く傾け、再びロナルドに視線を戻す。
彼は戸惑っているのか、腰に手を当て、反対の手で口もとを押さえていた。
その様子にエリザベスは顔が緩みそうになるが、必死で鋭い目つきを保とうと息を細く吐き出す。
ふふふ。ロナルド皇子も、まさか私がこんな大勢の前で悪女を演じるとは、思っていらっしゃらなかったでしょうね。
でも、それこそが、私の甘かったところ。私が悪女だとしても、周囲の人物がそれを知っていない限り、ロナルド皇子は私を婚約者候補として無下にすることはできないんですもの。
ロナルド皇子がキャロルを選ぶことができなかったのは、私が大勢の前で悪女を演じる機会を逸してきたからだわ。
けれど、こうやって大衆に悪女ぶりを知らしめれば、皇子だって婚約者としてキャロルを選ばざるをえないはず。
エリザベスはロナルドと周りの反応を見て、計画の成功を確信した。
「さぁ、ロナルド皇子、選んでくださいませ! 心のままに!」
エリザベスが声を上げると、ロナルドは決意を固めたのか、姿勢を正した。
そしてまっすぐエリザベスを見据える。
「エリザベス、いいのか?」
「ええ、もちろんですわ!」
後ろではキャロルが「お姉さま、待って!」と声を上げている。けれど悪女を気取っているエリザベスは「キャロル、黙ってロナルド皇子の決断を聞きなさい」と言い放った。
あぁ、なんて絵に描いたような悪女の断罪シーンかしら。ここで私は悪女らしく、自分が選ばれて当然!って気取ってればいいのよね。そしてそこに、エリザベスはひどい悪女だ、と言い放つロナルド皇子の断罪の言葉が響くはず——。
「では、私のありのままの気持ちを伝えさせてもらおう」
そう告げたロナルドはその場で、つまり、エリザベスの目の前に跪いた。そして彼女の左手を取り、柔らかな笑顔を向ける。
「エリザベス、今まで待たせて悪かった。今夜、この場をもって、正式に私の婚約者になってほしい」
そしてロナルドはエリザベスの手の甲に口付ける。
唇が離れて再び彼と視線がからまると、エリザベスは目を丸くし、「えっ! えええええ!?」と叫んだ。
思わず手を引こうとしたが、それを見越していたロナルドにしっかりと握られている。彼はすっくと立ち上がると、逆にぐいっとその手を引いて自分のほうへと引き寄せる。
エリザベスの体はぽすんと、ロナルドの胸におさまった。
「ここでみなさまに紹介させていただきます。私、ロナルド・アルハンドルはエリザベス嬢と婚約いたしました!」
ロナルドはエリザベスの肩に手を回し、満面の笑みで高らかに宣言する。
それに周りの皆は、わあっと声を上げ、拍手を送った。
慌てふためくエリザベスの視界の端には、困った様子で額を押さえるキャロルと、その後ろで爆笑したり呆れたりしているクラリスたちの姿が見えた。
……その後、流れた噂によると、この時三人は、
「こういうのってなんて言うんでしたっけ? 『雨降って地固まる』?」
「う〜ん、『飛んで火に入る夏の虫』じゃありません?」
「ざっくりまとめて『身から出た錆』はいかがですか♪」
なんて、言っていたとか、いなかったとか……。
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