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番外
九月某日。ジェラルドから花を貰った。淡いピンク色のそれはあまり花の種類に精通していないゆずるには名前のわからないものだったが、形で言えば牡丹に似ている。しかし牡丹にしては花弁が鋭く細長いので、菊の仲間のようにも見えた。
「何の花?」
「さてな。庭から摘んできたものだ」
ジェラルドが庭と呼ぶのは色鮮やかな花の狂い咲く花園のことだ。かつては執着の墓場と呼び忌み嫌っていたそこは、今や国王となったジェラルドとその花嫁として喚ばれた神子が寄り添って出掛ける定番デートスポットとなっている。
植えられた花が寒暖や季節に左右されず咲き続ける場所というのはゆずるにすれば不思議なものだが、現地人はそう思わないようだった。アルストに聞いたところ「神子様は豊穣も司っていますからね。草花くらいは無意識に力が働いているのかと」と。どうやらあの場所は、召喚された神子の副産物であるらしい。
それから数日して、また新たに花を渡された。今朝摘んできたばかりだと言う。
「これは知ってる、マーガレットだ」
「ほう、俺は知らなかったが」
「だと思った」
どうしてかと訊けば、綺麗に咲いていたからだそうだ。
「でも矢鱈と毟ったら可哀想じゃない?」
「放置していても生い茂っていずれは毟り取られるだろう。どの時代も神子は豊穣の神から寵愛されたとあるし、昨晩も俺の神子はよく励んだからな」
「っ、うっわ! なんてこと言うんだ!」
悪い笑顔を作る大人の唇を押さえるが、逆に手を取られて抱き寄せられてしまう。既に赤くなった頬が殊更赤く染まるので、ジェラルドが楽しげに目を細めた。
「ここ数日の快晴。今更隠し通せるものでもないだろう。なんならアルストからは日照りの心配をされ控えるよう言われたほどだ」
「それ初耳……ア、アルスト……俺には何も言わなかったのに」
うゔ、と唸り声を上げながらも腕の中から逃げることはしない。
二人が出逢ったのは、無感情に厳しく日々を過ごしていた大人にこの子供が愛を教えたのは、いつ頃の話だっただろうか。そう遠い出来事ではない。だが短くとも共に過ごした月日の分だけ、二人の中はより親密に濃密になった。年の功からいつもゆずるを甘く優しく導くジェラルドの大胆な口づけも、夫婦仲だと感じさせる明け透けな会話も、ゆずるは出会った頃と変化なく頬を赤く染める。それが可愛くて仕方がない。
ちゅ、と軽やかなリップ音を立てて顔を離すと、案の定可愛らしく頬を染めたゆずるがむっと唇を突き出していた。
「今度は俺も誘ってよ」
「いいだろう」
出逢った頃の不穏な空気はどこへやら。二人の後ろで気配を消していたアルストがか細くため息を吐き出したのを、ゆずるは気づかずジェラルドは知らぬふりをした。
「ジェラルドさん、これ何の花か知ってる?」
「お前以上の草花への造詣が俺にあると思うのか」
「どうしてそんなに自信満々に……あ、図鑑に載ってた。オレンジの花だって」
国王とその妻が花園で戯れている。
決して暇ではない中でこの時間をもぎ取るために死に物狂いで働いたジェラルドのいじらしさすら感じる努力を思うと、好感こそあれど愚痴をこぼす無粋な家臣はいなかった。元よりこの国の民は皆、勇者と神子の物語を国のおこりと心得ている。愛というものが尊ばれ、人の心を動かしているのだ。
「俺もジェラルドさんに花束を作るから、出来上がったら交換しようね」なんて子供が無邪気に笑うものだから、花を束ねるのも覚束ない男は必死になって花を吟味している。剣ダコとペンだこで硬くなった皮膚で花弁を撫で、一つ二つを摘んで並べては色合いに顔を顰めてやり直している様は、家臣たちの心を掴むには十分だった。この国において愛妻家は美徳だ。
「良い匂い」
白いムクゲと一際映える真っ赤なサルビアを束ねて花を近づけると、柔らかな青く甘い香りが肺を満たす。
「綺麗だね。ここはどこも綺麗なものばかりだ」
なんとなしにゆずるが呟いた。
それはそうだろう。身の安全、豪奢な食事と贅沢な暮らし。望めば何でも手に入る。……そういうものだけを選んで与えたのだから。
過去に神子の護衛兵に向かって「一生あの中にいればいい」と言い放った大人は微妙な顔をした。それを幽閉と同じだと謗ったほうもまた何も言えず背景に徹する。気配の消し方はこういうときに役立つ。
「……ゆずる、この国は美しいか」
「うん」
「だろうな。俺とお前の国だ」
この国は神子を喚んだ。喚ばれた子供は全てを捨てることを余儀なくされた。それは不幸ではないし、むしろ喜ばしいことだ。この国に生まれた人間には一生手に入らない名誉でもある。
そう考えるのは、ジェラルドもアルストもこの世界の人間だからだ。
二人の大人は夜更けに寝入る子供の寝言を知らない訳ではない。父を呼び、母を呼び、泣き言にジェラルドの知らない男の名前が混じる。あれはもう会えない義弟の名前だと後になってアルストから聞いた。
彼から全てを奪う行為の意味を、彼が大事になればなるほど胸に刻まれる。
「この国の美しさは俺が守ろう……だが、お前も手を貸してはくれないか。お前の力が必要だ」
見目の珍しさから手に取った葛の花を手元でいじりながら、ジェラルドは顔を上げられない。自らが無意識のうちに、ゆずるの表情を見るのに臆したからだ。殿下と呼ばれた頃の恐れ知らずの果敢さは暴君とまで陰で囁かれもしたが、人は歳を取るほど聡明で臆病になるらしい。
ジェラルドはこの子供が大きくなるにつれて思い知らされる。この子供から奪ったものを。たとえ奪ったものの代わりに与えたもののほうがずっと大きく価値があっても、ゆずるが要らないと泣くならばそれらに意味などない。
俺の世界に帰してと泣かれることが何よりも恐ろしい。
「ジェラルドさんが俺といるのって、国のため?」
ゆずるが視線の交わらないジェラルドの顔から視線を移し、柔らかな手つきで手元の花を撫でる。
一際大きく鮮やかなピンク色のベゴニアに添えるように混ぜられたベゴニアの花弁より小ぶりで淡い色は控えめな印象だが、この花がゆずるが製作途中のブーケのメインだった。
花の種類もよく知らない無骨な王様だから、きっとそれぞれの花に込められた意味なんて知らないに違いない。
「この国に俺が必要なのは神子だから?」
「国のためであることは否定しない。だがそれだけでは……」
「わかってるよ。ここで国なんかどうでもいいって言えるような人なら俺、絆されてなんかやれないから」
くすくすと笑う様子に悲壮感はない。むしろ楽しんでいるようにすら感じて、ジェラルドはそっと横顔を盗み見た。うっとりと目を細めた子供と視線が交わる。
「この国は神子を必要としてて、喚んで出てきたのが俺だから俺が神子ってものになったんだろ? もし喚んで出てきたのが俺以外だったら、その人が神子って呼ばれてただろうにね」
「……それはそうだ。しかし空想の話に意味などないし、この国の今の時代の神子はお前しかいない。俺が手を取る相手もお前以外あり得ない」
「うん。俺も、俺がジェラルドさんのことを好きになったのは神子だからじゃないし、ジェラルドさんが俺のことを大事にしてくれるのは神子だからじゃない」
わかってるよ、と柔らかに笑う声色が耳に残る。
「ただ神子にいて欲しいだけなら、一生あのまま怖くて厳しいジェラルドさんのままで問題なかったもんね。ジェラルドさんがほしいのは俺じゃなくて神子って存在だけだったらそれは悲しいことだけど、そうじゃないならあとのことはどうだっていいよ。それでいいんじゃないかな」
どうしてこの子供は、自分の望む答えを与えてくれるのだろう。自らの見落としていた視点からよくよく考えられた言葉は、決してジェラルドを喜ばせるために言葉を選んでいる訳ではない。それなのに自然と彼を喜ばせるものばかりの言葉を貰う。
「そうだ。神子だから求めるのではない、この国に必要だからお前を欲するのではない。俺にはお前が必要だからだ」
唇に慣れた温かみを受け入れながら、たとえそばから離れたいと泣かれたところでもうどこにも離してやれないだろうなと諦めにも似たものを感じた。
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解説
今回出てくる花は全部9月の誕生花です。(花言葉は複数のうち一つを載せています)
・ダリア…キク科で花の形が牡丹に似てる(和名天竺牡丹)。花言葉は『気まぐれ』
・マーガレット…『真実の愛』
・オレンジ…『愛らしさ』
・サルビア、ムクゲ…『尊敬』
・葛…『芯の強さ』
・ベゴニア…『愛の告白』
・ペチュニア…『貴方と一緒なら心が安らぐ』
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