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「おはようございます、神子様」
「……お、おは……?、……ッ!?」
目を開けたゆずるが寝ぼけ眼に捉えたのはアルストの姿だった。一瞬の躊躇いのあと、昨晩どういう状況で今自分がどこで眠っているのかを理解して飛び起きる。何故か服は着ていなかった。
「ジェラルド様は既に食堂に向かわれました。ここで食事を取る許可も得ていますが、どうします?」
「お、起きる」
声が枯れていたり喉が痛んだりはしなかった。
アルストに支えられながら身体を起こし、用意してもらった服を着る。
「多分、ジェラルド様はもう食事を終えてるでしょうね」
「え、そうなのか」
「食後は庭園へお連れするよう仰せつかりました。歩けます?」
「大丈夫。なんか快調」
ぐっと伸びをしながら答えると、微妙な顔をして「でしょうね」と答えられた。
「今朝の報告では各地で真鯛の群れが捕獲されているそうです。知りたかったわけではないですが、まさかこういう形で夜の事情が明け透けになるのは考えものですね」
あと、深夜一瞬の雷雨のあと山頂から城にかかる二重の虹が目視で確認されたらしいことは黙っておくことにする。
用意された食事を手早く済ませ庭園へ向かうと、そこにはジェラルドが立っていた。
「ジェラルドさん」
目線だけでそれに答えると、ジェラルドの視線が庭園へと移る。一角が真新しい土に変わっていた。ゆずるが見上げる高さの新しい木が植えられており、さわさわと音を立ててショッキングピンクの花弁が揺れている。
「お前に以前言ったことを、撤回させてもらいたい」
「どれ?」
「全部だ」
国王と神子は添い遂げる誓いを目に見える形として花に残す傾向がある。
そうして出来上がった花の園をジェラルドは執着の墓場と呼び、呪いが王族の人生を縛り付けると言った。ジェラルド自身が、自分の人生はまだ見ぬ神子に縛りつけられていると感じていたからだ。
「お前の寝顔を見るたびに考えた。自分より弱いものを大切に思うのは何故なのかと……最初は、何もできない子供のお前を嫌っていたというのに」
神子は国王と番うために喚ばれる。だがそれは惹かれ合った結果結ばれるのではないかとも思うのだ。まるで運命のように、必然のように、呪いのように。この国を起こした原初の男と女が残した呪いが今も残り、ジェラルドとゆずるを結びつけたがるだけかもしれない。
だがゆずるの持つ神の加護が呪いとも祝福とも取れるように、この宿命もまた祝福だ。
「一つを愛おしいと思えば全てが許せる気になってしまうのは、身体まで欲しいと願ってしまうのは、愛と呼ぶべき事象じゃないのか。だから撤回したい。どうやら俺はお前を愛しているようだ」
ジェラルドが身を屈める。ゆずるの手を取ると、それを口元へ寄せて唇を落とした。
「俺が欲しいのはお前が望むような、お互いが傍にいても嫌だと感じない冷え切った距離感じゃない。燃え上がる熱をお前の隣で感じたい」
二人を狂い咲く花々が見つめる。マゼンタの千日紅が、純白のカサブランカが、真黄の水仙が二人を囲う花園で、少しの間見つめ合った。
気まずく感じないほどの短い沈黙を作ったゆずるがぽつりぽつりと喋りだす。
「ジェラルドさん、俺の名前、知ってる?」
「叢雲ゆずるだろう。最初に聞いた」
「うん、よかった……ここに来て、誰も俺の名前呼ばないから」
アルストは神子様、ジェラルドはお前。最後に自分の名前を呼ばれたのはいつだろうか。多分、ここに来る前に義弟に呼ばれたのが最後だった気がする。
悲しかったわけじゃないが、寂しかった。だが、わざわざ呼んでとねだるのも躊躇われたのだ。
「俺、恋とか愛とかよくわからないけど……ジェラルドさんの名前いっぱい呼んで、俺の名前も呼んでもらいたい。そういうのが、俺はどきどきするし安心する」
「……ゆずる、キスしていいか」
「ふふ、昨日の夜は勝手にしたくせに」
「そうだったか?」
そうだよ、と答えて目の前の唇にゆずるから口づけをした。
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