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この国には生前退位という言葉がない。王族でありながら31歳のジェラルドが未だ独り身である通り、王族の子孫を残そうとする腰は重い。ジェラルドの父も例に漏れず、ジェラルドは現国王が50歳のときに生まれた子供だった。これ以上歳を重ねると生殖機能に支障があると医師に診断されたためだ。
神子と身を結ぶ王族は誰であっても良いわけではない。星を読む術師が居て、その星の動きによって決まる。星が動けば国王は神子を娶るため、国王は王妃を娶ることが許されない。これを皆『国王は国と結婚する』などと美談のように語るが、ジェラルドは忌み嫌っていた。
ジェラルドの父は今年で81歳。この国の平均寿命に近い。それも、遂に先日倒れたばかりだ。もうベッドから起き上がれないのだと聞く。医師からは「脳の動脈硬化が進み、脳の血管が破れた」と伝えられた。
国王の病と星が動いたと術師が叫んだのはほとんど同時のことだった。
運命は、神子はジェラルドを選んだのだ。
選んだ、はずだ。
「…………」
「………………」
ベルガモットの香りが部屋を包む。目の前には神子と呼ばれる少年がいた。部屋の隅ではこの茶会の席を設けたアルストがにこにこと笑っている。ここまでお膳立てをしたのなら最後まで責任を持ちこの場を取り持てと言いたいが、ジェラルドの鋭い眼光も今年で6年目の付き合いとなる近衛騎士には通用しなかった。
代わりに、その表情を見たゆずるが「ひ……ッ」と小さく悲鳴を上げる。
ジェラルドから見た神子は、あまりにも幼い。幼すぎた。
貴族や王族の夫婦は歳の差よりも身分差を埋めるために親子ほどの年齢が生まれることも珍しくはない。ジェラルドを産んだ母も身分と健康な母体を望んだ結果、二十歳で50の国王と番った。
ジェラルドの理想とする神子は、自分に匹敵する魔力を持ち、従順であればよい。歳のことは考えていなかったと言える。流石に父親ほどの年齢が相手ならば考えを改めただろうが、伝承にある神子は概ね二十歳前後とされているのだ。まず歳下であることは間違いなかった。
そして従順さなど、作ればよい。初めから逆らおうとする意志を持たせなければいいだけの話だ。ジェラルドは自分が人を従える能力に長けていると自信があった。事実、その恵まれた体躯と血筋でまず一目を置かれる。ずば抜けた魔力量は国内一と謳われるほどだ。若い頃であればまだ経験が足りず危なっかしい面もあったが、今ではそれも鳴りを潜めて代わりに冷徹な面が目立った。
目の前の神子を見る。先ほどから忙しなくカップを唇に当てているが、その割に中身はほとんど減っていない。余程口を開きたくないらしい。
そういう子供特有の小賢しさもジェラルドの癪に障った。
「おい、俺は忙しい。お前が呼んだと言うからわざわざ時間を割いてやっているんだ。わかるな?」
前置きに大きくため息を吐き見据えてそう言うと、ゆずるは顔を青くさせて俯くように頷いてみせた。返事の一つもできないのかと、それもまたジェラルドを失望させる。
期待外れだった。何もかも。
「……」
口を開かない子供の返事をこれ以上待っていられず、立ち上がる。視界の端でアルストが咎めるように片眉を動かしたのが見えたが、それも睨み付けると肩を竦めて何も言わなかった。
大股で扉へと向かうジェラルドにはもうゆずるの姿は目に入らない。ゆずるは俯いたまま扉が締まる音を聞いた。
「……うう〜……」
「神子様、気にすることないですよ。でも、そうですね、次はお話しする内容を決めておきましょうか。ジェラルド様は少しせっかちなので」
「もうやだぁ……」
「あああ、泣かんでください。神子様が泣くと海が大荒れになるって報告が来てます……!」
ぼたぼたと大粒の涙が膝を濡らす。アルストは大きな黒目が落ちそうだと思った。
「俺、おれ……あいつにどうしたらいいのか聞きたかっただけなのに……」
「あ、これだけ怖がっててもジェラルド様とは呼ばないんですね」
「あんなの名前も呼びたくない!」
「うわー、めちゃくちゃ嫌われちゃってますね。まあ、自業自得かな」
ゆずるの養父は頭ごなしに怒鳴るような男ではなかった。歳上の妻を立てて平身低頭を素で行く性格だったと言っていい。ゆずるの素直な性格は昔からで、やんちゃ盛りの子供の頃から大人に怒鳴りつけられるようなことも経験がなかった。
甘やかされて育ったわけではないが、手の掛からない子供であったのは事実だ。
何も喋らないうちから一方的に腹を立てられたのは初めてだった。
「俺、ここに居たくない」
「う、うーん。それは少し待ちましょう? ほら、逆を言うと神子様から会おうとしなければ顔を合わせずに済みますよ。少なくともこの中は安全なんですから……」
「あいつと同じ空気を吸いたくない!」
これはえらく嫌われてしまった。
アルストは薄くため息を吐いた。残念なことに、ゆずるの気持ちもわかるのだ。ジェラルドは根本的に人を思いやる心というものが欠けている。
彼は血筋に体躯、才能と魔力、最後の一押しに美貌までついてくるくらい何不自由ない人生を送っている。その上ストイックな性格を生まれ持ったせいで、才能の上に努力を欠かさない。
『全て彼の思うまま』……ジェラルド・ランスの人生を一言で表すなら、それだった。
その彼が唯一望むままにならなかったのがこの神子の存在だろう。気に入らないのはその魔力の有無だろうが、それは神子自身の頑張りでも、ジェラルドの努力でもどうにかなる話ではなかった。加えて組み合わせが悪いことこの上ないが、ジェラルドの指す努力とはひたすらに厳しくする方向に動く。人を動かすのに必要なのは懐柔ではなく抑圧であると信じて疑わない。それはある意味正しいし、この場合は全くの逆効果であるとわかっていないのだ。
「神子様は志願してきた騎士見習いではなく、無理やり連れて来られた不憫な子供だと説明してやらなければなりませんね」
正直、すごく嫌な役回りだ。説明した上で「それがどうした」と一蹴されたら流石に忠誠心が揺らぐかもしれない。しかも、薄っすらとその答えが返ってくる可能性を否定できずにいる。
「うう〜〜ッ!」
唸りながらもジェラルドが手付かずで残して行ったケーキにまで手を伸ばすゆずるを見て、一先ずは思ったよりメンタルの強い子だなと安堵のため息が漏れた。
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