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辛気臭い部屋の中にいるつもりはないと、連れて行かれた先は庭園だった。
整っているのに性格が滲み出ているのかどこか粗野な印象のあるジェラルドには似合わない、まるで王子様とお姫様が居そうな美しい花の園だ。
けれど、そっと横に目を向けながら思う。確かにこの男は黙っていたら王子と呼ぶのに相応しい容姿をしている、とも。
「あの花は千日紅。原初の神子が勇者のために植えた花が未だ咲き狂っていると言われている」
「へえ、綺麗……ですね」
千日紅といえばゆずるの世界にもあった。それも、母が好きだった花だ。義父は記念日の度に花束を用意する伊達男で、二人の結婚記念日には毎年見栄えのする薔薇や百合といった大輪の花に添えられて小さな千日紅で彩った花束を贈っていた。
花言葉は変わらぬ愛情や不変の愛、だっただろうか。
「あの一画は先代の神子が世話をしたと聞く」
「カサブランカ……ええっと、先代の神子は女性、なんですか?」
咲き誇った白百合の大群は見事の一言に尽きる。なんたって、純白なのに人目を引く大振りの花びらだ。偏見かもしれないが、女性に人気そうだと思った。どことなくブライダルブーケに喜ばれそうに見えたから。そうでなくとも、園芸趣味と言われれば真っ先に男性より女性のしたがることというイメージがゆずるにはあった。
女性の神子もいたのだろうか。だから自分は彼にとって望む神子ではないのか。そんなことを考えたが、ジェラルドはあっさりとそれを否定した。
「いいや。神子は男しかいない。与太話だが、嫉妬深い原初の勇者の残した呪いとまで言われている」
「呪い……ですか」
「無理に敬語を使わなくていい」
淡々とした口調は本心から気にしていないように思えた。ゆずるとしても敬語に慣れていないわけではなかったが、どうしても反骨心からジェラルド相手に敬語を使う気になれない。それを汲み取ったであろうことがわかった。彼なりの譲歩だろう。
「破ったところで誰も咎めない慣習だが、国王と神子は添い遂げる誓いを目に見える形として花に残す傾向がある。この庭園はそうして出来上がった」
周囲を見渡す。植物には開花時期があるものだが、ゆずるもそこまで詳しくないのでわからない。だが確かに、寒い時期に咲くはずの水仙と秋のお彼岸に供えた覚えのある千日紅が同時期に咲き誇る様は異様にも思えた。
「ここは執着の墓場だ。蓄積された呪いが星を動かして神子を呼び、生まれてくる王族の人生を縛り付ける」
ふとジェラルドの手が足元の花に伸びる。その太く瑞々しい茎を一撫ですると、ぶちりと音を立てた。茎の断面から水滴が滲み出て彼の手のひらを濡らす。
「神子は国の繁栄を約束する。愚王を名君へと変える。……俺は必ずお前を妻にしよう。だが、一代くらい愛のない世代があってもいいと思わないか」
摘み取った水仙を手渡された。無言のままにそれを受け取る。
「神に縋る時代は終わりだ。俺たちは血筋を残さない」
愛のない夫婦。それは一体どんなものだろうか。血の繋がりはそんなにも大事にものだろうか。円満な夫婦の家庭、血の繋がらない養父と義弟。もう会えない三人の家族の顔を順に思い浮かべる。まだ忘れていなかった。それでもいつまで明瞭に思い出せるだろうか。
違う世界にいる家族をいつまでも愛し続ける。きっと彼らもゆずるのことを忘れない。では、これからのゆずるを誰が愛してくれるというのか。
ゆずるにはわからない。わからないことばかりだ。彼のことを怖いと思うのに、その一方で美しいと感じる。愛さないという言葉と同義の言葉を浴びせられて、それを何故だか残念に思ってしまったのだ。
「……ジェラルドさんって呼んでいい?」
「好きに呼べ」
「俺、男だし子供作んのとか怖くて嫌だよ。ジェラルドさんが俺のこと嫌いって言っても、嫌いでも夫婦になるって言っても、なんて言うのかな……そうなんだ、としか思えないんだ」
夫婦と言われて思い浮かべるのは両親のことだけだ。それしか知らない。15歳の狭い世界の中ではロールモデルが少ないから、この男と番えと言われたところで想像がつかないのだ。そのことをゆずる自身、今ようやく理解した。
例えこの先長い時間をかけても彼と自分は両親のようにはなれないし、なりたいと思わない。きっとジェラルドもそうだろう。
「ここに来てから俺、ずっと俺の意志で何かできた試しないし。何もしてないのに呪われてたって言われるし、その呪いも弾いたって言われてもね……でも、そんなことばかり続いてるせいかあんまり驚かなくなっちゃって」
「まあ、派手に騒ぎ立てるよりいいんじゃないか」
「うん。でも大人しくしている気はないから」
下から真っ直ぐとジェラルドを見据え、ゆずるはそう言った。アルストの言葉が思い出される。
──彼は見た目ほど大人しい性格ではないようです
なるほど、確かにその通りだ。好戦的とは言わない。だが、瑞々しい草花のように柔軟で折れない逞しさが見て取れる。
「ジェラルドさんが俺のこと嫌いでも、俺はできるだけ貴方のこと好きでいるようにするね。だって、そんなの寂しいだろ」
「……俺には理解できん」
「しなくていいよ。きっと俺たち、分かり合えない人種ってやつだと思うんだ」
人と共存する上で必要なのは必ずしも理解と同意ではない。少しの妥協と寛容さ。幸運にも、他者との軋轢を生むことを好まないゆずるは無意識のうちにそれを知っている。
「きっと俺たちに必要なのは燃え上がったりどきどきするような体験でも熱烈な愛情でもなくて、お互いが傍にいても嫌だと感じない距離感だと思うな。きっとそれくらい冷めた安心感がちょうどいい」
「ねえ、どうかな?」と促され、ジェラルドは少し考えて無言のまま頷く。傍に置いても邪魔じゃない他人という存在はなかなか難しい。だが、自分がこの子供に熱を上げて愛を囁くよりもずっと想像に容易かった。
子供だと侮っていたが、それなりに思慮深い。自分の持ち得ない視点は己を高みへと持ち上げる感覚を得た。
案外、良いものを貰ったかもしれない。
そんなことを思いながら、気紛れから若々しい手の甲に口づけをした。
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