本編

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朝。アルストは扉を開けると、まず第一にベッドの中を確認する。中には人が二人。大きいのと小さいのだ。 「無事ですね? 何も起きていませんね?」 狸寝入りをする大きいほうに囁くと、低く唸る声で「……煩いぞ」と返ってきた。眠りを妨げられた獣そのものだ。 「まさか色々すっ飛ばして同衾する関係になるとは思わないじゃないですか、いえ将来的にはそうなるのが正しいですけど。ああでもサイズ感が……もう少し育っていただかないと不安が……」 「同衾じゃない。寝ているだけだ」 「それを同衾と言うんですよ」 ぽそぽそとした低い大人の男たちの小声に反応して、ジェラルドの腕の中でゆずるが身動ぎした。すやすやと一定の感覚で立てられた寝息が一瞬途切れて再開される。ジェラルドの無骨な指先が恭しく柔らかな頬を撫でた。 そんなの、本人が起きてるときにやってやれと思う。 事の発端はジェラルドの“目”がゆずるの姿を捉えたことによる。魔術師としての技が成功したということは、ゆずるの持つ神の加護が揺らいだということだ。だが重要なことはそれではなく、捉えたゆずるの姿だった。 深夜、ベッドの中でぐすぐすと泣いていた。正確には寝たまま泣いているのだ。 一瞬だけ捉えた姿はすぐに途切れた。意識であれ無意識であれ、ゆずるはジェラルドを呼んだのだ。少なくともジェラルドはそう解釈した。 「おい」 大人の脚でもそう短くないゆずるの自室までの距離を大股で歩き、扉の前で低く囁く。一瞬の沈黙のあと、中で控えていたアルストは主の来訪をわかっていたかのように扉を開けた。 「見えたのですか。本職より優秀とは、流石はジェラルド様だ」 「見せられた」 目線の先では少年が、胎児のように手足を丸めて眠っている。時折聞こえる涕泣の声は無視できない大きさになっていた。 「自発的には朝まで起きませんよ。ただ人が近づくと起きるみたいです。無意識に睡眠効果を掛けているのかと」 「いつからだ?」 「最近でしょうか。元々眠りの浅い方でしたから、俺もなかなか傍に近寄れなくて」 「何のためにお前をここに置いたと思ってる」 「俺の役目ではありませんよ。それに、神子様も不本意でしょうし」 子供、子供と言っていても15歳だ。眠りながら泣いていて人に起こされる、それが頻繁となれば恥ずかしいと思うかもしれない。 鋭く舌打ちをする。俺を呼んだのはお前だろうと。 「お前は俺に何を望んでいる」 耳元で囁く。黒く縁取られた長い睫毛が揺れ、ゆっくりと持ち上がった。無彩色の瞳と視線が交わる。真っ黒で光を通さないくせに、そこにあるのだとはっきりわかった。 「……そばにいて」 短く言った言葉は呂律が回らず、寝起きの声と相まって年齢以上にゆずるを幼く感じさせる。だが、ジェラルドの耳にはっきりとその望みは届いた。 その日ジェラルドは掴まれた服を無理に引き剥がすことなくその寝顔を見つめ続けた。同じベッドで朝を迎えたゆずるが驚き仰け反って狭くもないベッドから転げ落ちるまで、じっとその顔を見つめ続けていた。 以来、同衾は二人の習慣と化している。色気の含むことなんてない、本当にただ添い寝をするだけだ。 「ん、ふわああ……おはよ……」 ぱちりと目を開けたゆずるが大きく伸びをする。 アルストは先ほどの不安を微塵も感じさせない声色で「おはようございます」と愛想の良い返事をすると、ゆずるの服を脱がせにかかった。一応、監視役と侍従の意味で付けている。 ジェラルドは青い瞳の下に晒された薄い身体を見て目を細めた。 「もう少し肥えろ」 「またご飯増やすの?」 「あれは下心のある大人の言葉なので気にしなくていいですよ」 肉の全くついていないゆずるの身体を見たジェラルドが彼のために菓子を取り寄せたのは数週間前の話になる。食わせているのに一向に厚くなる気配のない身体に痺れを切らし、食事量を増やさせたのは数日前のこと。 確かに、ゆずるの身体は薄っぺらい。だがそれは成人男性と比較した話だ。彼は至って標準で、同い年かつ日本人の基準で言えば平均的体型である。ただ、表面を覆う脂肪が薄いからほんのりとついた筋肉の筋が浮き出ている。引き締まった身体は必要以上に細い印象を与えた。 ふとジェラルドの手のひらがゆずるの下腹部を覆った。何かを測るように親指と小指を開いて確かめている。 「……ここまでか。破れるな」 「なにが?」 「はいはい神子様聞き返さなくていいですよー。ジェラルド様も不穏なこと呟かないでください。ほらばんざーい」 「それもう子供よりも幼児扱いだろ!」 文句を言いながらも手を挙げる。すぽんと頭から肌着が引き抜かれた。清潔な絹の肌着を代わりに着せて、慣れた手つきでシャツに腕を通させボタンを留める。下は恥ずかしがったゆずるが手伝わせないので、ズボンを履き替えベルトを締めている間に脱がせた服を持ってきたとき同様に手早く畳んだ。 「ジェラルド様、何度も言いますがくれぐれももう少し育ってからお願いします」 「夫婦だぞ」 「まだですよ。なってもせめてあと数年……もう、一体どこで心変わりしたんですか」 「さてな」 多分、思うほど嫌いな子供ではないと気付かされたからかもしれない。足りないピースがカチリとハマったようなものの見方の違いは、不思議と心地が良かった。望んだものを与えられたのかもしれないと気づいた途端、惜しくなったのだ。 或いは黒石の瞳に魅せられたか、穏やかな寝顔を慈しみたいと思ってしまったからか。ともかく一つを好きになってしまえば、全てを愛したいと思ってしまうのはさほど難しい話ではなかった。 ゆずるは言っていた。『俺たちに必要なのは燃え上がったりどきどきするような体験でも熱烈な愛情でもなくて、お互いが傍にいても嫌だと感じない距離感だ』と。 しかしジェラルドは思うのだ。もうそこまでお互いに心を許す関係なら、身体を繋げたいと思うのが人の心ではないか?と。 「子供が大人になるなんてすぐだと言ったよな」 「成長が遅いと感じるのは、神子様とジェラルド様が出会ってまだ数ヶ月と経っていないからです」 「そうか。道理で持って半年と言われた父上がまだ生きているわけだ」 「不穏なこと言わないでくださいよ」 国王の代替わりが起きるということは、暇そうにゆずるを構い倒している日々も終わりを告げるということだ。ジェラルドは殿下から陛下に立場を変え、ゆずるは正式にその妻となる。 そうなってしまえばジェラルドを留める言葉はもうない。そもそも留める必要もないのだが、いかんせんゆずるはあの見目だ。もう少し待てないのかと口を出したくなる。 それに、それ以前の問題もあった。 「神子様の慕い方には親子のような情を感じます。そこの温度差をなくさないと、土壇場で泣かれても知りませんよ」 「……最初から俺は夫だと伝えている」 「言い手が心変わりしたのに、言葉の受け取り方が同じなはずがないじゃないですか」 神子を召喚した場にはアルストもいた。あの場で言い放った「お前の夫となる」という言葉を仮に今夜褥の中で囁いたとして、果たして同じ温度で受け入れられるだろうか。 怯えて泣かれるのがオチと思うのは、何もアルストの目に映るゆずるが幼い庇護対象だからではないはずだ。 アルストは体格こそ上背もあり身体の厚みもある屈強な騎士だが、その物腰は近衛騎士団の中では一番気さくで柔らかい。だからこそゆずるの監視役として抜擢された。一方で、口を開かなければ他の騎士と相違ないのだ。上から見下ろして睨まれると恐ろしい。そのアルストの目から見て、ジェラルドは騎士団に混じっても違和感のない美丈夫だ。 無体を働かない理性的な人だ。ゆずるも安心し切って身を任せている。 だからこそ、力任せに迫られたところで絶対に勝てないとわかっている相手に襲われたら。 「絶対怖い思いするだろうなぁ……トラウマ作って海抜高度の低いところは沈むかも」 神子が泣くと海が荒れる。目下、アルストの心配事はそれに尽きる。
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