本編

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ところで、ゆずるがジェラルドを『父のように慕っている』とは一言も本人の口から言っていない。 どんなに養父を慕おうとも、では一緒に眠りたいかと問われれば流石に気恥ずかしさから難色を示すし、じっとりとした瞳で着替えを見られようものなら物を投げつけてでも部屋から出て行ってもらいたい。義弟と比較してわかりづらいが、一応は思春期だ。 その彼が何故ジェラルドにはそういった態度を取らないかと言われれば、つまりはそういうことだった。 15歳は曖昧だ。友愛と情愛の境界が溶け合うように、親愛の境もまた曖昧になる。一括りに大きくまとめてしまうとゆずるはジェラルドのことを愛していて、ゆずる自身その線引きを決めかねているのだった。 ── 「今夜、お前を抱きたい」 「うん? え? は…………ええ?」 その日は国王の崩御が伝えられた。81年の生涯と考えれば往生したほうだろう。それと同時にジェラルドの即位が民衆に広められ、順を追って神子との婚約が報じられる。 そのさなか、ジェラルドは回廊ですれ違うゆずるを呼び止めてそう耳打ちした。アルストは聞こえないふりをした。 「…………」 呆然とするゆずるを放って足早に立ち去る。気まずさがそうさせている訳ではなく、本当に忙しいからだ。やるべきことは多くあった。それでも今日を逃せば次はいつ機会が巡ってくるかわからない。ジェラルドも然ることながら、神子もただぼんやりと城の奥に囲われていればいい存在ではなくなる。 「えーっと、神子様?」 「……へっ!?」 しばらくして背後から声を掛けられ慌てて振り返った。その顔の赤さと表情から満更でもない様子を感じ取り、一先ず陸地が削れるのは杞憂だったかとアルストは胸を撫で下ろす。とはいえ、直前に怖気づいて深夜に雷雨が来る可能性も否定できない。 「破れる、破れるらしいからなぁ……」 「だ、だから何が?」 「何でもないですよ。それより準備しましょうか。夕飯は早めに済ませちゃいましょうね」 あとは挿れるほうに釘を刺すしかない。その凶暴なものは絶対見せないように、無理して全てを処女地に埋めようとしないように。 「急ピッチで工事進めた海岸堤防、無駄にならないといいけど」 一人だけ全く別の心配事を呟いて、まだ顔を赤くして固まるゆずるを部屋へと促した。 アルストが何食わぬ顔で「部屋の前まで送りますから、今日はジェラルド様のところで寝ましょうか」とわかりきったことを言うと、ゆずるには不安げに見上げられた。その表情に多少なりとも罪悪感を抱かないこともないのだが、今更じゃあ今夜は無しということでと言うわけにもいかない。まさかアルストがジェラルドに口利きできるはずがないし、不仲中に散々二人の間を突っついたのはアルストだ。よもや長期戦を見込んでいたジェラルドのほうが、こんなにも早く吹っ切れるとは思わなかった。 羞恥と困惑と、あとは少しの期待感。そんな思いでふるふると身体を震わせるゆずるの肩を安心させるように抱き寄せながら、本当にこの小さな身体をどうにかするつもりだろうか、と主の趣味を心配した。 夜。周到に用意された寝巻きをアルストに着せられ、ゆずるは恐る恐る回廊を歩いた。その寝巻きというのがなんというか、明け透けだ。下腹部の薄い生地は肌にぴったりと張り付くし、その上から羽織らされたひらひらとした白いレースはシースルーで完全に透けていた。 というかこれ、女物じゃないか?と気づいたときには流石にジェラルドの趣味を疑った。いっそ笑ってくれれば気が楽なのに、アルストは最初から何も見えていないように何も言わなかった。それもそれでつらい。 時折止まりそうになる歩みを促すようにそっと背中を押していたアルストは、部屋の前まで来ると何も言わずに帰って行った。 「……す、すう……はあー……」 初めて脚を踏み入れるジェラルドの部屋の前で立ち尽くす。何度か扉を叩こうと握った拳を胸元まで持ち上げては下ろす動作を三回は繰り返し、同じ回数深呼吸をする。四度目の息を吸い込んだとき、低く耳に残る声が聞こえた。 「……何をしている?」 「わっぎゃあッ!」 勝手に扉が開いて、中からジェラルドが顔を出す。脱ぎやすそうなゆったりとした服を着ていた。 「ああああの、こんばんは!」 「何だそれは……指先が冷えてるな。ほら、早く入れ」 きゅっと握り込まれた手に引かれるまま部屋の中へと吸い込まれる。バランスを崩してジェラルドの身体に凭れ掛かったが、彼は物ともせずゆずるを抱えるとそのまま持ち上げた。突然の浮遊感に目を丸くする。 「言っておくが、全く重くない。もっと肥えていい」 「そりゃ、わかってたけど……!」 それくらい軽々と持ち上げた。太腿の裏と背中に回された腕で安定しているが、わざとゆらゆらと身体を揺らされる。ぼそりと「立ったままいけるな」と呟かれた言葉は聞き返す間もなく微笑みで誤魔化された。 ジェラルドが笑っている。珍しいものを見たとそちらに意識が集中していると、ベッドの上へおろされた。ふわりとしたレースがシーツの上に散らばる。 「……この格好、女の子用じゃないの?」 「なんだ、気づいたか」 「そりゃ気づくだろ、ていうか、なに? やっぱり女の人のがよかった?」 喚ばれる神子は全員男だと言われた。ジェラルドもそれを承知の上だ。だが、彼自身は男と女ならどっちがよかったのかと訊いたことがないことに今し方気づいたのだ。 そしてジェラルドはこの状況で女物を着せた。だから、この服はそういう意味だとゆずるは捉えてしまう。 後ろ向きなゆずるの考えを察したようにジェラルドが彼の頬に唇を落とした。捲れたレースの裾から侵入し直接皮膚に指を這わせながら、耳元で囁く。 「お前であればどちらでも。お前でなければ意味がない。それを着せたのは、きっと今が一番似合う体型だと思ったからだ」 少年から大人になる過程の身体は性別もまた曖昧になる。それは男女の隔てで言えば男であるのに変わりはないのだが、人間は小さいものを可愛く思うようにできている。犬や猫を愛玩動物として手足を短く改良するように、平安の歌人が随筆に残したように。小さきものは、みなうつくし。と。
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