第十九話『決意』 5

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第十九話『決意』 5

「ビキは、フォロゴが戻るかどうか聞いてきました。あいつは王都にある墓森に、――ああ、ルプコリスでは亡くなった者を墓森へ埋めて、墓標の代わりに木を植えるんです。森の木はある程度育てば材にして、新たに生まれた民のために使うんですが。……その森の管理をするために終身仕えることになりましたから、戻らぬと告げたんですよ。そうしたら」  ビキは、フォロゴが自分のところへ戻って来るなら子供として側に置くのもいいけれど、もう戻らぬと言うなら側に置く理由は無い。そう言って、卵を拒絶した。アルグはそう言って、卵を撫でた。 「……ならばせめてある程度育つまでは、誰か鳥獣類の種族の夫婦にでも預けようと思ったんですけど、あの時のオレのやったことの話を聞いたアウルのやつが、……無事に孵るよう大事に温めておけと命じるものだから、こんなことに」 「怒らせたんだな」  く。とロウが喉で笑う。 「……だからこれは、半分は王命です。半分は、……そうだな、口実になるなと思って引き受けました」 「口実?」  セイが首をかしげると、ロウは何かを思い出したかのように懐へ手を入れた。取り出したのはトキノから手渡されたルプコリスからの書状だ。 「ああ、この手紙に書いてあった話の事か。何でも市井に降りるとか。……何考えてるんですかあんたは。あんたは王座に座ってろと言ったでしょうに」 「言葉通りですよ。アウルがどう手紙に書いたかは知りませんけど。……あんな感情をどこかに持ったまま王座にいては、民に対して申し訳が立たない。いや、オレ自身が許せなくなりそうでね」  あの殺意と向き合う時間が欲しいのだとアルグは告げた。 「二十年以上になる。……長い間、オレたちはずっと、あの男に振り回されて来た」  ロウが成獣してからおおよそ二十年。セイはまだ十年に満たない年月しか経っていない。それよりもまだ長い間、あの男に関する事をルプコリスの王たちは古傷として抱えて来た。傷の奥底には取れない刺のようなものが残り、アルグは知らず見えない場所に膿を溜めて来ていたのだろう。それがあの時吹きだして、本人も思っていた以上の傷の深さを知ったのだ。  ならば早く傷を癒やし、今まであの男を捕らえようと使ってきた時間も感情も、新たに守ろうと決めた者たちへ使えるようにしたい。そしてより充実させるのならば、王城から見たものだけでは不十分だ。民の視線で物を見て、近くからものを考えていきたいのだとアルグは言う。 「オレもアウルも、幼いころは身分など関係なく、旅をしたり市井に混ざって暮らしたりしてきましたからね。そこからやり直してみるというのもいいかと思っていたんです。――本当は、この件が全て片付いたら北か東の方にでも旅に出るつもりだったんですが……」 「そんなこと、アウルクス様が良しと言わないでしょう」 「ええ。……だからまあ、そこは妥協して。この卵を預かった時言ったんですよ、どうせ孵った子供を育てなきゃならなくなるなら、この子はオレが育てる。その代わりにこの子が成獣するまででいい、市井に降りて生活させてほしいと」  今までコルナウスの長として過ごしていたのだから、民に顔が知れ渡っているわけでもない。それとわかる行動さえしなければ大事にはならず王都でも過ごせるだろう。だから国を出るつもりはない。もちろんルプコリス王家の養子として迎えて、この子を王族の中に入れる気もない。アルグの存在が必要な急用ができた時は呼んでくれればすぐ城に戻る。そう条件を告げると、アウルクスはしぶしぶ納得したと言う。 「それに、オレに長く付き合ってきたコルナウスの兵たちにも、長期休みを取らせてやりたいですし。……仕事を言いつけて来る王の片割れが休暇中なら、あいつらの半分とはいかないまでも休めるでしょう?」  しらりと、アルグは言う。そして後々は、自分が支えながらアウルクスにも同じような休暇を与えてやれたらいいと思っているのだと、穏やかな顔で。 「では、コルナウスの長の座は……? あんたが居なければ長の座は空席になるのでは」 「それは本来その位を引き継ぐはずだった者へ返しました。ほら、あの日隊を率いてた女隊長がいたでしょう。彼女ですよ」  ああ。とロウが納得する一方で、でも。と言葉を続けたのはセイだった。  セイにとってはアルグが王であろうと市井に暮らす者であろうと、彼の立場はあまり関係は無いのだが、ひとつだけ疑問になったことがあった。 「群れがすでに無いなら雄であっても特に問題なく過ごせるし、まだ子供であるうちなら他国に対する驚異にもならないだろうけど。……でも声はどうするんだ、抑え方を覚えなきゃ結局ビキたちみたいになってしまうぞ」  自然に覚えられるとしても限度がある。ビキたちが声の使い方をまともに知らなかったように、使い方を知る者から教わらなければ本人にも周囲の者にもいい話にはならないだろう。  それなら、と話をロウが引き継いだ。 「お前にも言っておかなきゃだったな。……本当に、あんたはいつも面倒な事を持ち込んで来る」 「すみませんね」  ロウは苦笑交じりに肩を落とす。アルグもまたどこか申し訳ないような、少しだけ困ったような顔をする。 「面倒な事って、……お前が引き受けるのか?」  セイが尋ねると、ロウはそういう話だと無言で返した。その姿にセイは呆れた顔を見せる。 「厄介だ面倒だと言いつつ、引き受けるお前もお前だと思うぞ、俺は」 「ははは。確かにな。……でもこの人が持って来る話はいつも無理難題ってわけじゃなくてな、俺ならできるだろうって事を持って来るんだ。そういう意味では性質が悪くて、厄介で面倒な話だろう?」  にやりと笑ってロウが目線をアルグへ向ける。これは意外な返答だったという顔をして、アルグも苦笑して見せた。 「そうだな、いくらなんでもとお前が思うなら、セイ、その時はお前が俺を止めてくれ。話の先を見てこちらに利があると思えるなら、俺はちょっと無理でもやってみたくなっちまうから」 「……そのときはな。……で、今はその卵の事だよ、お前が引き受けてどうするっていうんだ」  リーパルゥスにこれ以上歌い鳥を抱えさせることは認められない。それはルプコリス王の意思であり、トキノ他ヴァリスコプ女王も同意の話であるという。いくら友好関係を築いた仲である国であっても、彼らの声があれば脅威になる。進んで声を使おうとすることがないとわかっていても、一国に集中させていい力ではないと、王たちは結論付けたのだ。  けれど声の力を正しく使えないまま放置すれば、いずれ何かの問題となりうる危険性もはらんでくる。まして雄の子であるなら、そこから繋がる先の事も見据えなければならないのだから。 「周辺に歌い鳥でまともに声の使えるのが俺たちだけとなれば、俺たちが声の使い方を教えるしかあるまい。……だがその子がリーパルゥスで暮らせないとなれば定期的にルプコリスまで行かなきゃならなくはなる。その時にはアウルクス様へ直接報告してほしいっていうことだから、アルグの生存確認にもなるっていう話なんだろうよ。……王として立ってるアウルクス様が、直々に市井の中へ顔を見せに行くわけにいかないだろうからな」  なるほど、と納得しかけたセイが、はっとして声を荒らげる。 「待て今、俺たちって言ったかお前」 「言ったな」 「俺は教えるなんて、まして、王に報告とか、……無理だぞ! 嫌だからな! さっそくだけど止めさせてもらうからな!」 「飛び方を教えろって言ってるわけじゃない、声に関しちゃ俺が教えたようにやればいいだけじゃないか。忘れたわけじゃないだろ? 報告方法だってこれから覚えりゃいい話だ」 「結局俺が止めても聞かないなら意味がないだろうが!」  やいやいと言いだした二人を眺め、アルグは声を上げて笑った。  気を張っていた中でほんの少し、暗い出来事を考えずとも済んだ日ができたのは彼らと出会ってからだったかと思い出す。そんな日がこれから増えていくのだろうかと考えると、膿が湧き大きく開いてしまった心の傷跡が癒えていく気がした。  ――良い夜だ。……こんな気分になったのは、いつぶりだろうか。  アルグは笑みを浮かべつつ懐に抱えた卵を撫でた。  両の月が満ちて、水を湛えた汽水の湖に映り込む。何かが終わり、何かが変わり、何かが始まろうとする気配に満ちた穏やかな夜。 「あれ?」 「ん?」 「どうし……? あっ!」  年に一度の大祭を迎えようとするリーパルゥスの国に満ちた空気に誘われたのか、それとも短い間とはいえ肌身離さず温め続けたアルグの心境に同調でもしたのだろうか。  その夜、抱えられていた卵の中身が、ようやく外の世界と内との壁を取り払いはじめた。  殻を破り出て来た黒い小さな獣が、真新しく輝かしい命の咆哮を上げる。  わあわあと慌てふためき騒ぎ出した三人は、城塞中を巻き込んで、その日生まれ出た子供のために夜明けまでの時間を捧げることになったという。  賑やかに、穏やかに、それは彼らの新たな月日の始まりとなった。
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