第二話『灰色の狼』 4

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第二話『灰色の狼』 4

数日前の早朝だった、ノシナ大河にあるルプコリスの関所の前に見慣れぬ型の船が現れた。濃霧が漂い関所付近には多くの船が停泊している。その中で一隻の船が動き始めるのを見張りの兵が見つけた。  船は商船ではなさそうな中型船だった。おそらくは個人の船だ。しかし、所属する国の印も関所通行を許可した証しである旗も掲げずそのまま港の方へと向けて通り過ぎて行こうとしたため、関所の兵が停船命令を下したのだが、船は命令に従わなかった。  周囲を取り囲もうとする兵の警告に対し、船からはこう返ってきた。 「愚かな者たちだな、私が誰かわからないのか!」  船首に立った男が声を上げていた。ルプコリスの兵のひとりがそれを見て、思い出す。それはおそらく、男の望んだものとは違う形として。 「あいつ……。王の勅令で、要警戒の指名手配されている男じゃないか?」 「確かにそうだ、特徴は一致する! 伝令! 城へ連絡しろ、急げ!」  捕らえろという指示が飛ぶ。その場に居合わせた兵たちが、水上や上空から、船に向かって行くと、船首にいた男は歪めた笑みを見せながら叫んだ。 「私を捕らえるだと? ああ、ああいいだろう、今はそうするがいい! だが、私を捕らえようと言うのなら、お前たちも王と共に殺してやるからな! 次の満月までに玉座を再び奪いに来る! その時になればお前たちは、否応無く私たちに従うことになるだろう!」  陸地の兵が関所からの知らせを受けて多く集まっているのが見えると、不利だと取ったのか、船は着岸する前に突然向きを変えて濃霧の中へと消えてしまった。よほど腕のいい風読みがいたのだろう、霧が晴れる頃にはすっかり姿は見えなくなっていたという。 「後を追うにもルプコリスでは濃霧の日が続いて川沿いの探索がなかなかできずじまい。海側だけは確認が取れたのですが、そちらに向かった形跡はないと」 「ということは、ノシナの上流へ向かったか……」  ロウは今朝の濃霧を思い出す。あの濃霧が下流域でも起きていたのだとしたら、空を飛べず、地上を行くだけのものならば追うことはできまい。  だとするならば。と、思い至ったところで、アルグが続けた。 「ノシナ本流側、谷と崖の国(ヴァリスコプ)にはすでに私の部下を向かわせました。支流のノウォー川で船が潜伏できる場所となると、彼の国とこちらの国境付近の渓谷になるかと思われるので私が……。ただ、あの国とは少々問題がありましてね、私の部下相手でどこまで話が通せるか。この後私も、ヴァリスコプに行くつもりではいますが……」 「それで、先に話が通じやすい我が国に、貴方が来たと?」  トキノが小さく問いかけた。  アルグは頷く。 「私の配下の兵を数名、見張りのために国境の渓谷の周辺に配置しても構わないでしょうか。……許可が得られぬならば、せめて私一人だけでも」 「それは、構わないけれど……、ロウ、どうだ」 「渓谷の砦は使わせない。周辺の監視は少人数に抑えてもらう。その条件を守れるのなら」 「ロウ」  一見冷たく感じる答えに、トキノが諫めるように声を上げた。  それに対しロウはひらりと手を振って続けて答えた。 「まあ聞けって。……渓谷の砦の真下は商船がよく通るだろ。ああいう船の船乗りは目が良いから油断ならん。おまけに噂話も大好物な連中だ、砦に見慣れない姿がいれば噂になる。噂は多少誤魔化しが効くとしても、リーパルゥスの兵ではないという話が広まったら面倒なことになりかねんだろ?」  ただ、と鋭い目を向けロウは続ける。 「今の時期は国中が忙しい。加えて、妙なことに巻き込んで、せっかく大祭に向けて活気づいてる奴らを怯えさせたくない。……人手は、兵ひとりとしてあんたに貸してやれる余裕はありませんよ。武力が必要なら、俺一人にしてくれ」  ロウはそれでもいいかと視線で問うた。 「ええ、兵はいらない。……私が借りたいのは、貴方たちの力だけですから」 「何?」  ふ、と緑の眼がロウとセイへ向いた。意味が分かるかと、逆に問う。 「……この二人を名指しするということは、歌い鳥でも飼っているのですか。その男とやらは」  トキノが静かに呟いた。その言葉にロウとセイの背筋がざわめく。アルグは平然とした顔で、ちいさく、肯定の意味を込めてゆっくりと瞬きをして見せた。 「種族は」  低く問うロウの声に、アルグは僅かに耳を動かし、短く答えた。 「……おそらくは、セイレーン」  その言葉に、セイが僅かに息を詰め、顔色を変えた。
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