第三話『セイレーン』 2

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第三話『セイレーン』 2

赤い月の数えで四年ほど前になる。リーパルゥスと周辺国は、密猟者から逃れ安住の地を探し求めていたセイレーンの群れによって被害を受けたことがあった。  ある日、リーパルゥスと隣国との国境にある渓谷に、どこか遠くの国から黒い翼の鳥獣属の群れが飛来した。数は小さく二十前後。成獣したばかりの者たちで作られた、若い群れであった。  鳥類属や鳥獣属の中には季節に応じて渡りをするものがいるのだが、その時期は渡りが行われる季節でもなければ、過去にリーパルゥス周辺で同じ時期、そのような種族が訪れるようなことも無かった。言葉通り、突然現れたと言っていい。  風に流され迷い込んできてしまったのか、それとも何か企んでいるのか。周囲はまず警戒した。穏やかに暮らす生活を乱す、盗賊のような集団や種族で無いことを願って過ごしていた。少しでもそんな動きを見せたなら、即攻撃を加える準備を整えながら。  僅かな時を置き、彼らがセイレーンだとわかると、周辺の国の王たちは彼らに手出しする者がいないように監視を付けつつ、様子を窺うことに決めた。  群れは遠目からでも警戒しているのがわかる。保護を目的とするならば、まずは落ち着くまで様子を見ようとなったのだ。  しかし、数か月が経ち、周囲の者たちが群れの存在に慣れて警戒を解いてきても、彼らは酷く警戒し続けた。何かに怯え、必要以上に近づけば攻撃をしかけてくるほどに気が荒くなるばかり。それは次第に悪化して、とうとう渓谷をただ通り過ぎただけの船が襲われたのだった。  渓谷は貿易と交通の要所である。その谷を占拠され、関わりのない者たちに被害が及び始めると、周辺国を含め、ルプコリスもなんとかセイレーンの群れを押さえようと手を尽くした。  しかし、聴力に優れた狼属には地形が味方に付いた彼らの声は効果的で、幾人もの兵の犠牲を出すことになった。  大河の支流域に暮らす者たちにとって、まだ記憶に新しい大きな出来事だ。 「……あのときは、結局貴方一人で戦わせてしまう羽目になってしまいましたね」 「あんだけ荒れてたら、もう同類にしか相手はできんでしょうよ……」  大国の兵ですら対処できなかった彼らを鎮めたのは、さらに数年前、リーパルゥスにただひとりで流れ着いた、幻竜(ローレライ)という種族の男であった。  ローレライはセイレーンと同じく歌い鳥の亜種属だ。彼らは大陸の東側に数多く暮らし、亜種属の中では比較的声の力は弱いとされていたが、竜族と交わったことで丈夫な身体と優れた身体能力を持つと言われていた。 「俺も、あの時まさか殲滅させなきゃならん程に狂いだすとは思っていなかった……。もう少し早く手を打てればあるいは……ってのは今思っても仕方ねえ話だが」  荒れ狂う群れを、彼はひとりで瞬く間に殲滅させた。  その闘いの成果が認められ、彼は『竜将』の名を戴き、リーパルゥスの将となって、今に至る。 「……お前が早く手を打ったところで、結果は変わらなかったよ」  そしてもうひとり。その闘いの後にリーパルゥスに迎えられたものがいる。  群れの生き残りであり、ロウが最後まで落とせなかった、黒い翼の持ち主。  群れを率いていた雄のセイレーン。それが、セイである。 「俺にはあいつらが望んだことを叶えてやることができなかった。あげく密猟者どもに追われて疲れ切って、あれ以上遠くに飛べなくさせてしまった。……どうせ、別の群れと会えないまま、死に絶える群れだったんだ。遅いか早いかなんて、関係ない」  苦しげに、セイはそう呟いた。  セイレーンは全て女で構成された種族だ。数年に一度の交配期になると一時的に雄へと変化する者が現れ、子をつくる。その中にあって、セイのように生まれついての雄が意味するのは不吉の証し。すなわち群れの終わりであるという。  群れは、渓谷にたどり着いた時点ですでに、種としても、精神状態も限界だったのだ。それが癒えることなく、あるとき突然弾けてしまった。  セイは言って、冷たい息を吐く。 「しかし……あんなに探し回って見つからなかったのに、今更こんな形で同族と出くわすか……」 「セイ。辛いならお前は、この件に関わらなくてもいいんだよ?」  トキノが顔を覗き込む。セイはそれに苦笑して見せた。 「気にしないでくれ。俺は平気だよ。……俺は、もう自分の種族に興味は無いんだ」  トキノが眉間に小さく皺を刻んだ。その隣で、同じように眉間にしわを刻み、怪訝な顔をしていたロウがふと口を開いた。
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