第四話『大祭準備』 2

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第四話『大祭準備』 2

「あ。そういえば……」  ふ、と何かを思い出したキナリが、慌てて何でもないですと両手をばたつかせた。足元からは、両手同様ばたついた両足の蹄が立てた軽やかな音が響く。 「何だ。そんな言い方されたら逆に気になるだろ、どうした?」 「いえ……、王都でも、国内の話でもないんです。船着き場で聞いたんですが、ヴァリスコプの周辺で、船の事故が増えてるって。行方不明になった船乗りが何人もいるとかで。……霧の影響ですかね。水流も変わってきていますし……」  ここ数日続いている濃霧の話は王都にも届いていた。  川を行く者たちはこの季節になると霧を警戒し、慎重に船を出すものだったが、それでも今年の霧は濃い日が続いていて、慣れたものでも事故を起こしかねないという。そういう話が船着き場では毎日のように耳に入るとキナリは言った。 「あんまり、竜将の仰っていたこととは、関係ない話かもしれませんけど……」 「いいや。お前が気になったなら話してくれて構わんよ。……そうだな、事故に関しても注意がいる。それは砦の方にも耳に入っているとは思うが、伝わって無ければ俺が伝えとこう」 「はい……」  若い青年の表情に不安が浮かんだ。 「船乗りたちが心配か?」 「……少し。みんな、良い人たちなんで」 「そうか。……そうだな」  ロウは笑みを浮かべると、軽くキナリの肩を叩いてから告げた。 「わかった。これから出入りする船も人もどんどん増えてくるが、監視はしばらく続けてもらえるか。あとは、噂話でもなんでも、船乗りから聞けることがあったら聞いておいてくれ。なに、……そんなに長く警戒することは無いと思うんだが。するに越したことはない」 「わかりました、お任せください」 「良い返事だ。……気を付けてくれよ」 「はい!」  ロウの言葉にキナリは頷いて返事をすると、深く頭を下げてから、議場に集まっていた兵たちを引き連れて議場から出て行った。これからまた外で待機している別の兵と合流し、船着き場の監視に当たるのだろう。  ――事故の話、どうにもあの人が持ち込んだ要件が絡んでいそうな気配がする。さっさと片付きゃいいんだが……。  心の中で一人呟き、議場を出て行ったキナリを見送ると、深くため息をついて頭を巡らせた。  アルグは、ロウとセイのみ協力してくれたらいいと言っていたが、完全にはそうはいかないのが現状である。情報を掴むことも、警戒を行うにも、コルナウスに全て任せる訳にいかないところもあるのだ。定期的に連絡をくれるとはいえ、どうしても国内の話は自国の兵に任せた方が早くなる。  けれど。とロウは思う。  大祭の準備が進む中、彼らもまた大祭に向けての期待に胸を躍らせている。その楽しみをこうやって奪っていいものかと。  警備を含め、情報収集も彼らの仕事だと言ってしまえばそれまでだ。だがこの案件に巻き込んで、もし何かあった時の事を考えると、ロウの気分は次第に落ちていく。 「さっさと片づけて……ああ、しかし……」  事を急げば、何が批判の火種となるかわからない。トキノにしろ、ロウ個人にしろ、まだこの国の中、確実に彼らへの信頼が根付いていると言いきれるだろうか。  ロウの知らぬ場所で、足元を掬おうとする者たちが何を言いだすかわからない。あったとして、大事にならないようにと、何かあるたびに常にロウは警戒していた。  慎重に、と自分自身に言って聞かす。そうしてまた一つ、ロウはため息をついた。いらぬ心労を抱える羽目になった原因を思い浮かべて、静かに奥歯で噛み砕く。 「せめて。これ以上あいつらを巻き込まんように……」  額に手をやり、爪の先で角を掻いていたロウの前に、のし、と影が現れたのは、その日数回目のため息が落ちた後だった。 「巻き込むだなんて。どの口が言っているんでしょ。……キナリがあの若さで、かなりの観察力と統率力のある子だと見抜いて、あの仕事を任せたのだって、貴方だったでしょう」  驚いて顔を上げたロウの目の前、にっこりと笑みを浮かべた男の顔があった。
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