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第四話『大祭準備』 3
「それに。ぼくを、国境警備からこっちの仕事へ移したのも、貴方だった」
赤黒い毛に、ロウとは違う色合いの藍色の眼をした、大柄の男だった。
「女王に気に入られて、セイレーンまで懐に入れて、前任の将軍が『女王に対し謀反を起こさぬように』とか理由付けてあえて腐らせてた連中拾い上げて……。将の位を戴いてから五年、いやまだ四年か。そんな短時間で少しずつそれぞれ適所に収めてる人が。いやはや。何とも欲張りなお方だ。ぼくはてっきり、この方は国盗りでもなさるのかとか、ちょっと期待しちゃってたんですがねえ」
冗談が入り混ざる笑みを浮かべた男に見据えられたロウは、対して、鋭い視線を向けて答えた。
「お前の眼には、俺がそんなふうに見えたか?」
「……ああ、いや、そうじゃなくて」
「俺に、謀反の疑いがあると? そう見えるか」
無意識下で声に混ざるのは、威嚇の気配だ。声に力持つ獣の放つその気配は、声の力にまったく耐性を持たない者たちにすれば、生きた心地はしなかっただろう。
「っ……見えませんって。やだなあ、もう」
「俺は、」
言いかけて。ロウははっと我に返った。
周囲を見渡し誰もいないことを確認すると、頭を抱えて項垂れる。
「……竜将?」
ぐしゃりと髪を乱したロウに、男は焦りを見せながら声をかけた。
「はぁ……。あー、悪い。お前の要件で最後だったな。カエン」
いつも通りに戻ったロウに安堵して、カエンと呼ばれた男はほっと息をついた。
「はい。そうですよ。お疲れのところごめんなさい。でも、ぼくの用事はすぐおわりますからね。……ぼくとしては、おっかないからさっさと休めと言いたいとこですけど、そうもいかないんでしょう?」
カエンは言って、丸い顔をふやりと歪めて笑って見せた。
「……すまんな」
「謝らなくても結構ですよー。ぼくも、たぶん失礼なことを言いましたからね。さ、竜将、ささーっとお仕事片づけて。終わったらしっかり休息取ってください」
丸まった背中と太い手足、丸く愛嬌のある眼をした熊属の男。誰よりも多く書類の束を抱えて来た彼は、城塞の内部における事務方、書類処理を行う部署の長であった。
表向きは。と先に付くのだが。
「じゃあ、まず。……表の方から」
カエンはひっそりとそう言って、両手で抱えて来た書類の束をロウの前にどんと置いた。
「こっちは急ぎの伺いですね。こいつはここで見て、判をついて署名してください。今日中に処理しますんでねー。それでぇこっちが報告書。これは苦情その他諸々を、内容別に分けて束ねてあります。苦情の対応が該当しそうな人んとこにすでに写して渡してあるやつは印がついてますからね。付いてないのは、貴方宛て。なんで、対応お願いします。……それからこれは優先度の低そうなやつで、大祭には関係のない部類。さあさ、ざっと御目通しをお願いしますよ、竜将」
口調の緩やかさとは相反して、書類の束を手早くどんどんと並べられると、ロウはまず急ぎだと言う書類の束へと手を伸ばした。
しん、と静まる室内に、ロウが筆を走らせる音だけが響く。
「ところで。……そっちの手は足りてるか、カエン」
必要書類を一枚ずつ確認しながら、ロウは目の前で立って待つカエンに声をかけた。
「欲を言やあ。もぉ……すこしっ、欲しいところですかねえ。……ぼくんとこは、城の事務方と違って、兵の仕事と兼任してるのばっかりだから。外の仕事増える今はちょっと、ねえ。……あ、別口の方は、いつも足りてませんよ。特別ですしー」
「そうかあ……」
のんびりとした口調につられ、ロウの口調もやや丸みを帯びる。張り詰めていた緊張が僅かに緩んで、ロウも微かに肩の力を抜いた。
「そっちも、全体的な兵の数も、増やせるといいんだがな。何をするにしても手が足らん」
「なぁに。急に増やせば、城にずっといる古株だとか、周りの国なんかも、良い顔しませんよー。……特にヴァリスコプは昔からそういうところに敏感な国だし。……まあでも。最近じゃああの国も軍縮する流れがあるとか、聞きましたけどね」
「そうだな。変な言いがかり付けられて喧嘩になるのは避けたい。……ヴァリスコプに関しちゃ、今は少し協力してもらいたいところもあることだし」
急ぎだと言う書類に全て承諾印と署名を付け終えて、ロウは書類を手渡しつつ、一つ間を置いてから問いかけた。
「……それで、裏の件での報告は」
黄昏時の空色の眼がカエンを鋭く見上げる。
「ヴァリスコプの件ですね。……それなんですが」
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