第四話『大祭準備』 4

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第四話『大祭準備』 4

アルグの率いるコルナウスとまではいかずとも、ロウも独自に動かせる諜報員をほんの僅かであったが抱えていた。そのひとりがこのカエンである。  ヴァリスコプはリーパルゥスの隣国。渓谷の砦から下流にある国だ。  隣国ではあるのだが、国同士の交流はほとんどない。  国同士の交流があまりない国に対してなら、手順を踏んで国交を作っていくことが正しいやり方であろう。しかし今は時間もなく、急を要する事項のため、裏を通して通じることはできないか、カエンらを使い、秘かに動かせていたのだ。  無条件で、すんなりと、上手くつながる可能性はあまり高くない。ロウもそれはわかっていた。しかし、固めておきたい足場が一点そこにあると気づいた以上は、無視して通れなかったのだ。 「残念ですが、報告できるほどの収穫ありませんでした。流石に難しいですよ、軍部の末端か、もうちょっと上までならなんとか可能ですけども。……さらに上と直接話ができる支度をしてほしいだなんて……。女王陛下が直々に文を出しても返答が返るかどうかって関係の国なんですよ? 何より時間が足りません」  答えたカエンは声の緩やかさを消して、静かに告げる。 「そうか……。お前ならやれると思ったんだがな……やっぱり、厳しかったか」  眉間にしわを寄せ、ロウは呟いた。戦ごとから離れている国の中にあって、カエンは戦が起きたとしても通用するだけの洞察力を持っている。ロウはそう感じ取ったからこそこの仕事を任せたのだ。  それでもできないのかとロウが思うのは、カエンの能力が足らないから、という訳ではない。 「動けるだけのやつがいて、動かしきれないってのは、やっぱりもどかしいな……。俺の力不足だ、すまん。無理はせんでくれ」 「いえいえ! そんなに信用してくれてるのは、ありがたい話ですよ。……んー、仕方ない。こっちも、もうちょーっと頑張ってみますけども、」  とん。と書類の束を机の上で整えて、カエンは丸い背中をゆったり伸ばした。そうして見ると、この男はかなりの長身に変わる。 「……ここだけの話ですけどね、竜将」  周囲に誰もいないことを確認したカエンが、小さくロウに告げた。 「?」 「ルプコリス王が、何日か前にヴァリスコプに入った。って話が、ぼくの仲間から今朝届きました。こんな時期に、突然彼らが直接会う理由は無いはず……。あるとすれば、今回の件じゃないかと。でも、城塞に来るコルナウスはそんな話して来ない。ぼくらに隠す必要があるのか。あるいは、仲間内でも知らないやつがいるのかな……という感じがします……」 「ってことは……、アルグを介さずに王自らがコルナウスを独自に動かしてるって可能性も?」 「おそらく。――だもんだから、そちらに関しちゃすぐに動かない方がいいかもしれませんよ。ルプコリスの王は賢君っていうんで有名だ。もしかしたら……動かぬ岩も動かせるかも」  カエンは短くそう答えて、にっこりと笑みを見せた。 「今、ぼくが貴方に報告できるのは、このくらいです。何かあればまた」  カエンはまた背を丸くし、頭を下げると、のしのし歩きながらロウの前から立ち去って行った。  しん。と静まり返る議場の中。ロウは一人だけ席を立てずに座り込んでいた。  様々な情報が頭の中を駆け巡る。ぐるぐると思考が止まらず、動けないまましばらくぼんやりとしていたロウの視界に、黒い影が入り込んだ。 「ロウ? 執務室にいないと思ったら、こんなとこで何してるんだ?」 「……セイ」  セイは、外から戻ってから一度ロウの執務室へ寄ってきたが、戻っていないと聞いたから探しに来たと言う。柔らかく差し込んで来る朝日の帯の中を、音も無くロウの近くに歩み寄って来て、くるりと周囲を見渡した。 「会議は、終わったんだよな? まだ何かあるのか?」  いつまで座り込んでいるつもりだと問う声に、ロウは苦笑した。 「あー。……ちょっと、一度に情報かき集めたら、頭がいっぱいいっぱいになっちまってな……」 「なんだそれは」  お前でもそんなことがあるのかというような驚き混ざりのセイの声に、ロウは顔を上げる。 「……ロウ?」 「うん」  呼ばれた声に、ようやく頭の中が落ち着いて来たロウは、ゆっくり席から腰を上げた。 「セイ、……悪いんだがこの書類運ぶの手伝ってくれないか」
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