第五話『古傷』 1

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第五話『古傷』 1

その日は一日、風も穏やかに良く晴れた日であった。  日没を過ぎて黄昏が落ちると、大祭の準備で賑やかだったリーパルゥス王都の街並みの中には労をねぎらう声が満ちる。  西側に広がる城下町には広い船着き場があるため船乗りたちが多く集まる店が連なる一方で、東の城塞を囲む周辺には、兵や城塞で務める者たちを相手にする店が並んでいる。  城下町ほどではないにせよ、王都東側の城塞周辺でも、月明かりに負けまいと灯された松明や光石の明かりの下に賑やかな声が広がっていた。 「やあ、そっちはどのくらい準備が進んだね」 「おう。いい具合さ、今年は去年よりも少しばかり余裕ができそうだ」 「そりゃあいいことだ。こっちはこのところの霧のせいで、下流からの物資が入って来るのが遅れててね……。事故も増えてるっていうし、心配なんだよねえ」  広い大通りには毎夜天幕が張られ、その下に集う者たちが酒や食事、様々な会話を交わしている。  仕事の話、家族の話、大祭の準備の事。賑やかに華やかに、集う者たちの活気にあふれた空気の中に、この時期になると混ざり込むのは数年前にその職に就いた男の話だった。 「いやぁしかし、あのお方が将に就いてから、ほんと、大祭の準備が進め易くなったよなあ」 「竜将様か。そうだね、あのお人は人の扱い方をよくご存じのようだ。うちの旦那は城塞で働いてるが、以前の将軍様がいた頃よりずっと働きやすくなったって言ってるよ」 「ああ、でも、できれば大祭の間、城塞にこもらず外に出てきてくれたら良いんだがあ。お疲れなんだろうけども、あの時ばかりは出てこないから……。出てきてくれるなら、うちの店の酒でも美味い飯でも御馳走してやりてえのよ、おれぁ」 「謙虚なんだろうよ。……前の将軍様は、大祭になると必ず俺の働きがあったから上手く行っただの、俺がやってやったから、だのと自慢してたもんだったが、あの方はそれが無いのが良い」 「違いないなあ」  軽く酒の回り始めているのだろう彼らは、城塞の主に乾杯、そう言い合って新たな盃を掲げた。  冷えた麦酒の泡がぷわりと舞ったその先、湖沼群に半島状に向けて伸びた山裾から、突き出た岩山が背を高く伸ばして鎮座している。黄昏を過ぎ、冷えた空気と川から上る薄い水煙に包まれる中、赤い月に照らし出された巨大な岩山は、遠目から見れば大きいだけのただの大きな岩山でしかない。  しかし、外見こそただの岩山であっても、内部はかなり複雑なつくりをしている。古い昔に岩を喰らって生きていた生物が空けた穴が蟻か鼠の巣穴のように広がっていて、その穴と通路を利用し、生活ができるよう加工してあるのだ。  近くに寄り、ぽつぽつと見える明かりの漏れた窓と直線的に造られた通路や階段が見えて初めて、初見の者はそこが城塞の本体であると知るのだとか。  大祭の準備が進むにつれて、主の居住塔から見える明かりが消えぬ日が続いていた。  詳しく知らぬ者たちは竜将が準備の仕事に追われているのだろうと語っている。  実際のところはそうでないのだけれど。  山裾から岩山の足元、地盤が固められた上に城塞を囲む小さな町が広がり、緩やかに岩山を上る間には、兵士や城塞で働く者たちの居住する区域が作られている。その居住区の中央を真っ直ぐ、城塞の大門へと続く大通りに若い蹄の音が響く。  息を切らしながら、蹄の音の主が門を潜り中へ入れば、思いのほか高い天井が出迎えると、蹄の音が高く響いて一度止まった。門番の一人が彼に声をかけたのだ。 「キナリじゃないか、どうしたそんな急いで」 「っ、竜、将に……、お話がっ」  キナリは息を切らして答える。急ぎだというその顔に、問うた方も焦りを感じ、道を空けた。 「竜将なら、お部屋に下がられたよ。……もうすぐ渓谷の砦に向かうそうだから、何かあるなら、急げ」 「ありがとう!」  資料庫や議場を含む主要な部屋が集結した区域を通り越し、食糧庫を挟み、岩が深く切れた間に設けられた広場を抜けて、最も西側。城下町と王の住まう御城を見下ろす岩山の頂上部が、城塞の主が住まう区域である。  最上部まで駆け上がれるかと門番が言うと、キナリは頷き、身体を獣型へと変えて広い階段を一気に駆け上がって行った。
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