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第五話『古傷』 3
キナリの話を聞いて、ロウは足早に執務室を出て行った。続くセイも、僅かな戸惑いを含ませている。
「ロウ、キナリの話じゃ……そいつ」
「ああ、あいつじゃないことは確かだよ! この後、渓谷に追い込んで来るってやつが、こんなところにいてもらっちゃ困る!」
「じゃあ、……なんで」
「俺が知るか!」
城塞の主の居住塔最上部には、高い天井と、窓というよりほぼ壁一面に開いた穴を要する『大窓の広間』と呼ばれる部屋がある。翼ある者が獣型へと変わったとしても余裕のある広さを取れる部屋で、現在は主にロウとセイが使う出入り口になっている部屋だ。
その大窓から二人は急いで飛び降り、翼を広げて飛び立った。そのまま向かうのは城塞から見れば滝の下、リーパルゥスの東側にある小さな船着き場だ。
東側の船着き場に他国の船が入ってきたのは、つい先ほどの話だという。
船の主は狼属の男。連れは数人いるが、黒髪の女を一人つれていたので、警備にあたっていた兵たちが一気に警戒して船を囲み込んだ。
東の船着き場にやってくるのは、多くがこの国の者たちだ。他国の船も訪れないわけではないが、多くは城塞の町に品を降ろす小さな商船や、城塞の町に繋がりのある顔の知れた者たちだった。
全く見知らぬ、商人でもない者が訪れるなどめったにあることではない。
強化されている警備の中にあっても少しも怖れた風でもなく、深く布を被り、顔を隠した船の主だと名乗る男が現れて警備兵を束ねるキナリに向かってこう告げたという。
「竜将にお会いしたい。取り次ぎを願えるかな。私の事は……そうだな、こう言ってくれたら、わかると思う」
――最果ての孤狼、と。
フェンリルとは、とある流浪の狼属のことをいう。広くは群れを持たない一匹狼を指す言葉で、群れ持つ狼たちには忌み嫌われる名となっていた。それゆえ、他者への名乗りとして使う者はめったにいないはずである。
しかしロウには、自分に対し、狼属でその名を名乗る相手には思い当たる者がいた。その血を引いているということを誇りに思うと言った者が。
まさか、と思う方が強いのだが。ロウはそれ以外に見当がつかないまま翼を畳んだ。
「フェンリル、というのは……」
「こちらです、竜将」
船着き場で兵士たちに囲まれた狼属の男は二人の姿を見つけると、軽く頭を下げた。布に隠れていない口元には品のある笑みがある。対して、背後に控えた黒髪の、狼属だろう女は、鋭い眼を周囲に向けて警戒心を露わにしていた。
「どう、しますか。……どう見ても、流れ者なんて風体じゃないですよ、あの狼たち」
誰かが言った言葉に、同感だという意味合いの頷きがいくつかあった。
ロウは真っ直ぐ男を見据えたまま、口を開く。
「……みんな、下がれ」
ざわつく兵たちが道を作ると、ロウはその男の前に歩み寄る。会話をする前に、兵たちの警戒を解いた。
「心配することは無い。この人は、……俺の、知人だ。みんな警備に戻ってくれて構わん」
そう言う言葉に嘘は無い。嘘は無いが、揺らぎがあった。ロウの背後に立つセイは、その声の僅かな揺らぎに気づいていた。声を使う者は嘘を吐けない。声の揺らぎは、ロウの感じている僅かな偽りを表すものだ。
ロウであっても、『知人』と言うには遠すぎる、その相手。
「大変失礼をいたしました……」
兵が散っていくのを確認し、ロウは物陰になるところまで移動すると男の前に膝をついた。セイも倣って膝を折る。
「我が部下の無礼をどうかお許しを、ルプコリス王、アウルクス陛下。……しかし陛下、何用でこんなところまで……」
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