第五話『古傷』 5

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第五話『古傷』 5

「……あれが、」  あれ、と言って、アウルクスは一瞬言葉を選んだ。 「アルグが、妙なことを言いだしたら。……どうか、あいつを止めるか、もしくは、この件から手を引いてもらいたい」 「……それは、どういう……?」  ふわりと、アウルクスの尾が揺れる。  ロウの言葉に、アウルクスは笑みを浮かべた。どこか悲し気な、申し訳なさそうな。王という立場のある人物が見せるような表情ではない、そんな顔で。 「私の声が届かなくても、……友人である貴殿なら、まだ届くかと思ってね。それが無理なら、その声を使って縛り付けてくれても構わない」 「友人と言われると複雑なところですが。……声を使えと言うのは穏やかではありませんね。我らがそう易々と声の力を使わないことは、……それこそアルグ殿から聞いておりませんか」  そこまで言うならば、はっきりとした理由が欲しいというロウに対し、アウルクスは両耳をぴんと立てる。菫色の眼がまた複雑な色味を混ぜた。 「簡潔に言おう。……私は、例のあの男には、私の国のものを、何一つくれてやる気は無いんだよ。……国土の小石ひとつだとしても、もう二度と渡してやるものか」 「……」  言葉を呑んだロウへと、アウルクスは小さく溢す。 「私とてあの男は憎い。だが、憎しみに駆られて復讐に走るわけにいかないのは、私が王位を継ぐために、この国を守る立場にあるものとして助けられ生かされたからだ。私をここに押し上げるために多くの犠牲があって、命を賭した者たちがいた。守られたからには、彼らが守ろうとしたものを守り慈しみ育てこそすれ、乱してはならないと思うから、私は王座に就いたのだ……」  立派な考えだと、素直にロウは思った。しかし語る側の顔は、苦悶に満ちたままだ。 「アルグも……あの時を近くで過ごして、今に至るまで、同じ考えでいてくれているものだと思っていたんだがな……。最近のあれは、事が片付いたら消えてしまいそうな気がする」  消えると言う意味に何が隠されているのか。同属であれば探ることもできただろうに、ロウは言葉の中に含まれたものを探りかねて、疑問を言葉に変える。 「アルグ殿が、復讐に走ると。……その男のために命を落としかねないと。そう言いたいのですか。陛下は」  ロウは問う。アルグは確かにこの件を、その男を追うために自ら進んでコルナウスになったと言っていた。命がけのことというなら、言葉通りの仕事ではあるが。 「俺たちに、助力を求めといて……?」  死ぬつもりでいるのかというロウの言葉に、アウルクスは小さく笑う。 「まさか。……そんなことであれの命を落とさせるものか。その辺りで迷惑かけた責任含めて、あれにはまだ、生きて、我が国にいてもらわねば困る」  だが。と、アウルクスはこぼす。 「あの男は、生きたまま捕らえ、王になった私が裁く。……そうでなければならないんだ。私刑や復讐を、私は、……我が国の法は、許していないからね」 「……はい」  ロウは頷く。アウルクスは笑みを見せてから告げた。 「アルグがもし、一人で全て背負うというつもりでいるなら、どうかその勘違いを正す手伝いをしてほしいんだ、リーパルゥスのドラクネル。……あれが一人で責任を負ったところで、失った者たちは戻ってこないのだ。私があの時守り切れなかったぶん、新たに守ろうとする大切なものを、……二度と失いたくないというものを、お前が進んで私に壊させるのかと、わからせてやってほしい」  言ったアウルクスに、ロウは小さく、反芻する。 「……新たに、守ろうとするもの」 「一度、失ってしまった痛みは、二度と味わいたくはないものさ。……一生癒えることのない古傷、のようなものか」  きっとそこは、アルグも同じなのだろう。だからこそ、僅かな危機に対して過剰なまでに奔走している。  アウルクスは言うと、ロウの前に膝をついた。 「……さて、ここからはおまけの話だが」  さらりと長い尾が地面を掃いた。位の高い者だというのにそんなことは気にも留めず、アウルクスはロウへと視線を向ける。 「あの男を確実に捕らえるならば、ヴァリスコプの地形があったほうが優位になると聞いた。だが、貴殿にはあの国との伝手は無い上に、前回のセイレーンの一件があって強気に出られない……とも」 「は、……」  唐突な話題の変化にロウが真正面からアウルクスへと目を向けると、にこやかに微笑む狼の王は、より一層複雑な色味を増した菫色の眼を向けてロウにこう告げた。 「実はもうヴァリスコプには対話の門を開かせてある。……明日の日没以降なら、あの国の王は貴殿と会ってくれるそうだ。私と、トキノが同席するならば。という条件付きだが。……何、あれは話せばわかるひとだよ。少しばかり、扱いは難しいがね」 「……なん、」 「ということで、アルグのことはよろしく頼む。私はこれからトキノに会って、夜明け前までにヴァリスコプへ発つよ。話をする必要がまだあるならば、かの国の城へトキノをつれて一緒に来ると良い」  驚いたロウに、アウルクスはさらに言ってから、静かに立ち上がる。月を背後に据えた王は、穏やかに告げた。 「貴殿も、古傷の痛みを恐れずに新たな道を進み給えよ。……竜の君」
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