第六話『霧の夜』 2

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第六話『霧の夜』 2

アルグが二人に相談を持ち掛けてから青の月でひと月ほどが過ぎていた。  特に大きな動きは無いままではあったが、あの日以来、表向きは大祭前だからという名目を付けて、濃霧の警戒と同時に、行きかう船の監視が重点的に行われ始めていた。  時に竜将自ら監視に訪れるような例年以上の警戒に、そこまで重要にする必要があるのかと、砦の兵たちは問うてきた。濃霧が原因で何かあってからでは遅いのはわかる。だがこの季節、濃霧だけなら何度もあったのだ。船乗りたちもわかっていることだ。それがなぜ今回は、と。  問われることまでは予測していたのだろう。その疑問は当然のことだと言って、ロウはいちど砦の者たちを集めると、警戒の理由を話して聞かせた。もちろん箝口令を敷いた上で。  彼らが納得するまでロウは話をした。語れないというところははっきりと語れないと答え、語れることは全て語ってやったという。  ――ここは、水運の要所。防衛の要。ここでしかできんことがある。俺一人ではどうしようもない。どうか少しばかりお前たちの時間を使わせてもらえんだろうか。  最後には頭を下げて、ロウは砦の者たちに言って聞かせた。 「まさか、いつもの仕事にちょっと手間がかかるか、くらいで竜将が頭下げてまで頼んで来るとは思わないよな」 「そうそう」 「そりゃ、危ない目に遭うのはいやだけども」 「その辺、俺たちゃ兵士だもんなあ。覚悟の上だってんだ」  聞こえる声からは不満は感じ取れなかった。寄せられた信頼に対し、くすぐったさを覚えたような、そんな声だった。きっと彼らは腹の底から納得して、ロウに従ったのだ。  セイがロウと共に行動するようになってからまだ数年でしかない。けれど、その間によくわかったことがある。  ――性別も種族も関係なく、本ッ当に人たらしだな。あの男は。  セイは僅かに流れる風を感じながらそう思う。  ロウは人を扱うことに慣れていた。数人程度ではない、数十、数百という単位で扱うことを苦としないのだ。  人を観察し、相手がどんなに癖のある者たちでもその者の持った能力をよく理解する。ある時は歪みを正し、またある時はその歪みを利用して、状況に応じて適材適所で配置する。それは簡単にできることではないとセイも理解していることだった。たとえ二十程度の数だったとはいえ、彼も群れを率いていたことがあるからだ。  他者をまとめながら群れを動かすその難しさを、セイも身をもって知っている。  それでも、ロウは簡単に行う。行っているように、セイには見えた。  ――どうしたら、あんなふうにできるようになるんだろうな……。  何度思ったことだろうか。  立場や経験、もしかしたら種族や年齢なども関わる話かもしれないが、もしそれが生まれ持った素質だと言うなら、セイにとてってそれは、怖ろしくもあり、ひどく羨ましいものに思えてならなかった。  セイは谷底へ視線を落とす。谷底は月明かりを受けて淡く薄紅に染まる霧が、ゆるゆると広がり始めていた。夜闇を湛えた川面はうっすらと見えなくなり、代わりに薄紅に染まった古い水の記憶たちが谷を満たそうと膨らんでいく。  良く晴れた空からは冷えた空気が降りてきて、肌から熱が逃げていくのがよくわかる。一瞬、風が凪ぐ。肩の上に夜の静寂が手をかけた。  ずしりと重く感じる静寂の中、いつかロウと交わした話を、セイはふと思い出した。  ――声の力を使っているようには聞こえないが。何故、皆お前に従うんだ。  何かの会議があった時だったか。終わったあとの資料をまとめていたロウへ、セイが問いかけた。出会ってまだ二年目ほど。セイがロウの仕事を手伝うようになってすぐの話だ。
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